「家族ゲーム」

2022年2月5日 映画
「家族ゲーム」
「家族ゲーム」
 
 
目玉焼きから思い出して、AmazonPrimeで視聴。
1983年。うわぁ、もう40年も前の映画なの??



いま観ても面白い!
……と、言えるのかどうか??
観だしたら飽きずに観ちゃったけど。
松田優作も伊丹十三も宮川一朗太も由紀さおりも、ヘンなんだもん(笑)
当時どう評価したのか、いまどう評価したらいいのかわかりません。


公開された頃って「ATG」ブームみたいのあったよなぁ。
時代はバブルだったし、逆になんとなくサブカル指向してみるみたいな。
中央線文化、新宿・高円寺カルチャー、いや、それはそれで思い出すと恥ずかしいけど懐かしいか。ん~ワタクシ的にはあんまり懐かしくはないな。ビンボ臭いし。

1983年公開の映画
https://ciatr.jp/movie/date/1983

同じ年に「ディーバ」とか「カルメン」が公開されてるのね。
大好きだし、時々観返したいと思う。「画」が美しく「映」えるもんね。

東宝の「細雪」もこの年なんだけど、絢爛豪華な映像美っていうと谷崎になっちゃうの?桜吹雪か降りしきる雪が背景で。う~ん…。あ、こっちにも伊丹十三でてる。自分で映画撮りはじめる直前だね。

映画のはじめと終わり、ボートに乗る松田優作の後ろに伊丹十三一家の暮らす巨大都営アパートが映るんだけど。
40年後のロケーションの下手くそな合成感のあるリアルが一番びっくりした。


勝鬨、豊洲一帯。
映画撮影の頃の工場群の残る埃っぽい風景から、開発されて高層ビルが蟻塚のように林立して、そしてコロナ禍の2020年代、巨大アミューズメント系施設が閉館してる。オープン時のコンセプトが役目を終えての建て直しと言ってるけど、衰退感は否めない。
アート系シアターのランドマークだった岩波ホールも閉館する。

この40年はなんだったのかな。
過ぎてみればひたすらビンボだった気がする。






「ヒロシマモナムール」
 
 


日本人の男性の肖像

それは、ほぼ四十歳の男である。背は高い。彼はかなり《西洋化された》顔をしている。
西洋的なタイプの日本人の男優の選択とは、次のような具合に解釈されなければならない。
非常に際立って日本的なタイプの日本人の男優だと、主人公が日本人の男性だから特に、そのフランス人の女性が彼に魅惑されるのだと思わせる危険があるだろう。したがって、望むと望まざるとにかかわらず、異国趣味のわな、そして、すべての異国趣味に必ずついてまわる無意識の民族主義のなかに、また落ち込むということになるかもしれない。
<中略>
彼は、横顔はほとんどフランス人のようだ。高い額。大きな口。くっきりしているが無情な唇。どの角度から見ても、不正確な(不分明な)線は見えない。
要するに、彼は《インターナショナルな》タイプの男である。彼の魅力は、壮年期に達した男のもので、早すぎる疲労もなく、表面を糊塗するごまかしもないものだということが、すぐに皆にわかるようでなければならないだろう。
彼は技術者である。彼は政治にかかわっている。それは偶然ではない。技術は国際的である。政治的な協調の活動もまた国際的なものである。この男は現代人であり、本質的なことについては世慣れている。彼は世界のどのような国にいても、まるで途方にくれるというようなことはないだろう。
彼は肉体的にも精神的にも年齢と合致している。
かれは人生で《ごまかし》をしなかった。そんなことをする必要がなかったのだ。彼は、その生活にいつも興味を持った男である。それも、いつも十分に興味を持ったので。自分のうしろに青春の悩みを《引きずる》ことなどなかった。その青春の悩みというやつは、じつにしばしば四十歳の男たちを、自分に確信があるという様子をするために、うまく発見できるかもしれない為すべきことを今なお探求中といった偽りの若者たちにしてしまうのである。彼の場合、たとえ自分に確信がないとしても、それは好ましい理由にもとづいているのである。
彼ははっきりした粋好みではないが、また、身のまわりをかまわないわけでもない。彼は遊び歩く男ではない。彼には愛している妻と、二人の子供がいる。一方において、彼は女たちを愛している。しかし、彼は決して、《女たちの男》の経歴を歩いたことはない。そのような種類の経歴は、軽蔑すべき、その上いかがわしい《取り替え》の経歴だ、と彼は思っている。
彼が若いフランス人の女性と真実のアヴァンチュールを生きたのは、まさにこのためである。というのは、彼は行きずりの恋の美徳を信じてはいないからであり、しかも、その場において、彼はそのフランス人の女性と、ひとつの行きずりの恋を、こうした真摯さ、こうした激しさをもって生きたからである。

