サウンド&アート展 ― 見る音楽、聴く形
2021年11月22日 すこし遠いどこか。 コメント (2)アーツ千代田3331でやってた「サウンド&アート展」を覗いてきた。
https://muse-creative-kyo.com/caec/soundandart/
「見る音楽、聴く形」すごく好みのコンセプトだしね。
たぶん好きなインスタレーションが並んでるだろうと思って。
で、好きなインスタが並んでたけど、残念、会場が小さ過ぎたね。
音の鳴る作品が、すぐ近くに並んでいて、一度にデモやったらせっかくの音が干渉し過ぎちゃうから自由に聴くことができない。だから、音を生む作品がつまらなそうに沈黙してただけ。
ひと作品ひと部屋くらいで展示して欲しかったな。
デモンストレーションの時間が限定されてたので、ひとも集まっちゃうし、気配のざわめきもあって音が生まれてくることに耳を澄ますことができなかった。
ダクソフォンのパーツを壁に展示してあったんだけど、その音色は横に置いたヘッドホンで聴くとか。Boomwhackersは壁掛けのモニター見ながらヘッドホンで聴くとか。
ぜん、ぜん、面白くないじゃーん。
ダクソフォンなんて、個室で内橋さんをとは言わないけど音大の学生でも連れてきて奏でさせたら良かったのに。ロングパイプだって自由に振らせたらよかったのに。
クラドニ図形を描く鉄板とか、クルミを投げて鐘の音を鳴らす亀裂の入ったテーブルとか、落下する竹や金属パイプがたてる微けき音とか、楽しくて気持のよい作品もいろいろあったけど、ともかく見せ方、聴かせ方間違えてるよなぁ。
音の生まれる瞬間を聴くには、その前後に長い静寂が必要じゃないの?
音と静寂は対だよね。
読みたい本がたくさんある。
気になる本は次々に見つかるのに、なかなか消化できない。
これ絶対面白いからゆっくり、集中して読みたいと思うのだけど、家だとどうしても夜になる。
昼間、時間を作れないわけじゃないんだけど、珈琲淹れに台所へ行ったついでに「あ、お米研いどこう」とか、部屋に差し込む陽射しが伸びてきて「そろそろ洗濯物…」とか、「あ、門の掛け金が鳴った、誰か来た?」とか、階下のひとの電話の声が微かに聴こえてイラッとか。
私の本を読む時間を敢えて邪魔するひとがいるわけじゃないんだけど、生活の音や気配ってけっこう神経にまとわりついてくる。本を読むって非日常なのに日常が足枷になる。
映画を観るだけのために映画館があるみたいに、本を読むためだけの場所があったらいいのになぁと思ってたら、できてた。
・・・・・
日曜だったせいか席は8割がた埋まっていた。
ひとつ空いていたソファに身体を沈める。
目の前の窓に面したカウンターの7人の読書家たちは本に集中していて、あまりに動きのない背中に「地蔵?」って思ってしまってちょっと笑いそうになったし、あまりの静寂に「なんだっけ、音立てたら死ぬ!みたいな映画あったよなぁ」と身じろぎするのも憚られてちょっと緊張する。けど、読みかけの本を取り出してページを開いたら私もするりと地蔵の仲間に。
オーダーしたレモネードがとても美味しくて。
アイスキューブではなくて丸氷に注いであって、最後まで水っぽくならずに飲み干せた。
短編を5編収録している本の読みかけ3編を読み切って、小腹が空いたので鳥ハム&クリームチーズのサンドイッチを頼む。これもハーブが利いてて美味。
ひとり客ばかりかと思ったら、連れ立ってきてるひとも数組いて。
わざわざ待ち合わせてここへきて、それぞれ別の活字世界に別れて過ごすというの、面白いなぁと。
・・・・・
そういえば。
音楽を聴くためにオーディオ設備のあるホテルに行ったり、本を読むための場所探したりしてるんだよなぁ。
「生活」から離れたい。ちいさな非日常にでかけたい。
こういうのが私の欲しい贅沢。
食べに行ってきた。
hanaさんのコメントにすっと背中を押されて。
さらしなの無花果の味噌焼き。
駅に着いたのが12時半で。
思い切りランチタイムだなぁ、すこし時間潰そうかなぁと思ったけど、私のお腹もジャスト・ランチタイムで我慢できずまっしぐら。
会計をしている客が二組。入れ違いに暖簾をくぐるとちょうどひと波去ったところのようで、ひとり客がカウンターにいるだけだった。
庭の眺められるテーブル席に着いて、ゆっくりお品書きを見る。
見るまでもなくお願いするものは決まってるんだけど、ね。
それでも一応、9月の変わり蕎麦は菊切りかぁ、とか、谷中しょうがの天ぷら美味しそうだなぁ、とか。注文した後も、お品書きをあちこち開いて、あ、銀杏焼き、美味しいよねぇ、でも食べ過ぎるとお腹痛くなるんだよねぇ、とかとかとか。お品書き読んで楽しいって、蕎麦屋って不思議なお店だわぁ。
軽めのジャズピアノが小さな音で流れてて、開け放した戸口から風がそっと抜けて。庭の笹が揺れて。
