「花の子ども」

2021年6月6日 読書
「花の子ども」
 
赤毛のロッピは最愛の母さんの遺したバラの切り枝を持って旅に出る。
苔が生えるだけの溶岩原の北の国から、オオカミやクマのいる深い森を抜けた先の世界一のバラ園を持つ修道院を目指して。
父さんは息子が心配で、旅立ちの別れ際に「向こうに着いたら開けなさい」といって渡すのは「寝るときに父さんを思い出せるように」と、パジャマだ。初めて乗る飛行機で腹痛を起こし、着陸した先で盲腸の手術を受ける。ロッピは無事に修道院へたどり着けるのか……頼りない少年の初めての冒険…いやいや、少年ちゃうし!
ロッピには7ヵ月になる子供がいる。「あの娘、あの娘って父さんは言うけど、僕と彼女は付き合ってるとかそういう関係じゃないんだから。まあ、子どもはできちゃったけど。あれはアクシデントだったんだ」 をい?w

22歳のロッピ(あるときはダッピ、あるいはアッピ、父さんはいろんな呼び方をする)の頭の中を占めているのは、死と身体(セックス)と植物だけ。

「花の子ども」というタイトルと表紙だけで借りてきた。
メルヘン風味、ファンタジー風味かなぁと思いながら読み始めて、主人公の頼りなさにちょっと面倒くさいかなぁ~とちらちら思いながらロッピの旅に付き合う。

修道院のブラザー・トマスや彼の娘フロウラ・ソウル、そしてその母親(ロッピの妻でも恋人でもない大学生)アンナが彼の生活に登場しても、どんな物語を読んでるのかよくわからない。でもその頃には、の~んびりと遠い親戚の男の子の消息を眺めるような気分で楽しむ。



映画好きのブラザー・トマスが良い。

「一緒にノスタルジアでもどうかね」
「え、どういう意味ですか?」
「『ノスタルジア』という映画だよ。苦しんでいる人びとへの思いやりを持つには、瞳の奥ににじんだ苦しみに気づかなければならない」



遺伝学の論文を書き上げなくてはいけない24歳のアンナ。

「母親になる前にやるべきことがたくさんあると思う」
「あなたのことが信じられないほど好き。だけど私、ひとりになりたいの――あと何年か――自分を見つけて博士号を取るまで。今すぐ家庭を築くには、まだ若すぎると思う」


22歳のロッピのもとに、北の国の代表的なモチーフとなる「八弁のバラ」の枝とマリアに抱かれた幼子によく似た娘フロウラが残される。



   ・・・・・

2020年のジェンダーギャップ指数で153ヶ国中、121位の日本に住む私には、これはやっぱりファンタジーだったのだ。
読み終えて、解説を読むまで気づかない事ばかりだった。ロッピにイライラし、アンナに「え?」と思ったりする、その時点でジェンダーギャップ121位の国のひとなんだよなぁ。
11年連続ジェンダーギャップ指数1位で、ジェンダーロールに多様性があり、かつそれが当たり前に社会制度で保障される国では、この物語はファンタジーではなく当たり前の若い男女と家族のリアルなのだった。





原題に使われている「Afleggjarinn」という語にはふたつの意味がある。ひとつか「挿し穂」で、もうひとつは「特定の場所に続く脇道」である。日本にも挿されたアイスランドからの挿し穂が良く育ち、やがてその枝の先がどこかに繋がる道となることを、心より願っている。
                    朱位昌併<解説>




日本で根付くだろうかねぇ。

1975年 職場での男女格差や性別による役割分担の不平等に女性が声を上げ「女性の休日」と呼ぶストライキを決行
1980年 世界初の民選の女性国家元首が大統領に就任
2009年 同性婚をした女性首相が就任 大臣の半数が女性となる
以降、女性、子ども、ハンディキャッパーを支援しジェンダーギャップを小さくするための施策が実行される
アイスランドはちゃんとやるべきことやってきたんだよね。

挿し穂を根付かせるには、土が大事なんだね。






「レモン」

2021年6月3日 読書
「レモン」
 
 


2002年韓日ワールドカップで沸きかえった夏、‘美貌の女子高生殺人事件’と呼ばれた悲劇が起こる、その後の事件を取り巻く人物の人生を描く。19才だったヘオンが公園で死体で発見され、犯人が捕えられないまま17年の歳月が流れる―。
                    <東亜書店HP>



絶対的な美貌のへリム。
容疑者とされたハン・マヌ。その妹ソヌ。
ヘリムを車に乗せていたジョンジュン。
二番目に美しい少女テリム。
転校してきた同級生サンヒ。
へリムの妹ダオン。姉妹の母。

語り手はこの中の三人。
少女が殺された、それだけでもうミステリだけれど、犯人が誰か動機は、、そんなことはどうでもいいこと。

事件が起きて、何人かがいなくなって、日常が戻ってきて。それでも事件で穿たれた空白は、ひき攣れた傷痕のようにそこにあってひとを不安にさせる。




そうよ、あの子たちは事件に遭ったり留学したり転校したり、何らかの理由でいなくなっただけ。じゃあ、残された私たちは?死にそう。何にも変わってなんかない。こうやってずっと生きていくの?これが生きるってこと?事件にはそうして終止符が打たれた。