  ***

フランス人の女性の肖像

彼女は三十二歳である。
彼女は美しいというより魅惑的である。
彼女もまた、ある意味で《いい眼つき》と呼べるだろう。彼女においては、すべてが、言葉も、動作も、『眼差しに従っている』のだ。
この眼差しは自らを忘れがちである。この女性は、自分のために視つめる。彼女の眼差しは彼女の行動を確かにしない。いつもそれからはみ出る。
恋愛においては、きっと、すべての女性が美しい眼をしている。しかし、この女性の場合は、恋愛すると、他の女たちより少し早く、魂の無秩序(スタンダール風にことばを故意に選んだのだが)の中に投げ込まれる。というのは、彼女は、他の女性たちよりも一層《恋そのものを恋する》からである。
彼女は自分が恋愛では死なないことを知っている。彼女は、人生の途中で、恋愛によって死ぬためのすばらしい機会に出会った。彼女はヌヴェールで死ななかった。それ以来というものは、ヒロシマでこの日本人の男性と出会う日まで、彼女は、自分の運命に決着をつけるただ一つのチャンスを猶予されたものの抱く《魂の漠然とした悲しみ》を、自分の中にしまって自分とともにひきずっている。
彼女の人生を特徴づけるものは、髪を刈られて辱められたという事実ではない。それは問題としている失敗、つまり、一九四四年八月二日に、ロワール河岸のうえで、恋愛のために死ななかったということである。
このことは、ヒロシマおける彼女の、その日本人の男性に対する態度と矛盾しない。それどころか、このことは、その日本人の男性に対する彼女の態度と直接に関係している…。彼女がその日本人の男性に語ること、それは、彼女が失ったあの機会、それと同時に彼女を決定したあの機会のことである。
その失われた機会について彼女がする話は、文字通り、彼女を自分自身の外に運び出し、彼女をこの新しい男の方へ連れてゆくのである。
身も心もゆだねること、まさにそれである。
それこそは、愛の所有に等しいだけでなく、結婚にも等しいことである。
彼女はその日本人の男性に―ヒロシマで―彼女のこの世でいちばん貴重なもの、彼女の生々しい現実の表現そのもの、ヌヴェールにおけるその恋人の死からの彼女の生き残りを、引き渡すのである。

  「ヒロシマ私の恋人」マルグリット・デュラス




日本人の男性、岡田英二。
フランス人の女性、エマニュエル・リヴァ。

エマニュエル・リヴァは「愛、アムール」でアンヌを演ったひとで、リヴァさんを検索してて「ヒロシマモナムール」を知る。ふたつの映画に関連はないんだけど、なんとなく「女の一生」のように観てしまう。
若き日のリヴァさん、デュラスが書いたように<眼差し>の魅力的な女性だ。優しい眼差し。思慮深そうな眼差し。あきらめの眼差し。

1959年公開。
ヌーヴェルバーグ・左岸派のアラン・レネ。
GHQの原爆報道規制が解かれる時代背景。

「ヒ・ロ・シ・マ―それがあなたの名前よ」
「君の名前はヌヴェールだね、フランスのヌヴェール」

24時間愛し合って、もう二度と会うことがないとしても、終わらない恋を生きることはできるような気がする。十九二十歳のこどもじゃないから、こそ。




「タンゴレッスン」
「タンゴレッスン」
 
 
映画監督サリー・ポッターとダンサーのパブロ・ヴェロン。
サリー・ポッターがタンゴにのめり込んで作られたドキュメンタリーなのかと思ったら、これはフィクション、静かな情熱に導かれる大人の物語だった。



タンゴを習いに行くサリー・ポッターにとってパブロは師で、タンゴとパブロに魅了されてゆく前半と、パブロを出演させて映画を撮ることを決めて映画監督の顔になってゆく後半でふたりのパワーバランスが微妙にかわる。
ふたりの関係が仕事なのか恋なのか入り混じった段階で大喧嘩をして、もう一度関係を結び直すシーンが写真上1枚目。サン・シュルピス寺院の壁画の前でとるポーズ。
美しいシーンだけど、どういう意味があるんだろうと思う。
良いなぁと思う映画は、背景とかいろいろ調べたくなる。

この壁画はドラクロワの「天使とヤコブの闘い」。天使との戦いに勝ったヤコブは新しい名前を与えられる。イスラエルと。名の意味は「神に挑むもの、神に勝つもの」
サリーもパブロもユダヤ人で、パブロはどこにいても異邦人だという想いを抱いている。そしてタンゴのリーダーとパートナーのふたり。師であるパブロに挑みやがて勝利するサリー。

大人なんだよね。ほんとに。
そしてプロフェッショナル。ダンサーとして、映画監督として。
そしてそして、タンゴって、そういう大人のダンスなんだなぁ。

ブエノスアイレスのタクシーのおじさんが言う。
「精一杯生きろ。そして苦しめばタンゴがわかるさ」
ため息。

複雑なステップを自分のものにしパブロのパートナーとして遜色なく踊れるまでになり、ミロンガ(タンゴを踊るためのサロン)にでかけ、誘われるままに流麗なステップを踏むサリーの女っぷりが良い。
タンゴステップに身をゆだねながらもどこか冷静。

偶然と運命とどちらを信じる?と問うパブロに答える。
「偶然を信じるわ。運命はあとから作られるのよ。意志の力で」
サリーはイギリス人で、映画監督なんだなぁと思う。
そして大人の女。




