私はそんなに感受性の強い人間じゃない。
「美藤は冷静」とか「客観的」と言われるし、自分でもそう思う。
場が高揚して沸き立ってくると、すっと距離をとって感情を鎮めたくなる方だし。
だから、絵を見て涙が止まらなくなるなんていう体験は初めてだった。
泣いている、というのではなかった。静かに呼吸しながら、ただ涙が止まらなかった。
佐喜眞美術館に着いてチケットを買っていると、アメリカンスクールの高校生の女の子達がさざめきながら、一応は神妙な顔をして、帰っていった。館内にいるのは私だけになった。
順路を示す矢印に従ってゆくと大きなコラージュがあった。
左上に星条旗、真ん中に血痕のような日の丸。
そこに、1945年から1988年まで、戦争が終わったあとも終わらない、アメリカと日本政府に蹂躙され続けた記録が、改行もなく書き綴られていた。米軍の事故や事件、無視され続ける沖縄の人の声。
知らないことばかりだった。知らずにいた自分にもいたたまれない思いが苦かった。
書き加えられてはないけれど、88年以降も、状況はかわっていない。いま現在も。
重い気持ちで最初の展示室へ進んだ。
そこは草間彌生の初期の作品が展示されていた。「野にわすれた帽子」や「かぼちゃの神様」を妙に時間をかけて見た。
館内は3つの展示室が縦につながっていて、最後の常設展示室が開け放たれた扉の奥に見えるのだけれど、それが見えるたびにすこしどきりとする。
草間さんの水玉、初期のは可愛らしいなぁ、なんて気を紛らしつつ、第2展示室へ。
ケーテ・コルヴィッツのピエタ像が中央にあって、それを眺めながら、観念した。
ピエタの犠牲 と 沖縄の犠牲が重なる。
頭を右に向けると「沖縄戦の図」の部分が見えている。
正面の壁一面に4×8メートルの大きな絵。とっくに視界に入っているのに往生際悪く両側のを見て――といってもこれも連作なのだけれど――入口を振り返ると、沖縄戦で生き残った証言者70数人の写真が静かに「見なさい」とうながしていた。
右の椅子に腰を下ろした。
これが70年前にこの優しい美しい島で起こったこと。ほんとうにあったこと。
小一時間座っていたと思う。
ずっとひとりだった。
あ~あ、帰る前にトイレによって鏡を見なきゃ、なんて頭の片隅で思ったりもした。
もう一度ピエタを見て、草間さんの「花をふんだ思い出」を見て、美術館を出た。
「美藤は冷静」とか「客観的」と言われるし、自分でもそう思う。
場が高揚して沸き立ってくると、すっと距離をとって感情を鎮めたくなる方だし。
だから、絵を見て涙が止まらなくなるなんていう体験は初めてだった。
泣いている、というのではなかった。静かに呼吸しながら、ただ涙が止まらなかった。
佐喜眞美術館に着いてチケットを買っていると、アメリカンスクールの高校生の女の子達がさざめきながら、一応は神妙な顔をして、帰っていった。館内にいるのは私だけになった。
順路を示す矢印に従ってゆくと大きなコラージュがあった。
左上に星条旗、真ん中に血痕のような日の丸。
そこに、1945年から1988年まで、戦争が終わったあとも終わらない、アメリカと日本政府に蹂躙され続けた記録が、改行もなく書き綴られていた。米軍の事故や事件、無視され続ける沖縄の人の声。
知らないことばかりだった。知らずにいた自分にもいたたまれない思いが苦かった。
書き加えられてはないけれど、88年以降も、状況はかわっていない。いま現在も。
重い気持ちで最初の展示室へ進んだ。
そこは草間彌生の初期の作品が展示されていた。「野にわすれた帽子」や「かぼちゃの神様」を妙に時間をかけて見た。
館内は3つの展示室が縦につながっていて、最後の常設展示室が開け放たれた扉の奥に見えるのだけれど、それが見えるたびにすこしどきりとする。
草間さんの水玉、初期のは可愛らしいなぁ、なんて気を紛らしつつ、第2展示室へ。
ケーテ・コルヴィッツのピエタ像が中央にあって、それを眺めながら、観念した。
ピエタの犠牲 と 沖縄の犠牲が重なる。
頭を右に向けると「沖縄戦の図」の部分が見えている。
正面の壁一面に4×8メートルの大きな絵。とっくに視界に入っているのに往生際悪く両側のを見て――といってもこれも連作なのだけれど――入口を振り返ると、沖縄戦で生き残った証言者70数人の写真が静かに「見なさい」とうながしていた。
右の椅子に腰を下ろした。
これが70年前にこの優しい美しい島で起こったこと。ほんとうにあったこと。
小一時間座っていたと思う。
ずっとひとりだった。
あ~あ、帰る前にトイレによって鏡を見なきゃ、なんて頭の片隅で思ったりもした。
もう一度ピエタを見て、草間さんの「花をふんだ思い出」を見て、美術館を出た。
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