   ・・・・・

理由もなく過酷な生を強いられても、私たちはその中でか弱い虫のように、過酷なことにすら気づかず生きていく。




作者の後書き。
「人は平凡に生まれ、平和に生き、平穏には死ねない」
生きることは平らかではないと知ってしまうことのイラダチ、ヤリキレナサの物語、かな。

 
クォン・ヨソン 1965年生まれ ソウル




最近、アジア文学の棚の前をうろうろしている。

パク・ソルメの短編集「もう死んでいる十二人の女たちと」が読み切れなくて(返却期限が来てしまって)感想書かずにいたけど。
棚を眺めていたら、韓国の現代文学がとても充実していることに気が付いた。
そして、韓国の文学についてなにひとつ知らないってことにも気が付いた。
手にとって、カバーに紹介文があればそれを読んで、なければ冒頭の3行を読んで借りてみている。このあとも何冊か読んでみたい本がある。

一番近い隣の国の物語なのになぜいままで読もうとしなかったのかな。








みどりみどりみどり
みどりみどりみどり
みどりみどりみどり
 
 
あしもとに、みどり。

みあげると、みどり。

緑の坂道をあがってみどりの窓辺で本を読む。
窓ばかり見てしまう。






Guitarist。

2021年5月27日 チバ
 
 
なんでことさらイマイさんを、アーティストだと言いたくなるのかと考えてて。
理由はわかってるんだけど。

チバの隣にいるギタリストたちのことを、思い浮かべるからなんだよね。
ずっとTheBirthdayのフジケン氏に、しっくりこないなにかを感じてて。
いやいやいやいや、ギターの腕前がどうっていうのはまったく分からないのでそういうことではなくて。もう10年一緒にやってるんだし、チバが良いならいいんだけど(汗) 汗あせ…冷や汗気味ながら、でも思ってることがずっとあり。

なんだろなんだろ、、、Disrespectする意図はまったくないんだけど。
なんかね~なんかね~、アカ抜けないというか、ロッカー風味がないというか、ね。ロックンローラーではないよなぁ、、とか。学校の先生の週末ギタリストっぽいとか。ギターの腕前を完全無視してついつい思ってしまうんだよね。すごい勝手なイメージなんだけど。スミマセン。
たぶん、きっと、とても素晴らしいサポートのひとなんだろうなぁと思うのだよねぇ。TheBirthdayのメンバーで一番興味が湧かなくてどういう人か知らずにいたんだけど、J-POP系のライヴのバックギタリストやってたキャリアが長いというのを知って、「フジケンギターの時のチバは歌姫」っていう自分の印象にすごく納得したりして。

チバをずっと聴いてて、好きなのはミッシェル後期からROSSOを経てTheBirthday初期で。フジケン加入後のTheBirthdayも大好きな曲いくつもあるんだけど、ね。たぶん、たぶん、ギタリストの醸す存在感の違いなのかも。ライヴでは特に。
この10年のTheBirthdayは綻びがないというか、きっとそれは悪いことではないんだろうけど、衝動とか情動とかが(いやないわけじゃない、あるんだけど)キレイに均されてるような?いや、言葉にすると言い過ぎなんだけど、、う~ん。


アベくんと出会ってTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが転がりだしたように、照井さんとだからROSSOを演りたいと思ったように、イマイさんとふたりでバンドやりてーなーって言ってTheBirthdayを組んだように。
そういうことなの。
いま、チバがフリーになっちゃったとして、フジケンとふたりでなにか演るとは思えない。ハルキくんもどうかな。キュウちゃんでさえ、そのポジションにはいない気がするんだよね。
チバのロックの衝動をつつけるひとか、チバに呼ばれてくるひとか。その違い。

ちょっと前にチバが「オレ以外の三人はもう職人みたいになっちゃっててさ」って言ってて、それは嬉しそうに言ってたんだけど。そういうことなの。いまのTheBirthdayは安定してる。職人ががっちり支えてるから。だから危うさがない。
危なっかしい感じ、欲しくない?ロックなんだから。
MICHELLEの後期とか、ROSSOなんかはなんともスリリングだ。だから、続いてないとも言えるんだろうけど。
TheBirthdayを壊したいわけじゃないけど、なんかもっとチバの衝動にブーストかけるような存在がいたらいいのにと思ったりもする。

イマイさんとまわってた時のTheBirthdayのステージといまのステージと、なんというか生々しさ、艶っぽさがまるで違うんだよね。イマイさんがチャーミングであるってだけじゃなくて、チバをどれだけ踊らせるかってこと。チバに我を忘れさせる本気にさせるフェロモンが足りない。

真っ赤なRadioとか要らないなぁ~と思っちゃう。






MIDNIGHT BANKROBBERS TOUR2021
 
 
いやぁ、楽しかった。
イマイさんとチバと、ふたりのバランス?アンサンブル?最高。

バンクロのライヴ、いままではどうしてもチバ声聴きたいが前のめりになってしまっていたのだけど、昨夜聴いたイマイさんのギターとヴォーカル、とても良かった。
イマイさんの作る曲って、語呂合わせとか(韻を踏んでるというべき?)ひとを食ったユーモアみたいのあって。何回かライヴで聴いて慣れてきたっていうのもあるんだけど、「ザンビーのビート」の歌声ふくめたパフォーマンス、すごく良かった。わぁ、いいヴォーカルだなぁって、思った。
イマイさんって、ロックンローラーなんだろうなぁという印象は持ってたんだけど、昨夜の聴きながら、チバはイマイさんのこの感じがすごく好きなんだなぁと、ふたりの相性の良さを納得。