「LIFE!」

2022年1月16日 映画
「LIFE!」
 
 
年明けてからコロナのことしか書いてなかった。
で、気分転換に気軽に観られそうな映画を。

 


ウォルター・ミティはLIFE誌の写真管理部門で働いている。長い歴史を持つこの雑誌も廃刊が決まり、最終号の準備に追われる日々。年がら年じゅうデスクでフィルムを相手にしているウォルターは、自分の人生が日々同じことの繰り返しだと感じている。そんな時、彼は空想の中に入り込む。その中では、横暴な上司と激しくバトルしたり、極地を旅する冒険家になったりと変幻自在。けれども現実に立ち返ると、空想とのギャップに疲れるばかり。

そんなウォルターの身に大事件が起きる。最終号の表紙を飾る写真がどうしても見つからない。運悪く、撮影した写真家は世界を放浪しながら写真を送ってくるのが常で、今も世界のどこにいるのか判らない。はからずもウォルターは写真家に会うために現実の冒険をすることに…。 filmarks.comより




ベン・スティラー監督主演。
ベン・スティラーって映画や写真のような映像表現とそれを創ってきた人たちへのリスペクトがあるんだろうなぁ。
グラフ誌「LIFE」に実際に掲載されただろう写真がスクリーンにたくさん映し出されていて、それ観てるだけでも楽しい。
「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」で彼のオタクっぷりは知ってるから、もしこのDVDにコメンタリーがあったら使った写真の一枚いちまいを解説してくれたかも。聴きたい。



LIFE社の社是。

To see the world,
Things dangerous to come to,
To see behind walls,
To draw closer,
To find each other and to feel.
That is the purpose of life.

で、主題曲が「STEP OUT」「STAY ALIVE 」。
この曲がウォルターが旅したグリーンランド、アイスランド、アフガニスタンの風景に似合っていて良かった。José Gonzálezはスウェーデンのひとだし、アイスランドのグループの声もあったし、やっぱり極北方面の音好きだな。この頃の流行りだったのかもしれないけど。
あまりセリフやストーリー展開に集中しないで見てられる映画で、映像と音がよく脳に入ってきた。
妄想の中でうじうじしてないで「踏み出せ、人生を生きよ」と軽く言ってくれちゃう、まぁ、、、楽しい映画でした。




「向かい同士」
 
 
「花様年華」の基になったのは小松左京の「向かい同士」という作品だ――というtweetが流れてきて。
トロント映画祭の記者会見で、マギー・チャンが「日本のショートストーリー」と話している動画もあった。


大好きな「花様年華」と愛読した小松左京とくれば、そりゃ読んでみたくなる。

昨日、図書館に寄って立ち読みしてきた。
団地のPR誌?のような冊子に連載してたものらしい。いまは小松左京全集の、全ショートショートに収録されている1ページちょっとの作品。



 朝、つとめにでるドアをあけると、ちょうど向かいのドアもあいた。則子は黙礼して階段を譲る。長身の男性が礼をのべて言った。
「どうぞお先へ」
 夕方、つとめを終えて帰ってくると、階段の下でまた向かいの男とあった。
「あら」と則子は軽く笑って言った。「今度はどうぞお先にお上がり下さいな」
男は笑って先に階段をのぼった。




香港の街のあの狭い湿った階段で何度もすれ違うマギー・チャンとトニー・レオンの姿が目に浮かぶ。

「向かい同士」は「殉情」という中国語タイトルで翻訳出版されていたらしい。
「花様年華」のプロットがまんまここに書かれている。
この話が王家衛のイマジネーションを刺激して、あの濃密で艶やかな大人の物語になったのか。




「THE GUILTY/ギルティ」
 
 
公開されたとき観に行こうかなぁと思って行かないでいた映画をAmazonPrimeで。まぁ、いつものパターンだ。




過去のある事件をきっかけに警察官として一線を退いたアスガーは、いまは緊急通報指令室のオペレーターとして、交通事故の搬送を遠隔手配するなど、電話越しに小さな事件に応対する日々を送っている。そんなある日、アスガーは、今まさに誘拐されているという女性からの通報を受ける。車の発進音や女性の声、そして犯人の息づかいなど、電話から聞こえるかすかな音だけを頼りに、アスガーは事件に対処しなければならず……。



2019年公開 デンマーク映画 85分




面白かった。非常に集中して緊張して観た。
こういうよくできた短編ミステリのような、One Idea、One Situationの作品って大好物だ。映画館じゃなくてPCのモニタ越しに観てても集中する。派手なアクションも、CG効果もいらない。ほぼ主演の俳優の顔だけが画面に映っている。
そしてその緊張にぴったりの85分という長さ。

最近の映画って長すぎるよね。エンターティメントはせいぜい120分にしてよ、90分で面白く見せて欲しいなぁと思ってるので、この映画はベスト。




   ・・・・・

あ、そっか。映画の興行的には「大スクリーンで観てこそ」じゃないと客呼べないのだよね。アップリンク行くのとTOHOシネマ行くのでは気分が違うしなぁ。同じ1800円でも。名画座が元気あったら、2本立ての1本にぴったりというか。佳作というのがぴったりの映画かな。抱き合わせのもう1本なにがいいかな?なんて、館主でもないのに考えてみる(笑)





