ラブリーボーン

2016年6月16日 日常
ラブリーボーン
新しい保険証が届く。
保険証の裏には臓器提供の意思を記載する欄がある。
 
40年前の健康優良児は大病することもなく過ごしてきたので、若干古びている以外は他に大きな問題はないみたいだし役に立つこともあるかな。健康診断で出る数値もすべて基準値の範囲内だし。
 
だけど「提供しません」にチェックをして署名した。
  
 
若かった頃は、死んだら好きに使ってくれていいよ、なんて思ったこともあった。
「提供します」に丸して持ってた時期もあった。
だけど最近はばらばらになってどっかで生きてる自分の臓器を想像して
それもなんだかなぁ、って思うようになってる。
 
私の、人見知りな臓器が、見ず知らずのひとの中に収まって上手くやっていける気がしない。そもそも、誰かの役に立ちたいという気持ちが希薄だし。
 
 
 
そういえば。
ドナーカードのことを親戚で話題にしていた時に「役に立てるってことなら、いっそ医大への献体はどう?」って話になった。
そこにいた小児科医の姪が「…勉強させてもらった立場で申し訳ないけど、身内が献体するって言ったら全力で止める」と言った。
 



自分の身体の部分を残すことで、ひとつだけ夢想してみることがある。
ヒトの骨格標本として、丸の内のギメルームで暮らすこと。
クジラやエルクの骨の間に立って、ときどきポーズも変えてもらって(笑)
プレートには「 ヒト ミフジ 」とだけ。
 
整形や整体、どこへ行っても骨格を褒められる。
「骨格が整ってる」とか「骨組みがいい」とか。それって生身の女性としてどうなのって感じだけど、骨格標本向きでしょ?
生きてる臓器は嫌だけど、骨ならいいかなぁ、って。
姪に言ったら呆れられそうだけど。
でも、遺灰でじめじめした墓の下に置かれるよりいいなぁ。
 

それにしても、ひとって、死んでも、速やかにきれいさっぱり地球に溶けてしまうってわけにはなかなかいかないのね。









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