チバが終始ニヤニヤして、イマイさんの隣で笑みを堪えきれないみたいに嬉しそうだった。
MCも多めで。「師匠…?」と大喜利を促したり、マイクなしで話始めるイマイさんに「だから、マイク!」とダメだしするのはお約束のやりとりなんだけど、ふたりのバランスみてるとイマイさんってチバ以上に奔放なんだよね。ギターも―私はギターの上手い下手とかまったく分からないんだけど―チバの歌の隣で自由に奔放に鳴ってる感じで気持よかった。イマイさんは、アーティストなんだなぁ。だからチバとイマイさんは1対1、とてもフラットなふたりに見えた。レジェンド扱いされがちなチバだから、イマイさんとのデュオが楽しいんだろうなぁ。ほんとにずっと笑顔。

ふたりはステージの上でなにを飲んでたんだろう。
マイボトルをぐびぐびやってたよ(笑)
これまでならバンクロはビール飲みながら演ってたけど、いま、アルコールの提供はしないからね。水ならペットボトル出せばいいんだし、あのマイボトルは怪しすぎる(笑)
イマイさんのMC。「もともとバンクロは、チバくんが、酒飲みながら演れるふたり組作ろうって言って始まったんだよ」ボトルぐびっ。チバ、頷きながらボトルぐびっ。

真ん中の10分間の換気休憩終わってステージに戻ってきたイマイさんは顔赤くなってさらに酔いを深めてた感じだった。MCも走って、チバが手綱引いてたくらいだから。笑える。

で、イマイさんが酔っ払って言葉が止まった一瞬にいきなり歌いだすチバ。
「雨はやんだか」ソロ・アルバムに入ってる曲だけど、このいきなりの歌いだしのほうがカッコいい。ほんとあの声は一瞬で空気を変える。そのチバの声にちゃんとギターで合わせるイマイさん。まぁ、プロなんだから当たり前だろうけど、すごく良いなぁ。さすが酔っ払い前提のデュオだ。

チバのソロ・アルバムから「春」と「テディボーイ」も演ったけど、スタジオに籠ってひとりで作った曲も、イマイさんのギターと合わせるとすごく瑞々しい感じがする。もともとチバはライヴの方が圧倒的に良いからね。
イマイさんがいた頃のTheBirthdayの「オリーブ」「レイニーレイニ―」もギター2本とチバの声だけのほうが抒情が膨らむ。

チバの作る曲って、4ピースのバンドの爆音に乗せて奏でられるしなによりあの悪魔声だから抒情とは遠い印象になってしまうけれど、メロディや詞はとてもリリカルなんだよね。ぶっ殺す!とか歌っててさえね。


アーカイブの視聴期限は当日のみだったので、配信終わった後にもう一回聴いて、それから最後の3曲を聴いて5時間。
零時ちょうど、日付が変わった瞬間に途絶えて、チバの「僕が君を」で切れた。





 ピース(MB)
 世界を壊したい*
 酔いどれマリー(MB)
 リンゴの気持ち*
 Baby Honey Bee(GEF)
 風のゆくえ*
 春(SOB)

  < 換気休憩 >

 レイニーレイニー(TBD)
 光と陰を*
 雨はやんだか(SOB)
 ザンビーのビート*
 テディボーイ(SOB)
 オリーブ(TBD)
   (*イマイアキノブ)


2021.5.24 京都磔磔・配信





「身体のいいなり」
 
 


四度の手術で私が得たこと、それは人間は所詮肉の塊である、という感覚だろうか。<中略>
私のように意志ばかり肥大させて生きてきたような人間には、それはちょうどよい体験だったのかもしれない。独立した存在であるように思っていた精神も、所詮脳という身体機能の一部であって、身体の物理的な影響を逃れることはできない。私はそれをあまりにも無視して生きてきたんじゃなかろうか。
<中略>身体(と生活)を極限まで無視した分、得がたくおもしろいことを見れたし、学べたという自負はある。でも癌を作るまで(?)身体を本気で怒らせることになったのはまずかった。癌を通じて、私の意志は一度身体に降参し、身体のいいなりになるしかなかったのだ。




内澤旬子の本は、「世界屠畜紀行」「飼い喰い 三匹の豚とわたし」「おやじがき―絶滅危惧種中年男性図鑑」と読んでいる。先にあげた2冊は特に面白く読んだ。読んだもののタイトル並べると彼女の本は「肉の塊」がテーマなのかと思ってしまう。この「身体のいいなり」も同じく。