「草原の河」

2021年5月3日 映画
「草原の河」
 
 


チベット。空と大地が広がる。厳しい自然の中で牧畜を営む家族。
幼い娘は、母が新しい命を授かったと知り、やがて生まれてくる赤ちゃんに母を取られてしまうと心を痛める。
その父は、四年前の出来事をきっかけに自分の父親をいまも許せないで居る。
娘、その父、そして祖父―。
家族三代それぞれの心情を、河が見つめている。




草原と少女。
それだけで観ようと思うよね。





   ・・・・・



映画って、ときどき、私には情報量が多すぎる。
って感じる。
映像と音楽と、俳優の表情とセリフ、字幕。
観る聴く読む。忙しい。

どうしても字幕を追っちゃう私は、もっと大事なものを取りこぼしてると思うこと結構ある。じゃあ2度目は字幕なしで観るかと思っても、すぐに繰り返しで観たい作品はそんな多くない。

そして長すぎる。100分越えなくていいと思う。
3時間、5時間、8時間の最初から長尺ありきのものはそれはそれでそのつもりで観るけど、2時間10分くらいのフツージャンルの映画って半端に長い気がする。私には、ね。

「草原の河」1時間38分。ちょうどいい。
お父ちゃんもお母ちゃんもお祖父ちゃんも、少女も大事なことだけ言う。


   






「鉄道員」 

2021年3月25日 映画
 
 
「父さんには言わないで」

「母さんには内緒だ」



大人は、気安く子どもに口止めする。
子どもだから、なんにもわかってないからと思って。
そんなわけない。
内緒にするってことは、子どもに作り話させることにもなる。
なんで内緒なのかって小さな頭で思いめぐらす。

大人って、どんだけ秘密にしておきたいことがあるんだか。


    ・・・
 
 
父さんは誇りを持ってる仕事を失うんだな…
父さんはスト破りするんだな…
父さんは…

想像通りに話が進むんだけど、わかっちゃうのはこの1956年に作られた「鉄道員」が、このあとの父と息子、家族、額に汗する労働者として生きた男の人生の物語の典型、古典となった映画だからなんだなぁ。
この後幾つも作られた作品のモチーフが全部、ぜんぶぎゅっと詰まってる。


   ・・・


2021年のいま観て、「スト破り」の持つ重い意味を、20代・30代のひとはわかるだろうか。

小学生の頃、ストライキで止まってしまった電車の線路をともだちと歩いたことがある。踏切から踏切までの短い距離だけど。電車動いてないんだすごいなって思った。なにがすごいのかわからなかったけど。
10年くらい前には、まだ私鉄バスの車内に「春闘スト決行」のチラシ張られてるの見た記憶がある。ストは決行されずに円満に終わってたけれど。
いまは、そんなチラシも見ない。

春闘なんて言葉知らないひともいるよね。
ストライキで東京の交通がストップするなんて想像もつかないかもね。
ストライキどころか非正規労働者ばかりの社会では組合すら存在しないか。





1956年イタリア
監督・主演ピエトロ・ジェルミ





 
 
スペイン語の「Moon River」を聴いた。
それも美しいボーイソプラノで。

わぁ、なにこのCoverは?と思って、調べたら映画「バッド・エデュケーション」の中で歌われているってわかった。
2004年のペドロ・アルモドバル監督作品。

それで猛烈に歌詞が知りたくなった。
だって、アルモドバルだよ?
 

  ムーンリバー 1マイルより広いけど
  僕は君を立派に渡ってみせるさ いつの日にか
  夢をくれて 心を打ち砕いて
  どこへ君が行こうと 僕は一緒に行くよ

N.Yのアパートの窓辺でホリーが歌うそのままだったらスペイン語にしなくてもいいよね。

探したらレンタル落ちのDVDが300円であったので購入。
日本語字幕でスペイン語の歌詞を知る。



  ムーンリバー いつまでも忘れない
  流れに身をまかせて 汚れないように
  泥にまみれた流れに 連れ去られないように
  月の輝きとともに 見守っていておくれ
  月の輝く川よ どこへ流れてゆくの
  神様や善悪について教えておくれ
  汚れなき心を どうか導いて
  恐ろしい暗闇には なにが潜んでいるの
  それを見つけたら ……


水遊びをする少年たちがたてる水しぶきがきらきらと輝いている、とても美しいシーンで歌われていた。
どこか落ち着かない様子で歌う少年の、人生を変えてしまう瞬間の歌声。
adiósが切ない。


アルモドバルの映画って、途中で必ず見ている自分と距離ができてしまって、文化的なギャップ?溝?みたいなもの感じてしまうんだけど、「バッド・エデュケーション」はすんなりと見終えた。

暗闇に潜むものもまた愛なのかな。
いや、怪物を愛と呼びたいだけ?
などと。


主役のガエル・ガルシア・ベルナルは女装するとペネロペか?と思うような美女で見惚れてしまう。見たことある顔だなぁ、って思ったら、「モーターサイクル・ダイアリーズ」でエルネストを演じてた俳優だったんだね。エルネストの時もジュリア・ロバーツみたいって思ったし(女装はしてない。素で)、とっても化粧映えする美女顔のハンサムなんだね。

ボーイソプラノに誘われて、ムーンリバーを越えて愛の映画に辿り着いた。よかった。





「Moon River」アルモドバル版

Moon river... no te olvidaré,
yo no me dejaré llevar
por el agua, agua turbia
del río de la luna
que suena al pasar.