はぁ、落ち着くなぁ。
温かいほうじ茶が美味しい。
そして無花果の味噌焼き。
ソバの実の食感が、味噌の甘さが、とろける無花果が。
そしてそして鴨汁蕎麦。
鴨肉とネギがたっぷり入った濃厚なつけ汁。生姜を入れて。
つるんとしたお蕎麦に薬味についていた大根おろしをのせて。
大根おろし、美味しい。辛~い、でも甘~い。
蕎麦をゆっくりゆっくり手繰って、なんでしょうね、食べるということをこんなに丁寧に行為するってないよなぁと思う。
中休みのないこのお店の午後はほんとうに良い時間が流れてる。たっぷりの蕎麦湯をつけ汁に足しながらいただいたらお腹いっぱい。う~ん、いつになったら定番以外の料理を味わうことができるんだろう。
ちょっと遠いけど移動の時間も、お店での時間も無花果味噌焼きがくれるご馳走さま。
桜餅の木をながめて半日。
やっぱりこの桜の樹がとても好き。
この見事なドームが一本の樹だなんて。
横に張り出した枝の重みを肘つくようにして支えて、さらに枝を伸ばして。
花をくぐって枝の下に入ると足元まで桜花に包まれる。見上げる桜ではなくて、すぐ隣、肩やひざに触れる高さまで下りてきてくれる桜の花。やさしい桜餅の匂い。枝ぶりの威風堂々に幾千万のたおやかな花。
樹下に抱かれるように紫色の小花が群生している。
桜餅のあんこはムラサキハナナだったのか。
Googleのストリートビューで過去画像が見られるのを知って、家の近所をタイムトリップ。ぶらぶらと散歩していて。
鼻の奥がツンとするくらい懐かしい―なのにすっかり忘れていた―そして今はもうない場所を見つけてしまった。
私鉄の各駅しか停まらない駅の改札を出て、裏道へ曲がってすぐのところにあったお蕎麦屋さん。普通の民家の玄関の脇に、テーブルとベンチ、陽射し除けのパラソルがでている。席はそれだけ。お品書きは「もりそば」と「天ぷら付きもりそば」のみ。飲み物なし。
ここの天ぷらは何度か食べていた。
15,6年前だからまだ実家に戻る前。父がよく買いに行っていた。
安くて旨い、と言って。ほんとに買ってきた天ぷらなのに、からりとしていてとても美味しかった。
それが徳兵衛という蕎麦屋の天ぷらで、その店はMという蕎麦屋の主人が引退して趣味で始めた店ということだった。父は蕎麦は食べにはいかないようだった。「あすこはすごい待たすんだよ」と言って。
待つのも道理だった。
だって、こんにちはと声かけてお蕎麦お願いしますと言ってから、ご主人が石臼でソバを挽くのだから。
そのころ月に一度は実家に顔を出していて、その日、駅から実家に向かうタイミングでお蕎麦食べたかったんだと思う。ふと思い出して、裏道を曲がった。
暖簾は下がっているし、「手打ちそば」の看板も出てるし、ここだよね?と思いつつ入り口が、あるのか、ないのか?その時はまさか玄関脇のベンチが客席とは思わず、覗き込んでたら奥さんが出てきて「召し上がりますか?」と声かけられて「お願いします」と。
天ぷらつきでもりそばを頼んだ。
天ぷら、何種類あったろう。10種以上あったと思う。揚げたての野菜天に、挽きたて打ちたての蕎麦。
「長くお待たせしました」と言ってお蕎麦を持ってきてくれたご主人と、「天ぷら食べきれなかったらお持ち帰りできますからおっしゃってくださいね」ってお茶を足してくれる奥さんと。
普通の民家の玄関先で、すごいおもてなしを受けてる感覚のギャップ。なに、これ、日本昔話の世界みたい~でもお蕎麦美味しい~とふつふつと笑いがこみあげてしまったんだよねぇ。
山盛りの野菜天つきもりそば(お蕎麦もたっぷり)が、1000円でおつりもらった気がする。
趣味でやってる手打ち蕎麦屋なんて、気難しくて蘊蓄に煩そうな気がしちゃうけど、徳兵衛さんのご主人と奥さんは、ここはお伽話の蕎麦屋ですか~~?って思うようなおふたりだった。お蕎麦おいしゅうございました。天ぷらおいしゅうございました。ほんとにほんとにご馳走様でした。ってそんな感じだった。
実家に戻ってからは、仕事の帰りに時間が合えば寄って天ぷらやぬか漬けを買って帰った。夕方、日没前まで、お店から少し離れた角に小さなテーブルを出して天ぷらと漬物並べて、奥さんが隣の椅子に腰かけて売ってらした。近所の人は美味しいの良く知ってるから売り切れてしまうのも早くて、帰りがけにまだ奥さんがいるとラッキー♪って思った。
天ぷらがいくらだったかなワンコインでおつりきた。もちろん山盛り。
ぬか漬けがひとふくろ100円かそこら。大根、キュウリ、なす、、スーパーとかでは100円では絶対買えない量と味。
その頃は、お蕎麦はあまりやってなかったみたいだ。
親父が腰痛めて蕎麦打ちがつらいらしいよ、とは父情報。
駅前の再開発が粛々と進んで、徳兵衛さんちの道の向かいは更地になっていて、隣接する住人の立ち退き待ちのようになっていた。それが何年ごろだろう。
2009年か2010年かな?