彼女は「幼稚園児のころから、じりつしんけい、とか、きょじゃくたいしつ、という言葉を知っていた」くらい原因不明の身体の不調に悩まされながら、意志の力で身体を引きずって日本中、世界中を旅してまわっていた。
乳癌になって意志が身体に降参し、そうすることで生まれ直したみたいに身体感覚が整ってゆくのだ。この本は闘病記ではない。自分の身体が蛹化して、一度ドロドロに溶解されて羽化して新しい肉体感覚を得るまでを取材、観察し続けてる?そんな感じ。降参しつつも手放さない意志の力で。

ちなみにこの本は4冊目の著書なんだけれど、この病気のあと回復して、千葉に引っ越して三匹の豚を飼って、その後、ストーカーと闘い、東京で老いるのは嫌だと小豆島に引っ越し山羊を飼い、狩猟免許をとりジビエ販売をやり……という暮らしをしている。
Twitterなどで山羊と格闘―文字通り身体張って―してるの見てるとタフだなぁ、武闘派?肉体派?と脱帽する。

私も年齢的なものだと思うけれど、若い頃よりずっと身体の声が聴こえるようになってきたし、その声に従っていれば案外間違いないという実感は持つけれど、こういうおもしろい著作を何冊も作り上げる人のメーターの振り切り具合はすごいなぁと思う。彼女の「意志」は実はまったく降参してないんだなぁ、と思うもん。あっぱれ。

つぎはなにを読もうかな、「漂うままに島に着き」かな?「ストーカーとの七〇〇日戦争」はもちょっと後でもいいかな(笑)






Fabulous。
   

昨日、京都の古本屋でMidnight Bankrobbersが小さなライヴをやった。
告知はライヴはじめるほんの一時間前。古本屋の店主がバンクロの名前も出さずにtweetした。先着10名限定。

京都でよかった。
東京だったら、タクシー飛ばしてたかもしれない。
でも、先着10名。東京じゃあまりに競争率高い。
東京の東側じゃ間にあわない。真ん中あたりでは?無理かな。
西側、どこだろう、どのあたりなら……なんて、妄想が始まる。

古本が並ぶ狭い空間で、独特の古本の匂いかぎながら、あの、あのチバ声を聴く?同じ高さのフラットな床の上に、何歩か進めばそこにチバがいるの?マジか?イマイさんのアコギと、チバの声だけ。アンプはもちろんマイクもなし。わあぁぁ、ほんとのほんとの生の声だ。
想像するだけで動悸がする。カラダの温度が上がる、血管が膨らんで熱い感情がほとばしる。想像するだけで。素晴らしい。
チバがどこかで歌ってると知るだけでメンタル・フィジカル活き活きと再生する。

チバユウスケ、あなたは誰なんだ?

素晴らしい。
Fabulous、それが京都の古本屋の名前。
音楽や映画の本や雑誌、グッズが専門の本屋で、命名はチバユウスケだそう。
そっか、そういう縁でのライヴなんだね。


素晴らしい。
正直なにがそんなに素晴らしいのか。アーティストが立ち寄った知り合いの店で興がのってちょっと歌うかってだけじゃないか、、とかね。その10人の中の一人になれたわけでもないのに。ふと第三者的に考えるとよくわからないのだけど、でも私の心身が素晴らしい!って反応するから、やっぱりFabulous。


チバユウスケはFabulous。





若葉に白花

2021年5月22日 散歩道
若葉に白花
若葉に白花
 
 
丘陵地の公園へ。

ヤマボウシの花が咲いてた。
柔らかい緑色の葉と質感のある白い花。

庭木でも見かける樹だけど、街中だと伸びやかさがない。
横に張りだす枝葉とそこに咲く花で空間が埋まる。美しいなぁ。

同じ優しい緑葉に白花をつけるエゴノキも大好きなんだけど、時期が遅かった。
エゴノキは散る姿が好き。花びらが散るのではなくて、花首ごと落ちるのだけどその散る様がほんとうに愛らしい。ぽろんぽろんと音が聞こえてくるようで。
落花。ツバキは、ぽと、ぽと。エゴノキは、ぽろんぽろん。誰か楽器で表現してくれないかな。


下の写真は、去年のエゴノキ。
花は葉に隠れるように下を向いて咲く。
なにもかもが可愛らしいい花木。





女には向かないナニカ
 
 
スキットルが好きで。
ああいうポケットサイズ、掌に馴染むサイズ感の“モノ”が好きなんだけど、20代とか、うんと若い頃に、ハードボイルド系の小説かエッセイでも読んで、蒸留酒を入れて持ち歩くという役割に憧れてしまったんだね。

サンフランシスコへ行ったときに、気に入ったスキットルをみつけて買って帰った。ステンレスではなくてピューター製の横長のタイプで、型押しをした焦げ茶のレザーがボディに巻いてあった。
バーボンを入れてジーンズの尻ポケットに入れて持ち歩いたり、、はもちろんしなかったけど。20年以上、棚に置いていた。口がとても狭いので野の花一輪指すこともできなかったので、そのままで。
巻いた革の端がすこしめくれてたの覚えてる。実家に戻るときに捨てたような気がする。