Río y luna, dime dónde están,
mi dios, el bien y el mal,
decid.

Yo quiero saber
qué se esconde en la oscuridad
y tú lo encontrarás,
río y luna... adiós.

Mi luna, ven y alúmbrame,
no sé ni dónde estoy, por qué.
Oigo el rumor de aguas turbias
que me llevan lejos, muy lejos de mí.

Moon river... dime dónde están
mi dios, el bien y el mal,
decid.

Yo quiero saber
qué se esconde en la oscuridad
y tú lo encontrarás,
Moon river... adiós





「港町」

2020年3月29日 映画
 
 
岡山県の瀬戸内海沿いに牛窓という町がある。
ここに木製匙を作るスタジオがある。
もともと国立にあったちいさな工房で、ずいぶん前にたまたま通りかかって覗いた工房。木製の匙だけを作っているっていう、なんともニッチな商いがお伽話のようで印象に残ってた。3年くらい前になんの気なしに検索したら牛窓というこれまた印象的な名前の土地に引っ越していて。HPがあったのでブックマークして時々覗いてた。岡山側には行ったことがないけれど、瀬戸内というのはぐるりと文化が濃くて気になる場所だった。

 


ずっと観たいと思ってきっかけを逸していた想田和弘さんの映画。
AmazonPrimeで「港町」を配信してたので自粛お籠り時間に観ることに。
観始めて舞台が牛窓って知って、へぇ、と。
たいしたへえでもないけど、ずいぶんピンポイントだなあと。
工房のHPで見たちいさな灯台がでてきたり、ホテルがでてきたり、なんだか馴染みのある場所のような錯覚を覚えてすんなり観察映画の世界に入り込む。

瀬戸内海沿いの風景は優しくて良いなぁ、好きかも、、と思ってみてたんだけど。良い意味でも悪い意味でも、嫌ぁな擦過音のようなものをかすかに感じる場面もあって、特に後半、個人的に観てられない時間があった。観察映画の、酷薄なところかもね。想田さん、あんな優しげな顔して。台本なしでただ観察するだけというスタンスの、編集の残酷さ。

ちょっと前に「精神」を借りてきていたのだけれど見損なって返却していた。
「精神」は、なんかちょっと今観るのは厳しいかもなーと思って再生できずにいて。
割と安心して観はじめた「港町」でこれだと「精神」はもう手は出ないかも。「精神0」が間もなく公開されるんだけども。

なんというかやっぱり人間って怖い。
カメラを向ける監督が残酷なんじゃなくて、ひとそれぞれに流れる時間が残酷なのかな。
想田さんの作品。好きな作風、だけどイヤ。
ドキュメンタリーとして優れているのだとは思う。








 
観終わって、音楽って歓びなんだなぁ、なんてあらためて。

楽器が転じて楽しいという語になったように、女神の恩寵がmusicであるように。
その名にそのまま言い表されてたね。

ラフマニノフの難曲に一度は喰われたデイビッドが、自在に鍵盤を愛でて快復してゆく。才能のあるひとは、代償のような苦しみも味わうのだろうけれど、音楽を奏でる歓びは輝きを失わない。
トランポリンを跳んだときの体感が、そのまま音楽の高揚感なのはわかる気がするな。


数年とはいえあんなピアニストのいるワインバー「リッカルドス」の存在って奇跡みたい。





 
 
’80年代に一世風靡した感のあるミッキー・ロークの復活作、とか割と評判が良くて観た。なるほどこれを経て、アイアンマン2のヴィラン役で登場となるのか、と納得のヴィジュアル。

 


……いやぁ、ぜんっぜん楽しめなかった(汗)
 
物語の帰結がストレート過ぎて。
映画にハッピーエンドは特に求めてないんだけど、「深夜ドキュメント 55歳それでもリングで跳ぶしかない」的なリアルはねぇ。うーん。。
老いたレスラーのパフォーマンスとか痛々しくって見てて楽しくない。
ミッキー・ロークの実人生重ねてるとからしいけど、いやいやそういうリアルは要らないかなぁ。

プロレス興行の舞台裏とか、温かでリスペクトしあってるレスラーたちの姿とかが救いだったけど。あと、盛りの過ぎたストリッパー役のマリサ・トメイの身体がキレイだなぁとか。トップレスでポールダンスしてるんだけど、あらおっぱいキレイとか。44歳でそのスタイルはステキじゃない、とか。マリサ・トメイ、割と好きだし。
エンディングでブルース・スプリングスティーンの声をなんか久しぶりに聴いた気がしたなぁ。Bossに歌われてもなんとも思わんかったけども。