ストリートビューでみつけた徳兵衛さんは2009年7月。白いパラソルが開いているから、まだお蕎麦出してたのかな。
いまこの近くを歩いても、あまりに変わってしまってこの道がどれだか見当もつかない。キレイに整地された駅前のロータリーに呑み込まれちゃったのかな。
東日本大震災があって、父が亡くなって、家族や仕事やまつりごとに憤ったり草臥れたり、あれやらこれやら心を持ってかれているうちに年月が過ぎてしまった、ことにさえ気づかずにいた。
徳兵衛さんのお蕎麦は結局あれっきり。一度しか食べられなかった。
なんだか、あのパラソルの下のベンチごとお噺の世界に帰っちゃたんじゃないかって気もしちゃう。だったらいいのになぁ、、、なんてね。
こどもの国へ行った。
こどものいない、こどもの国。
多摩丘陵の広いひろい冬枯れの芝地。
乾いた青い空の下には水の抜かれたプール。停車したままのミニSL。
長いながいローラー滑り台も、カラフルなアスレチックジムも静まりかえっている。
ぽつりぽつりと幼児を連れた家族の姿もあるけど、こどもの数より動物を模した遊具の数の方が多いだろう。ライオンの笑顔もゴリラの笑顔も凍りついている。
この風景はもしかしたらホラーかも?と可笑しくなる。
淋しくはないけど、あまりの広大さに、冬晴れの明るさと暖かい陽ざしがあって良かったぁと思う。
1965年開園の、昭和な遊園地にいまどのくらいひとが来るのかわからないけど。
コロナの緊急事態宣言下でスケートリンクもイベントも休止中だし、厳冬の1月だし、月曜日だし、ね。
ここへはイサムの遊具を見に来た。
札幌のモエレや高松のアトリエに遊びに行った頃に、「こどもの国」の遊具もイサムが直接手掛けたというのを知って、近いからそのうち見に行こうかと思って、、何年?
昨秋から公園巡りをしていてふと思い出して行ってみた。
園内の北西、椿の森の入り口、閉鎖された大温室の先にひっそりと赤いオクテトラが遊んでた。トンネル遊具の丸山はこじんまりと小さくて、石組みのエントランス通路も苔生していい感じ。まあ、こどもは遊びにここまで来ないだろうけど。おとなも来ないかな?行き会ったのは遊具の点検をしてるスタッフと椿の写真を撮っていたおじいさんだけ。
この、ほうっておかれて、サビシイようで、でも淋しくない感じがイサムの遊具の空気なんだよね。たぶん、遊具のフリしたオブジェだからなんだろうな。
オクテトラを眺めながらランチして、五分咲きの椿の森と裸の桜並木を歩いた。
小さな鳥がたくさんいた。メジロやセキレイ。コゲラのドラミングは案外音がよく通る。一心不乱に木をつついてた。首痛くならないのかしらね。
冬陽がまだ暖かさを残しているあいだに、ホントにサビシクならないうちに、こどもの国を出た。
レンガ壁の薄暗い階段を登りきった、青い光のさきは旧万世橋駅のプラットホーム。ベンチの左右、至近距離を中央線が走り抜けてゆく。
また知ってる店がひとつ、無くなってた。
ご飯食べて、お茶して神田川眺めてゆっくりしよう、と思って行ったら閉店の貼り紙見てがっくり。
神田まつやでお蕎麦?ちょっと気分じゃないしなぁ。
とりあえず近江屋のショートケーキ食べて考えよう。
と思ったら、イートインがコロナで休止中。
さて、と。どうしようかなぁ。しばしぼんやり。
あ、左手先に総武線が走ってる。右手のさきには山手線?京浜東北線?
なかなか面白いロケーション。撮り鉄さんとかいっぱいいてもよさそうなもんだけど、親子連れが一組いるだけ。バギーを降りた男の子は「でんしゃ」に釘付けだったけど。
で、どうしよう。
これがコロナトーキョーの現実か。
でも、どーしよーかなーってぼんやり歩きだす方向を探す時間は好きだから、いいや。不要不急以外のナニモノでもない。こういう時間でリフレッシュする。
ひさしぶりに、少しだけ遠出。
遠出、といっても県境は越えていないし、西へ向かって各駅電車を40分ほど行っただけ。
平日午後の郊外電車はひともまばらで、多くなっても1車両に3人程度。
窓外を6月の緑が流れてゆくのをぼんやり眺める。それだけで呼吸が深くなる。
こういう時間がほしかった。
ここからここへ、移動する少しの時間。
記憶のカケラというのは、どこにでも転がっているものだな。
駅のホームに降り立った途端に、あの日の感情が薄く甦る。
あれはいつだっけ、と過ぎた年を数える。
あれからなにが変わったかな。なにも変わってないのかな。
東京の西の端から東を眺める。小さな棘のようにスカイツリーが。
あの時はなかったね。
元気でいてください。
最近、東京の東側にいくつもOpenしているCafe & Hostel の一軒に泊まってみた。
一度、Cafeを使ったことがあって。
ゆるくて何時間でも過ごせそうに居心地が良くて、Hostelのほうもどんな感じか見てみたいね、なんて話してた。なら、見に行こうじゃないか、と。逃亡者が逃げ込むにはちょうどいいかも、と。
個室と迷ったのだけど、ドミトリーを体験してみるのもいいかなと思い、女性専用8ベッドルームを予約する。