MUJIが出しているスキットル型のマイボトルを買った。
使い勝手が良さそうだし、好みのスキットル型だし。


使ってみたんだけど、どうも落ち着かない。
バッグから取り出して飲むときのこの落ち着かなさはなんだ?と思うのだけど、使うべきものじゃない感が過るのだ。私の中でこのカタチは、強い酒を呷るというイメージを描き替えられないからなんだろう。
私には、スキットルの中に入っているのは強い酒なのだ。このMUJIのプラボトルにそれと判らないように入れるとしたら透明な酒?焼酎とか、ウォッカとか?
わはは、それって、グダグダ最低のアル中じゃないか!
そんな想像をしたら、持ち歩く気になれなくなった。
もちろん中身は水だし、憧れるスキットルのシルエットに比べたらもっさりしてまったくの別物なんだけど。
 
 
そしてたぶん、このスキットルというのは男の持ち物で、女にはどうしたって似合わないのだ。
左の尻ポケットからスキットルを取り出してひとくち。強い酒の香りを味わうのは馬で行く荒野か大河の川縁か。真のワイルドライフの道連れなのだ。都市の、ビルの陰でそれをやったらアル中だもんね。
男には女にはって最近のポリコレの流れに反するかな?いや、似合わないものは似合わないし。
スキットルからのひとくちが許されるのは―似合うという意味で―キャサリン・ヘップバーンくらいじゃない? 彼女なら、荒野の中でなにかに腹を立ててウイスキーを一口飲んで、そのあと唇を手の甲でぬぐったとしても、エレガントだろう。

スキットルを自分のものにするのは付け焼刃ではない知性が要るのだろうな。










Max Richter「All Human Beings」
https://www.youtube.com/watch?v=QmrIDK03Hlg



<Article 1>
All human beings are born free and equal in dignity and rights. They are endowed with reason and conscience and should act towards one another in a spirit of brotherhood.




https://www.kobe-u.ac.jp/campuslife/edu/human-rights/universal-declaration.html






 
謎の運営。



「にっき屋さん」スタッフはみな文系出身なので技術的にはヘナチョコですが、使いやすく、すぐ役に立つサービスを目指して制作しています。

 
 
これだけだもんね(笑)
でも、「シンプルで楽しい! 長続きする無料のブログサービス」というキャッチに偽りはないなぁ。長続きしてるもん。

まだブログという言葉もなかった1998年に自分のPCを手に入れてから、すぐに作文を始めて。その頃はマイクロソフトとか富士通、NECとかが提供してるサービスを使ってたんだけど、どれもこれもある日突然サービス終了とかそんなの普通だったような気がする。システムもサービスも黎明期だったからなんだろうけど、いったいいくつブログの廃墟を築いてきたかなぁ。

だから、ダイアリーノート、20年ほぼ同じスタイルで維持されてるって素晴らしいなぁと思う。ときどきダイアリィが開けなくなったりはしてるけど、昔なんども「サーバーとんだ、消えた」みたいの見てきたから、十分安定してる気がするのね、ここ。「文系ヘナチョコ」な製作メンバーだというのに(笑)
ほんと謎だよ。
ここを20年も維持して、なにを得てるんだろう?サーバー維持するだけだってコストかかってるんだろうし。
「無料で提供してんのに、クレームうざ~」と思うようなこといっぱいあっただろうになぁ。「ユーザー間のトラブルにつきまして」の文章とか、規約テンプレっぽくないとこすごい好き(笑)
でも、ほんと謎。実はオードリー・タン氏のような天才プログラマーが、儲ける気はなくて遊びで片手間暇つぶしで始めた、とか?育成ゲームみたいな感じで?


今回、新規登録終了してバックアップのおすすめしてという流れだけど、どこへ向かってるんだろう?
気になるのが、16年にはアンケートとって、機能追加やサーバー増強、広告の試用掲載とかかなりいろいろ試してくれてて、都度アナウンスも丁寧だったのだけど、そこから5年なにもなく過ぎて、、、からの突然の新規登録停止だし告知もそっけないし、沈黙の5年になにがあったのかなぁ、って。DiaryNoteシステム老朽化とのことだけど。そうだよね、20年だもんね。


Diary Note制作担当さんは、日記を楽しく書けるようになったんでしょうか?







  
  
オリンピック中止を求めるネット署名。

宇都宮健児 
「人々の命と暮らしを守るために、東京五輪の開催中止を求めます」
https://utsunomiyakenji.jp/stoptokyoolympic/


署名って、あんまりしないですか?
街頭で「署名お願いしまーす」と言われても、なかなか、ね。
私も以前はほとんどしてきませんでした。

でもこの5年ほどはネット署名、してます。
発起人、賛同者の名前を見ればだいたい安心して署名できるし。

「賛同します」と署名するくらいしか、フツーの市民個人にできることって、ないからね。








「草原の河」

2021年5月3日 映画
「草原の河」
 
 


チベット。空と大地が広がる。厳しい自然の中で牧畜を営む家族。
幼い娘は、母が新しい命を授かったと知り、やがて生まれてくる赤ちゃんに母を取られてしまうと心を痛める。
その父は、四年前の出来事をきっかけに自分の父親をいまも許せないで居る。
娘、その父、そして祖父―。
家族三代それぞれの心情を、河が見つめている。