「メッセージ」
 
 
ネットでマックス・リヒターを聴いていると、ヨハン・ヨハンソンが必ず一緒に上がってきててなんだろうと思ってたら、この映画のサントラだったのね。
リヒターの「On the Nature of Daylight」が全編に流れるのかと思ってたのだけど、オープニングとクロージングで流れるだけだった。
でもヨハン・ヨハンソンのオリジナル・サウンドトラックも結構好きかな。モールス信号を打つような「異星言語ヘプタポッドB」とか、声明やホーミーのような倍音的な気持のいい楽曲とか。好みのミニマル・ミュージック。

地球にやってきた異星人と会話するための言葉を探ってゆく話だし、円環を描いて始まりと終わりが繫がる時間次元をもつ異星人の登場するこの映画には、メロディを聴かせるというより、音節のひとつひとつに意味がありそうでそれが繰り返し繰り返しループしてゆくミニマルは似合う。


大好きなSF「あなたの人生の物語」がどんなふうに映画化されたんだろうと思ってた。

時間と言語と認識が物語の主要テーマのSFって映像化するの難しそうと思ったけど、すんなりと映画の世界観に入れた、かな?
公開時に観てきたHさんに「異星人、でてきます」って教えられてて、ふむぅ…って思ってた。ほら、「宇宙人」を絵にするリスクって大きいじゃない。やっぱりこれか、、みたいな。知的生命体だと特に。「エイリアン」みたいな怪物なら別だけれども。
ま、そこも、う、ん、まあ、クリア(笑)

異星人が墨(様のもの)で書く表義文字(表意文字+表語文字という造語)が、なかなか美しくて。蔡國強の爆破絵とか北京オリンピックの墨絵のようで。
想像以上に原作に忠実だったし、いろいろと「好き」要素が多くて楽しめた。

中国語圏の言語学者のほうが言葉の解明早いのでは?と思ったり、北海道上空に宇宙船飛来されても我が日本政府になにかできることあるんだろうかと思ったり。静謐な原作のトーンが印象的だったので、映画にすると宇宙船出現で右往左往する人類が喧しいわぁと思ったりしつつ。

で、やっぱりもう一度「あなたの人生の物語」を読みたくなった。
そういえば、テッド・チャンの新作も出たんだよね。楽しみ。







「ファースト・マン」
  
  
月面に降り立った最初の男、ニール・アームストロングの話。
アポロものだし、マッチョヒーローのお話かなと思いつつ、主演がライアン・ゴズリングってマッチョな感じではないよね、と気になって観た。

佳い映画だった。好きな映画。
喪失と悲しみを持って月へ行く主人公の、どうしようもなく孤独な雰囲気にライアン・ゴズリングが似合っていて。ブレードランナーのゴズリングもそうだったけど、このひとの思慮深そうで静謐な佇まい、好きだ。

音楽が良くて。
繊細に鳴る弦の音が胸にちりちりと響く。精霊のハミングのような優しい音も。
なんだろう、なにが鳴ってるんだろうなって探したら、ハープの爪弾きとテルミンだった。
もちろんアポロ宇宙船で月へ行くのだから打ち上げシーンではフルオーケストラが鳴り渡るけれど、雄々しさ勇壮さではない粛々とした音色で。

PPMの「500マイル」がラジオから流れて、ああ、この時代のBGMだなぁって思ったり。月までは何マイルだろう、20万マイルだって。
月に立ってからのシーンも良かった。とても静かで、孤独。テルミンがそっと歌う。


これは Grief の物語。






<「ファースト・マン」の音楽についての解説動画>
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=zXN5IRz2swY&feature=emb_logo







「タレンタイム」
 
  
弦の肌を弓がそっと撫でて二胡を鳴らしてゆくみたいに。 
胸が震えた。涙を堪えようとは思わなかった。
琴線にふれるって、こういうことなのか。
 

「タレンタイム」、良い映画だった。


ドビュッシーの「月の光」
ピアノの鍵盤をすべる手が映し出されて、それを弾いている人の姿が映された時、「あぁ…」と思った。
あぁ…の後に言葉は続かないのだけれど。

有名曲だし、なんども耳にしているはずだけれど、初めてこの曲の美しさを聴いたような気がした。


月の光、月の姿に、なぜこんなに惹かれるんだろう。
月は光源を持っているわけではないのに。
でも、だから、なにものかの光を受けて輝いているのだというのが、なんともせつないのかもしれない。

ひとの胸の中に湧いてくる想いも、誰かがいるから。
誰かが、意図せずにもうひとりの誰かを、照らしているのかな。
二胡もピアノもひとりで鳴ったりはしないように、恋情も愛情も、嫉妬も悲しみも、誰かがノックしてくれるから胸に鳴る。
 

にしても。「牯嶺街」もそうだったけれど、高温多湿の亜細亜の、校舎の映像ってそれだけでこれまた「あぁ…」なんだよね。
なんというか、あぁ…を無理に言葉にする気にならない映画だった。

「あぁ…」を抱きしめていようと思う、そんな映画。


2019.11.7 UPLINK吉祥寺





「バレエボーイズ」
 
 
ドキュメンタリーなんだよね?