個室でもドミトリーでも、トイレ、シャワー、キッチン、リビングが共用なのは同じだし、断然安いし。
使ってみたら大正解。
宿泊者はバックパッカーの外国人が多くて、ベッドやキッチンのサイズが外国仕様でゆったりしてるし、聞こえてくる言葉は外国語だし、なんだか私が外国に来てるみたいな気がするほど。ベッドは私を入れて4ベッドが埋まってたけど、連泊して観光に出てるようでベッドルームの滞在時間が短い。遅く帰ってきてさっさと寝て、翌日も朝から出かけてるようで、<滞在>してる私とは完璧素敵なすれ違い。
2段ベッドの下をもらって、カーテンを閉めてしまえばお籠り感が半端なくて楽しい。こどもの頃、2段ベッドって憧れたんだよね。
キッチンは必要な道具、調味料がすべて揃っていて、大きな冷蔵庫には名前の書かれた食材がいっぱい。この次は食材買っていこう♪
チェックインも一応16時からなんだけど、13時くらいから受付してくれるし、チェックアウト11時で部屋を出てそのままCafeでブランチしてればほぼ24時間滞在できる。ゆるゆると。
ホテルのデイユースもなんどか使ったけれど、ビジネスホテルは味気ないし、ちょっといいシティホテルは高い割に使い勝手悪いし、それならここのほうがずっと安くて非常に居心地が良いと思う。
ここは私の隠れ家にしよう。
ちいさくちいさく逃げて、戻る。
そんな感じでやり過ごそう。
ボルタンスキー大回顧展
2019年8月1日 すこし遠いどこか。クリスチャン・ボルタンスキーの表現は、ストレートで心馴染が良い。
作品を前にして考え込まなくていい。死や記憶、魂や亡霊についてぼんやりと想っているだけでいい。彼の心臓音や、悲鳴のような風音、300の風鈴のささやきあう響き、<Tell me 教えて>と問う声を拾いながら、隣にはいない誰かを想えばいい。
ボルタンスキーのインスタレーションは死を想う空間で、墓地や教会、寺院、盆棚を設えた座敷のような彼岸と此岸を重ねる場所。そういう時空に憩う感覚が、私は好きだ。
作品のどれもが、<知っている>感覚がする。
あれは、520足の靴だ。あれは、荒野の風車だ。あれは…。
きっとそれは普遍的な表現だからで、<死>はきっと誰もが知っているものだからだと思う。
常設展ならいいのにと思う。時々、訪れてぼんやり過ごしたいと思う。
・・・・・
できれば。
豊島の心臓音のアーカイブを先に体感できたら良いと思う。遠いけれども。
それから。
24番では作品を見て、それから作品に背を向けて壁を見るのを忘れずに。
2019.7.29 国立新美術館
BONNIE & CLYDE 赤毛とソバカス 西洋乞食 MORE サムタイム マッチボックス ハム&エッグス チャチャハウス D-ray アウトバック 西海岸 ルーエ オールドクロウ Funky レモンドロップ JOHN HENRY’S STUDY……and more.
これ見て、「吉祥寺ね」ってわかるひととは、ペニーレーンですれ違ったりしていたかもね。遠い昔に。80年代。
中央線沿線はどこもそうだったけど、吉祥寺は喫茶店文化の濃い街で、高校、大学の7年間は入り浸ってた。Cafe & Bar だけど、ジャズ喫茶と言うほうが雰囲気にあってるかも。Jazz聴きに、じゃなくてマッチ集めが目的で行き始めたんじゃないかな。流行ってたの、マッチ集め。どこもマッチがとても洒落てて。
はじめてカクテルを飲んだのはサムタイムで、ヴァイオレットフィズだった。めっちゃベタだ(笑)ジン・ベースのお酒って飲みにくいのにね。色がキレイで頼んでたんだろうな。下戸の私が唯一飲めるカクテルを置いてたのが西海岸で、サンセット・クルーズという名前だった。ははは、文字にしてみるとカクテルの名前ってけっこう恥ずかしい。ウォッカをソーダとグレナデンシロップで割ってある。グレナデンシロップのザクロの色でサンセット。ロマンチックだ(笑)
上にあげたお店も、いまはもう半分しかない。
このあいだMOREに四半世紀ぶりに行った。ママゴトCAFEの栄華盛衰激しい吉祥寺で営業してるだけでも奇跡的だけど、雰囲気も変わってなかった。
終日喫煙可のお店だけど、マッチはもう置いてないだろう。いまは、居酒屋でさえタバコの煙辛いと思っちゃうのだけど、吉祥寺のこのへんのお店はわかってて入ってみたくなる。なんだろ。ノスタルジーってひとのガードを緩くするんだね。
お店のカードもらって帰った。
これらのお店、週に3日4日は行ってたと思うんだけど、実家を出て吉祥寺に住むようになって行かなくなった。そんなもんだよね。
ひさしぶりに行って、また他の、残ってるお店も行ってみようかなんて懐古モードになっちゃうのは、人生の名残りを意識するようになったからかな。そういう年齢、ってことね。まぁそれも楽しいか。
分け入っても分け入っても
2019年6月10日 すこし遠いどこか。 コメント (2)山梨県の甲府から埼玉県の花園へ行くことになり、中央道―関越道という選択もあったけれど、奥秩父山越えルートを行くことになった。
