映画は映像と音楽と言葉でできてるけど、どうも私はそのみっつをいっぺんには感受できないみたい。
たぶん。
映像を見ながらも、言葉を聴く比重が大きくて、意味を探りすぎるのかもしれない。
だから音楽がいちばんおろそかになる。
普通の映画だと見終わってどんな音楽が流れていたかほとんど覚えていない。
もちろん耳は音楽をとらえて、その音に感情を揺さぶられてはいるんだけれども、どんなメロディだった?誰の声だった?記憶していないんだよね。
全編通して印象的なメインテーマが流れるような作品はべつだけれど。
「ディアハンター」とか「ピアノレッスン」みたいな、ね。
私は、「理解する」というのは「言葉にする」ってことだと思ってるので、ともかく自分の言葉で書き換えないとスッキリできないようなとこがある。作り手の意図とは違ってるかもしれないけど、それでも自分の言葉にしたいと思っちゃう。そうできないものは「わからない」もの。
でも「ノスタルジア」を観てたら、無理に言葉でわからなくてもいいやと思った。
私の言葉では追いつかないだけかもしれないけど、それでもいい映画ってあるんだな、と。
友人が「何度も目が醒めるんだけど、その度に繰り返して見てしまう夢みたいな」映画だと言ってたのだけれど、ほんとそうかもしれない。
美しい夢を見て目覚めたら、もう一度目をつむって夢の残像を味わったり、続きを追ったりする。そんなふうに、身をゆだねちゃえばいい映画というのもあるんだね。
「ノスタルジア」で語られていた言葉、は。
途中で追うのを止めちゃった。映像が美しすぎて、どうでもよくなっちゃった。
音楽は……ほら、やっぱりおぼえてない(笑)
・・・・・・・・・・
タイトルを打ち込んで、はた、と。
くりかえしみたい夢。それこそノスタルジア。だよね。
たぶん。
映像を見ながらも、言葉を聴く比重が大きくて、意味を探りすぎるのかもしれない。
だから音楽がいちばんおろそかになる。
普通の映画だと見終わってどんな音楽が流れていたかほとんど覚えていない。
もちろん耳は音楽をとらえて、その音に感情を揺さぶられてはいるんだけれども、どんなメロディだった?誰の声だった?記憶していないんだよね。
全編通して印象的なメインテーマが流れるような作品はべつだけれど。
「ディアハンター」とか「ピアノレッスン」みたいな、ね。
私は、「理解する」というのは「言葉にする」ってことだと思ってるので、ともかく自分の言葉で書き換えないとスッキリできないようなとこがある。作り手の意図とは違ってるかもしれないけど、それでも自分の言葉にしたいと思っちゃう。そうできないものは「わからない」もの。
でも「ノスタルジア」を観てたら、無理に言葉でわからなくてもいいやと思った。
私の言葉では追いつかないだけかもしれないけど、それでもいい映画ってあるんだな、と。
友人が「何度も目が醒めるんだけど、その度に繰り返して見てしまう夢みたいな」映画だと言ってたのだけれど、ほんとそうかもしれない。
美しい夢を見て目覚めたら、もう一度目をつむって夢の残像を味わったり、続きを追ったりする。そんなふうに、身をゆだねちゃえばいい映画というのもあるんだね。
「ノスタルジア」で語られていた言葉、は。
途中で追うのを止めちゃった。映像が美しすぎて、どうでもよくなっちゃった。
音楽は……ほら、やっぱりおぼえてない(笑)
・・・・・・・・・・
タイトルを打ち込んで、はた、と。
くりかえしみたい夢。それこそノスタルジア。だよね。
コメント
芸術作品は言葉で解説したら、鑑賞価値が半分になってしまうと信じてます
われわれが言葉で理解する前から野性のノイバラの美しさは存在するが
品種改良された薔薇の美しさは、より赤が濃く、より香が良く、より大きくという風に言葉で表すことができる
亡命せざるをえなかったタルコフスキーは人が作ったものにうんざりし、穢されてないノイバラが咲く原風景の存在を夢見ていたのかなと
あ〜、言葉にしてしまった!!、神よお許しあれ