ボルタンスキー大回顧展
 
 
クリスチャン・ボルタンスキーの表現は、ストレートで心馴染が良い。
作品を前にして考え込まなくていい。死や記憶、魂や亡霊についてぼんやりと想っているだけでいい。彼の心臓音や、悲鳴のような風音、300の風鈴のささやきあう響き、<Tell me 教えて>と問う声を拾いながら、隣にはいない誰かを想えばいい。

ボルタンスキーのインスタレーションは死を想う空間で、墓地や教会、寺院、盆棚を設えた座敷のような彼岸と此岸を重ねる場所。そういう時空に憩う感覚が、私は好きだ。
作品のどれもが、<知っている>感覚がする。
あれは、520足の靴だ。あれは、荒野の風車だ。あれは…。
きっとそれは普遍的な表現だからで、<死>はきっと誰もが知っているものだからだと思う。

常設展ならいいのにと思う。時々、訪れてぼんやり過ごしたいと思う。



  ・・・・・

できれば。
豊島の心臓音のアーカイブを先に体感できたら良いと思う。遠いけれども。

それから。
24番では作品を見て、それから作品に背を向けて壁を見るのを忘れずに。




2019.7.29 国立新美術館








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