国道140号線、分け入っても分け入っても山また山、抜けても抜けてもトンネル、、、。
雁坂トンネル。よくもまあ、こんな山の上にこんなに長いトンネルを掘ったものだ。アクアラインに次いで二番目に長いんだって。運転手はここを通ってみたかったらしい。
海抜。甲府が260m。秩父240m。その途中に標高2000mの雁坂峠。
ぐんぐんぐんぐん標高があがってゆくのがわかる。鼓膜が感じ取る。
6キロを超す雁坂トンネルの途中でピークを迎えて、そこから標高が下がってゆく。トンネルを出ると急なカーブが連続して、車高の高いワゴン車は左右に振れる。サイドウインドウを見ていると6月の木々の緑が渦巻くように速い速度で流れ目がまわる。フロントガラスから遠くの空に視線を逃したかったけれど、あまりに山が深くて空も見えない。おまけに梅雨の低気圧。
このルートはきつかったぁ。酔った。
車酔いなんていつ以来だか、記憶にない。
三半規管弱ってるからかなぁ。
耳と目と体感から攻められて降参。
早いお昼であまり食べなかったので惨事にはならずに済んだけど。
埼玉に入って奥秩父もみじ湖を過ぎるとおおきなループ橋があってゆるくまわりながらいっきに山を下る。下りきった集落の途中で背後に見えた滝沢ダムの壁が怖かった。このダムが崩壊とかしたら…って考えずにいられない禍々しさ。
同乗者から奥秩父山塊って霊場や修験道も多いと聞いて、灰色の雨雲が垂れこめた山はなんだかとても息苦しく感じた。
怖かった。酔ってたから余計ね。
<山梨県山梨市→埼玉県秩父市・大滝 雁坂トンネル>
https://www.youtube.com/watch?v=DZ1peYwcgRw
時間/彫刻‐時をかけるかたち
2019年6月3日 すこし遠いどこか。高い天井、白く塗られた壁、高い位置によっつ並んだ縦長の窓。クラシカルな空間にふんわりと浮かんで泳ぐ透けるグレイの布。
何日か前に、Twitterで流れてきた動画が気持に残った。
この場所で、ながめたいなぁと思った。たぶん、きっと好きだ。
東京藝大キャンパスにある陳列館が会場で、鶯谷のライヴの日に観に行けるかもしれないと思った。
上野の森、行けば楽しめるだろうと思う展示がいつもいっぱいあるのだけれど、なかなかそのためだけに出かけてはゆけなくて。ひと混みも嫌いだし。
これは芸大の学部展だし空いているんじゃないかなと期待して寄ってみることに。
公園口から入って、予想通りのひと混みを避けて木立の中に逃げこむと、新緑の香りと風にそよぐ樹々の音が心地良い。自然樹形のまま枝を広げる大きな木がたくさんあるのは良いなぁ、樹齢どのくらいだろうと考えながら「東京骨灰紀行」を思い出す。戊辰戦争でここは焼け野原になったんだっけ、そうだここは死屍累々の代表地だった、、なんて。焼け野原から樹高20メートルのケヤキが育つまでの時間を思う。150年あまりの時間。
木立を抜ける。泣く子も黙る天下の国立科学博物館のシロナガスクジラを横目に、「国宝 東寺」の特別展をやっている東洋館も通り過ぎて芸大キャンパスへ。
おなじ上野の山に隣接しているのだけれど、公園エリアと大学エリアで明らかに空気感と時間の流れが違う。今日の数時間に訪れて去ってゆくひとたちと、ここで数年単位の時間を過ごすひとたちと。もちろん私も前者のひとりなのだけれど、時間を欲張らないで、立ち止まってキャンパスの片隅にお邪魔する。
思った通り、芸大の陳列館はひともまばらで、訪れる人も静かな気配を持っていてとても居心地が良かった。
観たかった「時間/彫刻‐時をかけるかたち」も。
なんの説明も必要としない、こういうインスタレーションが好きだ。観れば、時の流れが風になってかけてゆくのがわかる。時の揚力にひるがえる布は優しい空間で柔らかく踊りつづけている。この布になりたい、と思う。
「時間/彫刻‐時をかけるかたち」
東京藝術大学大学美術館 陳列館 2019.5.30
横浜へ行った。
元町・中華街駅で降りて、お昼はなにを食べようか。
ボリュームのある中華料理だと、ひとりでは結局セットメニュになってしまうので、さて、と悩んで謝甜記へ。3組並んでいたけどすぐに入れた。
さらっとした中華粥が好きで。
以前、住んでいた街に美味しい中華粥が食べられるお店があって、ときどき行ってたんだけど、いつのまにかメニュから消えてしまっていた。きいたら、4~5時間かけて炊き上げても、売り切れない日が多いからと。大鍋で炊くし日は越せない。街場の中華屋へ食べにくるお客で粥を頼む人は多くない。日本の粥との違いを「米の花が咲くように炊く」とそこで教えてもらった。
謝甜記は2号店へ。五目粥の中椀と、水餃子を頼む。お粥についてくる搾菜と薬味のネギが美味しくてお粥が進む。普通サイズのお粥にすればよかったかなと思ったけど、水餃子は皮がもっちりして3個でもボリュームあったのでお腹いっぱい。
謝甜記から2分の京華樓へ。