草原と少女。
それだけで観ようと思うよね。





   ・・・・・



映画って、ときどき、私には情報量が多すぎる。
って感じる。
映像と音楽と、俳優の表情とセリフ、字幕。
観る聴く読む。忙しい。

どうしても字幕を追っちゃう私は、もっと大事なものを取りこぼしてると思うこと結構ある。じゃあ2度目は字幕なしで観るかと思っても、すぐに繰り返しで観たい作品はそんな多くない。

そして長すぎる。100分越えなくていいと思う。
3時間、5時間、8時間の最初から長尺ありきのものはそれはそれでそのつもりで観るけど、2時間10分くらいのフツージャンルの映画って半端に長い気がする。私には、ね。

「草原の河」1時間38分。ちょうどいい。
お父ちゃんもお母ちゃんもお祖父ちゃんも、少女も大事なことだけ言う。


   






「飼う人」

2021年5月2日 読書
「飼う人」
 
 
しあわせになることって、そんなにも難しいことなのかぁ。


「命」で読んだ柳美里のこの言葉は何度か引用してるけれどやっぱりまた書いてしまう。
「幸福というのは、自分を説き伏せ納得させて実感するものではない。なにも考えなくても、感じるものなのだ。(中略)不幸というものは状態で、一度居座ったら動かすのは困難だが、幸福は状態ではなく、瞬間の中にしか存在しない。一瞬一瞬煌めいて消え去るもののような気がする」

ほんとうにそうだろうなぁ、と思う。
瞬間をとどめておくことはできないから、しあわせではないかもしれない連続する時間をどう“あやして”生きていくか、なのかな。



だけど、この小説には幸せな瞬間は、カケラもない。あやすなんて、生半可なことじゃどうしようもない。
なんだか主人公の吸う空気だけが不幸に汚染されてしまってるみたいな。息苦しい。
柳美里だからね、油断はしないで読んだけど。こんなに不幸な状態を書き連ねる不幸への執着はすごいな。

4つの短編の主人公はみな生き物を飼うひとなんだけど、蛾や蝶の幼虫に両生類。飼育することを楽しむでもなく、成り行きで飼い始める。毛むくじゃらの温かい命じゃなくて、水槽のガラス越しというその距離に手を出すとこがなにか自分の不幸の確認作業みたい。


主人公たちに特別な結末は訪れないし、救いに繋がるようなことさえも微塵もない。不幸な空気を充填した水槽の中のいきもの、主人公をガラス越しに眺めてるのが読者。

「飼うひと」が2017年の作品で小説としては一番新しいもの。
柳美里自身は、原発事故という動かしがたい未来永劫続きそうな大きな不幸の中に身を置くことで、ふくよかさを纏いはじめたような気もするけど、彼女の描くものはやっぱり“全不幸”。

嫌いではない。惹かれるものがあるから読むんだけど、きっと、水槽の中の物語で、そこから這い出しては来ないと思ってるから読んでいられるのかな。
油断はするまい。

柳美里には、不幸文学を極めていただきたい。
ときどき覗きに行きます。怖いもの見たさで。




   ・・・

あ、そうか。
幸せは瞬間だから、しあわせに「なる」って不可能なのか。







「複眼人」

2021年4月27日 読書
「複眼人」
 
 
その島の次男は、生まれて180回目の満月を迎えると島を出なければならない。
その島はあまりにちいさいので。島人の数が島の木の数を越えてはならないと神に命じられている。

100回目の満月の後、少年はタラワカと呼ばれる舟を造りはじめる。
月の数が満ちた時、10日分の水だけを積んで、戻ることのない航海に出る。
アトレもそうやって海に出た。愛する少女にもらった話笛を携えて。



私たちが迎えるほんの少し先の未来に生きたひとたちの物語。
起承転結のあるストーリーが展開されるわけではなく、大きな変化がゆっくりと訪れようとしている時を過ごしているひとびとの人生が描かれている。“死”に溢れているのだけれど、もっと大きな生命力を感じる世界観。


 どこに行っていたんだい?
 なにを見たんだい?
 なにを聴いたんだい?
 だれと会ったんだい?
 これから何をするつもりなんだい?

ハファイの歌うこの歌は、アトレの、トムの、トトの、アリスの冒険の歌なのかもしれない。



島の知恵者、掌海師が言う。
「音は誰にでも通じるものだ。すべての波音が人間の心に届くように」

台湾先住民のハファイの歌声。
「その歌声は、歌そのものを聴く者の体の奥深くへと染み渡らせる。彼女の歌声は風に漂う種となり、その種がいつ自分の心の奥底に落ちたのかもしらぬまま、台北に戻ってMRTに乗っているときにふと、ハファイの歌声が、車両内の喧騒を突き抜けて心に蘇る。車窓の外を眺めながら突然涙を流す人がいたならば、そんな者たちかもしれない」





ファンタジーというよりも、いつか神話になるかもしれないような、ある時の物語。ハファイの歌を、2016年に聴いたなぁと思い出した。





呉明益:1971年、台湾・台北生まれ


タマリンド 2021
 
 
一昨年発芽して越冬し、昨年葉芽を出してくれた19年生タマリンドがひと鉢。
昨年発芽して越冬した20年生タマリンドの鉢が5鉢。

冬を生きのびた19年生は大きな鉢に植えられていたもので、根が寒さでやられてしまわなければ枯れないで越冬できるのかもと思って、20年生も大きな鉢に移して、プチプチシートを巻いて、簡易ビニールハウスに入れておいた。十分な防寒になったかどうかわからないけど。気温も上がったし、鉢を外に出して見守っているところ。
19年生が葉芽を出したのは5月の下旬だったから、まだまだなんだけど、無事に冬を越えられてると良いなぁ。



