気が付くと、老いることや死ということをつらつらと思っている。
父が亡くなって、正確には父が最後の入院をしてから特に。
老いて病を得て死にゆく人を傍で見て、考えないほうがおかしいか。

それと。父と一緒にいた頃は、私は娘でいられた。
人生の折り返し点を過ぎてはいても、父がいたから娘だった。娘に死は遠い。
父がいなくなったら、次はお前の番だとばかり、いきなり年相応に終の時を思わざる得なくなった。

だけど老いや死について思いながら生きてゆくことは苦ではないなぁ。まだはっきりとではないけれど、もう幾つかコーナーを曲がればゴールが見えてくるんだろうという安心感のようなものを感じる。

死については、死を体験して戻ってきた人はいないから誰もほんとのところを語ってはくれないのだけれど、老いについては吉本隆明が語ってくれてることがなるほどと思うことが多かった。衰弱してゆく父を看ながら感じたことともリンクしたし。


「ご老人の心身は、発掘すべき最新の考古学だという気はしています」

ほんとそうだよね。
老いを情緒的、自嘲的に諦観込めて書いたものは読んだことあるけれど
全人格的、全人間的な老いを発掘して欲しい。

老いるということがどういうことなのか、ちゃんと知りたい。知って体験したい。
なんかこう、楽しみにしたいじゃない?






コメント

はち
2013年6月25日22:00

その前向きさ、目から鱗です
老いはまだまだなのに、最近体調がいまいちで、どうしても前向きになれてなく、反省です

はにゃ。
2013年6月26日10:22

すごく良く解ります。

私はまだ両親が健在なのですが、なぜか自分が老いて死んで逝く道筋をふと、考えてしまうのです。

でも、もし親を看取ったりしたら変わるのかなー・・・・・・。

私は楽しみとはちょっと違うのですが、馴染めるって感じかなぁ・・・・・。

美藤
2013年6月26日11:13

そうですね、楽しみにって言うと「老人力」でも発揮してそうですね(笑)

そういう洒脱さには憧れますが、たぶん私は独居老人タイプというか、偏屈婆あタイプというか(笑)、地味ーに老いていく自分を観察して得々とするタイプかな、と。
はにゃ。さんがおっしゃるように、老いに馴染んでゆきたいのかな。

老いること自体はきっとさほど悲しまないと思うので、そういう意味では前向きなのかしら?いや、まだまだ老いを甘く見てるだけなのかも。

はにゃ。
2013年6月26日13:54

老いも色々ありますしねー。

ボーイフレンドのお父様が最近認知症が進んでいるらしく、ご家族本当に大変そうです。勿論ご本人も不快な様子ですしね。

あんまり長生きせずに認知症にならずに、老いになんとなく慣れて、さよならって出来たら良いなぁ・・・・なんてね、思いますけど。そうそう思った通りには行かないのでしょうねぇ。

美藤
2013年6月26日22:21

>あんまり長生きせずに認知症にならずに、老いになんとなく慣れて、さよならって出来たら良いなぁ・・・・

それが理想ですねぇ。
死の瞬間まで自立して生きられるかどうか、それが最も気がかり。
さよならは、そう簡単ではないかもしれない。

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