辣油はいろいろ試したんだけど、友人お勧めのここの辣油は唯一ひと瓶食べきった。なので元町まで来るなら買って帰りたかった。
そこから向かいの隆泰商行へ。お茶の香りを利かせてもらって、見た目と香りが気に入って花茶を2種、バラの蕾の「金辺メイクイ」と菊の「貢菊花」、それとドライアンズを買う。
中華街でゆっくりできるお店を知らなかったので、スタンドでタピオカミルクティを買って港の見える丘公園へ。
港の見える丘公園なんて、来たの何十年ぶりかしら。
車の免許取って最初に来たのが横浜だった。まだ教習所に通ってたボーイフレンドを乗せて、私が運転してきたのよね。思い出すと冷や汗でる。横浜は、三多摩原人の青春には欠かせないデートコースだった。ユーミンの歌みたいにね。相模線に揺られる気持もわかるんだな。あ、相模線のゆく先は茅ヶ崎だった(笑)
数十年ぶりに来た港の見える丘公園。こんなロケーションだったっけ?もっと<港の見える丘>に似合ったのんびりした景色だった記憶があるけど、<港湾倉庫の見える高台>って感じ。そういえば、その頃は大黒ふ頭にあんな橋架かってなかった気がするんだけど。首都高と繋がる前の話ね。
山下公園で年越しのカウントダウンしたこともあったな。
東京の都心部の街より横浜へ行くほうがウキウキするかな、いまでも。
17時、まだ陽は高くて暑いけど、丘を下って横浜ベイホールへ。
The Birthday の2019年ツアー初日だぁー♪
なんかもう、じわじわくる。
昨日、はじめて訪れた町でモツ焼き屋に入った。そこで小一時間過ごしたんだけど、そこで見ていた光景が、そこで食べたモツ煮込みや漬物の味が、そこで交わした小さな会話が、そのすべてが、一日経ってじわじわと嬉しくてしかたがない。
京成電鉄の駅前の、古い商店街の中のモツ焼き屋。通りすがりに見ると、行列ができていて、ぞくぞくとおじさん達が最後尾をどんどん後ろに伸ばしてゆく。まだ3時をまわったところだよ?すごい人気店らしいと思いながら通り過ぎて、帰り際5時ごろ通りかかると、行列がない。もしかして5時で閉店?中休み?まさかね。出てきた人に閉店ですか?って聞いたら、いやいややってますよ、、といわれ、せっかくだから入ってみようと、暖簾をくぐる。おお!店内壮観、おじさんでぎっしり埋まっている。
店の大将らしい親爺さんが「はい、そこどうぞ」と案内してくれて友人と二人幅45㎝位の細長いテーブルにつく。その狭いテーブル挟んで向かいには仕事帰り(というには早くないか? 笑)のスーツの二人連れと、地元の常連さんらしきお父さん。なにこれめっちゃ近くないか?と思ったけど、なんでか嫌じゃなくて。
友人がビール、私がウーロン茶(ごめんね大将 笑) お品書きが「もつ焼き・もつ煮」としか書いてなくて部位が判らない!とりあえず煮込み頼んで、あとは店内を飛び交う注文の声を盗んで焼き物を頼む。
私の隣に来た年配のお客さんがなにやら暗号のような文言唱えていて、出てきた白いブツが気になって「すいません、それはなんですか?」と訊いてしまう(笑)それができちゃうくらいお隣と近いんだよ。「だいこんしょうがおすだけ、っていうとこれ出てくるの。漬物。僕はお酢だけ」って教えてくれる。なるほど、ありがとうございます。45㎝隔てたお向かいに座ったこれまた常連さんな女性がやっぱり漬物頼んでいて、そっちにはキュウリも載っていて、あ、これ食べたいなと思い「これ、どう言って頼めばいいですか?」訊く(笑)
で、出てきた「おしんこ」を見て女性が「ショウガってつけると、紅ショウガ大盛になるの」なるほど、彼女のは紅ショウガいっぱい乗ってる。にこにこしながら、コップ酒すすってる。盛りこぼしの酒をコップにひょいとうつす仕草も慣れた感じで寛いでみえる。
みなさん、早い時間からの焼酎コップ酒なのに、なんとも機嫌よく気配りよく、気持ちがいい。ふらふら迷い込んで、ウーロン茶飲んでる私にも寛大(ウーロン茶の瓶おいてあるから下戸は一目瞭然 笑)だし。
で、とりわけじわじわ楽しく思い出すのが、店の真ん中に立ってすべてを仕切る大将。ひっきりなしに飛んでくる注文を確認して後方の焼き場調理場に伝える、一升瓶もってお代わりを注いでまわって、ついでに注文を聴く。焼き上がった皿をもって「はい、ハツ塩、頼んだ?頼んでない、じゃこっちだ」とさばいてゆく。お勘定の声で皿を数えてオアイソして、相席の客に声かけて出入りしやすいように誘導する。次の客が複数ならひとり客につめてもらったり移動してもらったり。「はい、そちらさん、そろそろお勘定だね」って言って席を空けるように促す。それで機嫌よくお勘定して席を立つ客。ここは、コップ酒3杯までが暗黙のルールってさっき知った。だからあんなに長い行列がはけて行くんだ。回転が良い。