今年のタマリンド。
3月に、タマリンドの実をもらった。4月1日に蒔いた。
3週間以上たって、気配がないのでそっと表面の土を除けて様子を見てみた。種、溶けて、土に還ろうとしてた…。あららら。。

なんでかなぁ?
植えつけ方は、これまでと同じようにしたんだけど。
とても固いので、すこしキズをつけてひと晩水に浸けて植える。
なんでかなぁ、ふやけさせ過ぎたかなぁ? タマリンドの子葉を見ると、すごく栄養価高そうだから地中でふやかし過ぎると腐るの早いのかなぁ?

なんでかなぁ?
蒔く時期が早かったかな?19年も20年も6月に発芽している。蒔いて2~3週間で。熱帯の樹だし、土中もまだ寒かったのかな?

とりあえず第2弾。
同じようにひと晩水に浸けたのと、キズつけただけのを蒔いてみた。
残りは6月以降、もっと暖かくなってから蒔いてみようかな。





あと、種の状態で気になること。
なんとなく種がしぼんで見えること。
13年前に初めて見た時に、タマリンドの種の「鉱物のように固く艶やかな漆黒」に魅了されてしまったので、その時の状態は良く覚えてる。
でも、一昨年もらって育った種もすこし皴があったしなぁ。発芽には影響ない範囲なのかなぁ?種の蒔き方を変えてみて、発芽すれば問題ないってことか。



08年 鞘付きのままの種(発芽)
19年 鞘付きのままの種(発芽)
   パックされた果肉ペーストにはいっていた種(発芽)
21年 鞘付きのままの種(?)


08年と19年のタマリンドは、現地の市場で売られているもの。
21年のは、日本のエスニックレストランで売られていたもの。

19年のタマリンドには鞘のなかに虫のついていたのがあって、もしかしたらお土産用、輸出用のものはなにか防虫処理みたいなことされてるのかもしれないね?なんて友人と話してたのだけど。




「輸入農産物の防虫・くん蒸ハンドブック」というの見たら

「温度制御による消毒」低温処理・蒸熱処理・温湯処理
「くん蒸剤による消毒」臭化メチル・青酸ガス・リン化アルミニウム剤

などなどと書いてあって(青酸ガスって怖い 汗)
高温処理で種もやられちゃったりするんだろうか、と思ったり。
でも、さらに見たら「農産物の商品性を損なわない程度」の温度ということで「43~44度で3時間」とからしいから、果物の果肉に影響ないくらいなら種はきっと生きのびるだろうし…。


う~ん、やっぱりふやかし過ぎかなぁ??
まあ、要観察、再度トライ!

あの涼やかなタマリンドの葉は夏のベランダの主役なんだから。







春をのせる虫、虫。
 
 
「蠢く」
すごい漢字ね。秘密の裏庭では若葉に毛虫のクラスター。座ろうとしたベンチの背に黒い毛虫の集団がもぞもぞ。サクラの下をくぐろうとしたらお尻から糸だした毛虫がぷらーん。茶の木にはチャドクガ、これはヤバいヤツ。いくら虫好きでもさすがに尻尾巻いて退散。

裏庭、また閉鎖。
つぎ行ったらミズキの花が咲いてる頃かなぁと思ってたのに。









Tempalay

2021年4月23日 音楽
Tempalay

 
  オンリーオンリユーからそうゆう末路に
  ランデランデブーなら遠く ただ遠くへ行きたい

 


晴れて、さびしい。 







https://www.youtube.com/watch?v=RZKFkYzxlQs







 
 
2週間経ったので、4月6日に行った The Birthday のライヴのことを。
恵比寿リキッドルームではコロナに罹患しなかっただろうことがなんとなくわかったのでホッとしている。
2週間、自主隔離して過ごしていました……というのはウソで、普通に仕事行ってたし、スーパーへ買い物行ったり裏庭へ行くバスに乗ったりフツーにしてました。

ライヴの後は、2週間、絶対ぜったい発症しないぞ!と強く強く心に念じて過ごしたので、なんだか2週間が長かった。
自主隔離するわけでもない2週間を息潜めてるのは、感染予防とかではまったくなくて、発症した時に「ライヴなんてリスク高いとこ行ってるからだ」と後ろ指差されたくないからです。

なんというか、コロナ禍下での自分の感覚、行動に滅茶苦茶な矛盾あるって、自覚はしてる。
職場のレストルームで5卓10席を埋めたスタッフが透明アクリル板越しにお弁当を広げて楽しそうに喋っているのを、「うわぁ、ここには混じりたくない」と通り過ぎる私と、歓声禁止・モッシュ禁止とはいえわずか50㎝四方の桝の中でテンション上げて呼吸荒くしてる数百人がいる密室で2時間過ごす私と。
アクリル板越しに話すオッサンに「愛想ふらなくていいから、要点だけ言って、3分以内で!」と思う私と、話をするために友人と会って5時間話した後で「あ、あれ話そびれた」と思ってる私と。