キャスティングしたんじゃないの?っていうような、典型的な3人。
シナリオあるんじゃないの?っていうような、3人のストーリー。

主役はやっぱり王子様タイプで。
で、王子様はちゃんと夢の階段を登ってゆく。
ダンスール・ノーブル。ハンサムで均整の取れたプロポーション。
14歳からの3年ほど?画面が変わるたびに成長している。
やっぱり観ていて愉しい。


昨夜は、台風でよく眠れなかった。
観測史上最も強い台風とか、毎年観測史上最強を更新してないか?
屋根飛ばないかな、ガラス割れたりしないかな、ああ、風が強くなってきた、、、って。朝の電車動くかな、、、って。心配したってもうどうしようもないんだから寝ちゃおうとハルシオン飲んで横になったのに何度も目が覚めて。

仕事行けば、うわ、なんでこんなことっていうようなミスするし。
だからぁ、寝不足の私は使い物にならないんだよぉ(泣)


という1日で、なんだか食欲もなく帰宅して、気分転換に観た70分。
なんかちょうど良かった。可愛い男の子はやっぱりカワイイ。

“映画ってほんとうにいいもんですね”







「GRAN TORINO」
 
 
観てみたくなった、と言ってからほんとに観られるかどうかいつもは怪しいのだけど。AmazonPrimeでやっていた。良いタイミング。

クリント・イーストウッドが出ていると知ってみる映画って、いつ以来だろう?
作品をwikiで見たら、、、「マディソン郡の橋」以来かも~、、え?マディソンってデ・ニーロじゃなかった?なにかと混同してる?、、あ、デ・ニーロは「恋に落ちて」だった。どっちもヒロインがメリル・ストリープのメロドラマだし間違うよね(笑)

「グラン・トリノ」うん、休日の午後にネット視聴するのにちょうど良かったかな。頑固なジジイの出てくる話には弱いし(笑)
ハリー・キャラハンが引退してそのまま年老いたみたいな主人公。


2008年のアメリカ中西部の状況ってこんなだったんだね。



フォードの自動車工を50年勤めあげたポーランド系米国人コワルスキーは、妻を亡くし(妻を思い出して「俺は嫌われ者だが、女房は世界で最高だった」という)、愛車グラン・トリノを誇りに、日本車が台頭して住民も今や東洋人の町となったデトロイトで隠居暮らしを続けていた。頑固さゆえに息子たちにも嫌われ、限られた友人と悪態をつき合う日々であり、亡き妻の頼った神父をも近づけようとしない。常に国旗を掲げた自宅のポーチでビールを缶のまま飲んで、飲み終えると片手でくしゃっと握りつぶす[4] 。コワルスキーを意固地にしたのは朝鮮戦争での己の罪の記憶であった。  <wikiより抜粋>




クリント・イーストウッド、元気だなぁ。この時78歳くらい?それで監督・主演。うーん、タフなガイですねぇ。エンディングのテーマ曲まで、出だし歌っちゃってるしね。欲張りな爺様です。

映画、シチュエーションはひねってあるけど、結局銃による解決となるのは西部劇の伝統だなと思うし、マッチョな精神が捨てきれないアメリカ映画な感じ。
ひねって盛り込んではあるんだけど、70年越えのバリ保守主義の白人男性にしては、急に柔軟性発揮し過ぎなのでは?と思ったり。

床屋のマーティンを演った俳優、なんか見たことあるなぁと気になって。マグショットとか指名手配書とかの顔写真にありそうなお顔で、作品見たら、ビンゴ!RDJ出演の「ゾディアック」の連続殺人事件の容疑者でした(笑)
ジョン・キャロル・リンチ。ん~名前にも見覚えある、、と思ったら「ラッキー」の監督でした。おお、頑固ジジイ繋がり。「ラッキー」に出演してたデヴィッド・リンチとは血縁ではありません。ややこしいけど。

映画の感想というよりググって掘り返した関連ネタ覚書になっている(笑)
名前の出た俳優、何人いるんだ?









「The Piano」
 
20数年前、映画を観て、すぐにCDを買った。
私には珍しいこと。


映画を観るとき、私は映像を観ること、セリフを聴くことに集中してしまって、音楽が疎かになっている。もちろん効果的に流れる音に、感情を刺激されて聴いてはいるのだけれど、その瞬間で終わってしまうことが多い。
だからサントラCDを買おうと思うことがない。


でも、この映画は音楽がすごく雄弁で。
6歳で話すことをやめたエイダの言葉にかわってピアノの音が感情を奏でていて。
映像と言葉と音楽がすべて記憶に残った。
映像もストーリーも、役者も音楽も全部好きだと思った。
好きな映画の話をするときにたぶん必ず話題にしてしまう作品。

久しぶりに観たくなって、DVDを買った。
観なおして、ほぼすべてのシーンを憶えていた。
あれこんなシーンあったっけ、というのがまったくなかったな。
記憶していた通り、でも初めて観たときと同じくらい胸騒がせながら観た。
たぶん私の、映画ベスト10に必ず入る映画だと思う。