黙々とモツを焼くおばさん、せっせとお皿を洗ってゆくおかあさん、煮込みやお新香、生モツをもって調理場を出たり入ったりの別の親爺さん。入ってきて座って飲んで食べて立って出て行く客、また入ってきて座って飲んで食べて出て行く客、客、客、、、をどんどんさばいてゆく司令塔の大将。壁際の席から店を眺められる位置で、店のひとと客の動き、それを采配する大将の存在感がちょっとしたエンターテインメントだった。
堅気に商売している昭和の親爺をみると、なんでこんなに嬉しくなっちゃうんだろう。
この店は町の看板のような有名店だった。
常連さんが多くて、注文はほんと暗号で、でも一見にも寛容で、全席禁煙で、ひと皿すべて200円で、コップ酒の注文は3杯半(最後の一杯は半分注ぎしてくれるらしい)
……で、なんと酒気帯び入店不可!ええ?!モツ焼き屋なのに?(笑)でもほんとそうなんだって。つまり「一軒目」に軽く一杯やりにくる客で回ってる店。そりゃそうだよね、酔っぱらいがあんなに長い行列を我慢して並ぶわけがない(笑)
なんか、ほんとうに面白かった、楽しかった。5時に通りかかった時行列してたら並ばなかったと思う。そうしたら柔らかく煮込まれたモツや香ばしく焼けたナンコツも、ほどよい酸味の糠漬けも食べられなかった。運が良かった。
この夜に行ったコンサートホールで、フルオーケストラの前に立ったコンダクターにも負けない大将の指揮っぷり、見られて良かった。一夜明けてもじわじわ嬉しい。
豊洲へ行くのに、新橋からゆりかもめに乗った。
有楽町線で行くほうが早いんだけど、ゆりかもめなんて乗る機会がないからちょっと遠回りしてみる。
レインボーブリッジにお台場、 これぞThe Tokyo 観光?眼下に広がる煌びやかな光の海?と思って乗ったら案外地味だった(笑)
陽が落ちた5時過ぎ。オフィスビルは祝日で、マンション群にはまだ住人が帰ってなくて…そんなとこかしら?人口の光が輝きだすには時間が中途半端だったのかも。
車内が明るいから、窓外の暗闇に点々とまばらに連なる光はなんとなく侘しくて、港区台場というよりは、広い空っぽの河川敷の彼方の街灯のようで心細い気持になる。レインボーブリッジも、そこを渡っているときはイルミネーション見えないしね。
さっき右の窓に見えてた東京タワーが、左の窓に現われたり、後方に光ってたりして、なんだか化かされてるような気がしたけど、ゆりかもめってあの埋め立て地をぐるぅ~っと大回りして進んでいるのに気付いて、あっそうか、と。
だけど、やっぱり東京タワーは私のランドマークなんだな。毎回、あ、東京タワー!って、ちょっと嬉しくなる。コドモか!(笑)
豊洲でのライヴが終わって会場から外に出ると、晴海、月島方面に建ち並ぶタワーマンションの窓にたくさん灯が入っていて綺麗だった。
それ眺めながら「光る蟻塚」を連想する友人の発想力には感心する。確かに、生きものの営みとしてはまったく同じものだね。
このあいだ行った浅草で思ったけれど、東京に住んでいると、知ってるつもりになっていて実はもう何年も実際に見てない街並み知らない沿線がいっぱいある。ついで、で寄り道してみるのも面白い。旅先ではただ街を歩くだけが好きだから同じことだ。環七の内側なんて用がなければ行きたくないと思う東京ローカル育ちだけど、東京の遊び方はいろいろあるね。
https://www.youtube.com/watch?v=tNka5saiVrc
美しかった。
冬至の翌日の、宵の浅草は美しかった。
仲見世の人混みを避けて、言問い通りを越えて歩いた浅草三丁目界隈。
朝からぱらついた雨が道を黒く染めていて、早々に灯った街灯が湿った空気にほんのり霞んで。祝日だからか日曜だからか仕舞いが早いのか、シャッターの降りた店も多かったしマンションの住人はまだ帰宅していないのか灯のない窓も多かったけれど、宵が深まってゆく時間に開けている店の灯りがぽつりぽつりとあって、その闇と灯りの按配がとても心地よく美しいなぁって。
気温はあまり下がらなくて、雨は上がっていて。
すれちがうひとがご近所さんなら「よいおしめりで」と挨拶かわしたくなるような気温湿度。
適当に角を曲がったら、見事な宮造りの屋根を持った銭湯があって、ついついスマホを構えてシャッターを切ったけれど、やっぱり無駄で。この日の宵時の、この場所の空気感は写し込めてない。吾妻橋からのアサヒ金雲古とスカイツリーの景観までも美しく見えたこんな宵は、ただただぼんやり街に溶けて歩くのがきっと正解。
ほんとうに美しいと感じる景色は撮るものじゃない。スマホの画面を覗く間も惜しんで眺めよう。
浅草へ出るのに、ターミナル駅を避けて楽に行けるルートが判ったし、入ってみたい喫茶店やまた行きたいお店がいくつもみつかったのでGoogle mapにチェックを入れた。
またこんな美しい日に歩けるといいのだけど。
浅草土産は11.5㎝のささら。
おろし金の掃除用。
こういう小さな道具がなぜだか好き。
バスに揺られて、野川を渡ったところで思い出してしまった。
「あ…ここから志美津やが近い」
思った瞬間、左手が動いて降車ブザーを押していた。
バスを降りてからHPで定休日を確認、よかった、開いている。