矛盾してる。わかってる。
コロナ・リスク・アラームが脳内に鳴るか鳴らないかは、ほぼほぼ目の前にいるひとへの好感度合いの違いだけだから。


   
   ・・・・・



ライヴ会場は、50㎝四方の枡でフロアが仕切られていた。
モッシュやクラウドで騒ぎたい人は物足りないだろうけど、ただただチバの声とバンドの生音を浴びたい私には、コロナ関係なくこの仕様でライヴ聴けたら良いなぁと思う。
ワタシ的には、ライヴを楽しめる環境、コロナがなければ。

入場は整理番号順で体温チェック、手指消毒徹底していて、スタッフの誘導も丁寧だし、観客もこの一年で慣れて混乱もない。私たちはみんな、できることはやってる、と思う。
……この感じならツアーもできるね!そういう感想見かけるけど。でも。。

入場してフロアにいて思ったのは「ここで感染するかどうかは、もう、運でしかないし、リスクは決して低くはないなぁ」ということだった。50㎝の枡の中で人との接触は回避されてたけど、窓のないフロアでのあの人数は、密閉密集の「密」以外のなにものでもないと思う。

演奏始まってからは、みんな歓声は堪えて頑張ったと思うけど、テンションあがって踊りまくって呼吸は荒くなっていたわけだし、薄いマスク一枚、呼気が漏れないわけがない。開演待ちの間、知り合いと盛り上がって大きな声で喋りまくってた人たちもいた。気持はすごくわかるけど。めちゃめちゃわかるけど。
そっとマスク重ね付けした。

空調のエンジニアやってる友人に聞いた。ライブハウスやカラオケ、音楽教室で、音漏れ防止の気密性と換気(冷暖房ではなく)を両立させるのはすごく難しいと。施工費用も高額になるらしい。コロナ以前に建った平均的な商業施設なら、防音に重きを置いてるだろうから、ウイルスを想定したレベルの換気対応はされてないだろうと。そりゃそうだろうな、と思う。
 

  
   ・・・・・
 
 
運次第?弾丸を1万発装填した銃でやるロシアンルーレットみたいな?
もしも舞台に立ったチバがキャリアだったら、実弾マシンガン乱射するようなもの?ロックだよ、あの声量だよ、ノーマスクだよ(笑)
椅子に座って静かに耳を傾ける旅人の弾き語りなら?
大きなコンサートホールなら?

密閉されたライヴハウスよりは、すこしは安心できるかも。でも、その「安心」にはなんの根拠も保証もない。ほんとに運でしかないのかな。

運でしかないのは、ウイルスをまったく可視化?認識?できないからだよね。
朝起きて体温測るみたいに、入店する時に体温測るみたいに、簡単にウイルスチェックができればいいのに。毎朝起きてすぐに結果のわかるウイルス検査ができるなら、すこしは安心できるよね。

でも、安心と安全は違うんだもんな。
一昨日も、昨日も、今朝も陰性でしたと安心してても、ゼロコロナを実現しない限りは明日にも、いや1時間後にも罹患しないとはいえない。ゼロコロナなんて、第4波とか言ってるのに、まだオリンピック開催して万単位の人間を入国させようとしてる国には不可能だよね。

あーもう考え出すといろいろいろいろ理屈に合わない、整合性も一貫性もない自己矛盾に気が付いて疲れる。疲れて考えるのやめる、そして欲望に流される。運を天に任せて。



だいたいなんで2週間なんだっけ?
その理由さえもう忘れてしまったよ。








キンカン

2021年4月20日 TweetTweet。
キンカン
 
 
美藤@momiji
ソメイヨシノが終わってからゴールデンウイーク前までの季節が好きだ。
若葉がもりもりと萌えだして、ふつか見ないだけでびっくりするくらいに変化していく。
時短要請の間クローズしていた裏庭が開放されたので4、5日おきに出かけている。雨模様の土曜日にも。風はなく、時折細い雨がさらっと降ってくる日で、歩いていて気持よかった。シイノキかな?花が散りはじめで、ビニール傘にたくさん降ってきた。ぱららんぽろんと楽しい音立てて。ちいさな毛虫も一緒に降ってきた。


美藤@momiji
庭のキンカンを収穫する。キンカンはいつも放っておくのだけど、剪定ついでに食べてみたら思いのほか甘くて美味しかったので。でもキンカンって、生で食べると唇にシビレがやってこない? アレルギー?農薬でもついてる?って思って調べたら、テレピンという油成分のせいで柑橘類が皮に普通に持ってるものらしい。
2キロ近く獲れて生食するには甘みにばらつきがあったので甘露煮に。喉弱い私には重宝だけど、使ってる砂糖の量半端ない。


美藤@momiji
樹々は美しいけれど、この時季、とても疲れる。
今日はもう眠くて眠くて、眠くて眠くて。
昼寝は好きじゃない。浅い眠りのわりに覚醒が重いから。
だけど今日は眠くて眠くて。カラダを垂直に保てない。ぐんにゃり。









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