  ・・・・・

この映画を初めて見た頃、観たと言う友人と話していて。
熱い評価が聞けるものと思っていたら「キモチ悪い」とにべもなく言い捨てられてびっくりしたのが忘れられない。ど、どこが?と聞きたいような気もしたけど、不毛だからやめた。でも、そういう感想も結構あるって後で知った。思い起こしてみると、彼女はそういう感想に落ち着きそうなひとだったと思うし。残念だなぁ。

  ・・・・・

映画のヒロイン、最初シガニー・ウィーバーが候補だったってどこかで読んでこれまたびっくり。
シガニー・ウィーバーじゃ、サム・ニールを拳骨で殴ってお話し終了になってそうだし、浜辺のピアノに並んで立つビジュアルがどこか未知の惑星の風景みたいに見えてしまいそう。シュールだ。

ホリー・ハンターの、育ち切っていない固い少女のような印象が大事。
「キモチ悪い」と言い捨てた彼女と、実は印象が被るんだけれどね。

愛と性と情熱についてのあれこれを共有するってなかなか難しい。







「主戦場」

2019年4月23日 映画
「主戦場」
 
 
Shame on you.


私の貧弱な英語辞書に、このイデイオムがしっかりと追加されてしまったのは去年。
大阪市がサンフランシスコとの姉妹都市を解消すると言い出した時に、動画で上がってきた2015年のサンフランシスコ市議会でのやり取りのなかにあった。
サンフランシスコ市議が、日本の歴史修正主義者の発言に対して静かに「恥を知りなさい」と、3度繰り返した。3年も前の動画を見ている私が、恥ずかしさで頭が熱くなった。

その動画のシーンが、昨日観た映画の中に使われてた。
「主戦場」観てきた。
 
 
 
慰安婦の像をめぐる問題を扱った映画が公開されることは知っていた。
でも観に行こうとは思ってなかった。

なんで、お金出してまで、歴史修正主義者の顔を大画面で見なくちゃいけない?
あのひととか、あのひととか、あのひととか…。

誘われて、まあサービスデーだし「行きまーす」と答えたけど、鬱陶しいから目瞑ってiPodで音楽でも聴いてようかと思ったくらいだった(笑)
でもまぁ、やっぱり観て良かった。ムカついて、前の座席蹴りたくなったりもしたし、途中おおきく溜息つかないといられなかったけど。

あらためて知ったこともあったし。
慰安婦像の設置を行う韓国の団体代表者の「これは反日ではないのです。国と国の話ではなく、人権のための運動なのです」という発言。こっちでは嫌韓を煽るみたいに、反日運動としか伝えられてない。
日本と韓国の関係に関与し続けるアメリカのこと。タイミングや時の世界情勢。
日本会議で次期フロントと期待された女性の脱会と「やめて自由になれた」ことで見えてきたものの証言。
魑魅魍魎な方々を繋ぐ、トンデモなキーマンの、耳を疑う発言。これは観客みんながびっくりして一瞬館内ざわついた。



基本的には顔アップのインタビューを繋いでるんだけど、編集が上手かった。
もちろん監督の立ち位置は明確なので、彼のステイトメントが伝わる方向に寄った編集なんだけどね。あちらの方々には「偏向」とか言われるんだろうけど、しったこっちゃないわ。

私が被害を受けたのですと、辛い証言をする女性の言葉を否定する修正主義者の話は、自由にしゃべらせればしゃべらせるほどボロが出る。すかさず反証のカットが挿入される。訊かれたくない質問の、短い答えの後の長い間に耐えられず泳ぐ視線をカメラが捉えている。

良くできたドキュメンタリーだと思うよ。
面白かったよ。疲れたけどさ。

問題は、観たほうがいいひと、観てほしいひとが、観に行かないってことなんだよね。













 
 

「赤い季節」

2019年4月14日 映画
「赤い季節」
 
 
いろいろと嫌いじゃない、嫌いじゃないけど。

思わせぶりな暗くコントラストのきつい映像。
省略されたのではなく、最初から書き込まれていないだろう物語の細部。
つまらないセリフ。
主人公の持ってる雰囲気からのぞくストーリーは花村萬月の小説みたいだなぁと思いながら観たら、主人公の新井浩文って「ゲルマニウムの夜」に主演してるんだね。
いろんなカットの元ネタみたいのが判りやすすぎて、なんか微笑ましくなっちゃうくらいなんだけど。「荒野の1ドル銀貨」とか「真夜中のカーボーイ」とか「レオン」とか? オマージュといえば耳障り良いけど。よくこんな脚本が通ったなぁと思うけど、制作・脚本・監督が同じ人なのね。というかこれでこのキャストで映画一本撮れちゃうってすごい幸せなひとだなぁ。

110分を半分に切り詰めて、SNAKE ON THE BEACH の完全Musicvideoにしちゃっていいのに。

いろいろ嫌いじゃない。
嫌いじゃないけど、チバの曲がなかったら観てないからなぁ。
チバの曲と声が一番ドラマチックだ、という結論。








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