季節のお品書きには牡蠣天の文字。心の中でガッツポーズ(笑)
とりあえず野川に向かって歩き出す。かきてん、かきてん、らんらんらん的なジングルもどきが頭の中でぐるぐる鳴る。
適当に曲がって喜多見駅方面に行けば近いはず、、、、、、が。甘かった。駅から歩けばほぼ一本道なのだけど、野川のほうから向かったことなかったから、世田谷界隈の迷路のような路地を忘れていた。この辺は戦災で焼けてないので道が昔のまま、右に左にゆるくカーブしていて、太陽を見て歩いていたのに気がつくと自分の影が前にあったりする。あらら。
背を向けたはずの野川に2度出てしまってはさすがに降参、川縁のベンチでGoogle mapを開く。
バス停から10分で着く距離を40分の遠回り。
でも秋晴れの古い住宅地の迷子はけっこう楽しいし、ゴールには牡蠣天(笑)
去年も一昨年も食べそこねていた牡蠣天せいろをお願いする。
中休みなしの住宅街のお店の、午後3時半。先客はなし。このくらいの時間のお蕎麦屋が一番好き。
ここはBGMもなくてほんとうに静か。こぢんまりした店内がとても落ち着く。
ほんと呑めれば、蕎麦前の冷酒を一合とかやりたいなぁ。
大葉の巻かれた牡蠣天3つに、シシトウ、茄子、舞茸の天ぷら。
十割のお蕎麦も、とてもきれいで美味しい。
ここのお蕎麦に山葵をちょっと乗せただけで食べると、お蕎麦と山葵が最高の相性って思う。
美味しかった、心からのごちそうさま。
満足まんぞく。
熱帯環境植物館&Saigenji
2018年9月24日 すこし遠いどこか。高島平にある、熱帯環境植物館へ。
Saigenjiというアーティストの「樹海」の曲が好きで、一度ライヴでもと思っていた。熱帯植物園でフリーライヴを演ると知って、「あら、ぴったり!」と遊びに行ってきた。
ライヴとの合わせ技だったんだけど、会場になったそのちいさな植物園が楽しかった。
地下のミニ水族館と回廊式の1階2階、小一時間で回れてしまう規模なんだけど、うちの庭にはない花や樹がいっぱいで、近所の子供たちをかき分けて葉っぱに触ったり花の匂い嗅いだり。うん、ずっとクンクン匂いを聴いていたかも。
ちゃんとわかったのは、コブミカンとプルメリアとジャスミン、イランイランくらいだけど。もちろん解説読んで。
ヒトの、私の鼻でわかるのは、「花の匂いだ」って程度で、生花の甘さと青臭さのバランスくらいまで。特徴が際立った精油はまた別のものなんだなぁ。
イランイランの蕊にはアリがいっぱい登って来ていたから、虫にはもっとちゃんとわかってるんだろうけど。
途中にタマリンドの木があった。高さ2mくらいの、まだ細い若木。でも葉っぱ、愛らしい。
一昨年だったか、相模原にあるベトナム食堂に行ってお土産に買ったタマリンドの実、食べた後の種をとってある。瓶に入れて飾ってるんだけど、まだ生きてるかな。播いてみようか。発芽させるには気温下がりすぎたかな。
どのみち冬は越せないし、ちいさな鉢に播いてみようか。また、あのかわいらしい発芽の姿がとても見たくなった。
ああ、写真を一枚も撮らなかった。
楽しいと写真撮るの忘れる。
Saigenji 20180924
#Chega De Saudade
よかった、今年は間に合った。
毎年、夏のあいだじゅう無花果の味噌焼きに恋い焦がれている。
前に住んでいた街からはさほど遠くなかったんだけれど、いまは「わざわざ行く」感じの距離になってしまって、だから余計に食べたくて食べたくて。
でも梅雨が明けてしまうとあまりに暑いので、わざわざの距離がことさら遠く感じられて出かけられず、気がつくと無花果の季節が終わって食べそこね、、で2年ぶりかな。
今日は、時間と気持にいっぱい余裕があったので、市ヶ谷で用事を済ませた後九段下まで歩いて東西線に乗り、高田馬場で西武新宿線に乗り換えた。「用事のついで」とはまったく言えない方向なんだけど、こういう寄り道回り道をしている時、のびのびうきうきと自由だ。
最寄駅を降りたのは5時をまわったところ。日没にはまだ間があるはずだけど、雨模様の空が暗い。路地を曲がると黄昏にお店の灯がぽぅっと浮かぶ。
灯ともし頃の蕎麦屋ってなんて美しいんだと感激する。大袈裟(笑)
打ち場の見えるカウンター席に座って、無花果の味噌焼きと鴨汁蕎麦をお願いする。ここは季節ごとの変わり蕎麦も美味しそうなんだけど、冷たい蕎麦を温かいつけ汁でというのが好きでやっぱり鴨汁蕎麦を頼んでしまう。どうしても定番外せない性格(笑)
卵焼き好きだし、イカの沖漬けも食べたいし、海老と冬瓜の冷やし鉢も美味しそう。揚げ出汁豆腐も! 子持ち白魚の天婦羅は何月だっけ?新玉ねぎの蒸したのとか、下仁田ねぎの酢味噌和えは冬だよねぇ? 夏の蕎麦のレモン切り、笹切りも食べたいと思いつつ果たせずだし、、、食べたいものあれこれ食べるにはやっぱりひとりじゃ限界があるよねぇ。
無花果の味噌焼きと鴨汁蕎麦はたいへん美味しゅうございました。
満足まんぞく♪
あ、写真の無花果はひと切れ食べた後です(笑)