Aquarela do Brasil の日暮里
2016年7月20日 音楽
国鉄日暮里駅は工事中、というのが13歳の私の記憶にある。
改札を出ると道の向こうに線路が何本も走っていて、自宅のある町とは雰囲気が全然違った。
日暮里のおばちゃんの家には夏休みと冬休みには必ず遊びに行っていた。谷中の商店街で肉屋をやっているおばちゃんの家はがちゃがちゃと騒がしくて落ち着かなくて、でもなんでか面白かった。おじちゃんもおばちゃんも、3つ年上の従姉も雑に世話焼きで、おばちゃんちの1泊2日は思い出すとお祭りのようだったな。
着いた日の夕ご飯は、お店の揚げ物。コロッケかメンチか。ときどきかつ丼。
食べたら従姉と銭湯に行く。
朝ご飯は焼き海苔と必ずシラス。従姉の大好物で、シラスがあれば他はいらないんだって。肉屋の子なのにね。
というような思い出話になってしまったのは、この「Aquarela do Brasil」という曲を聴くと、日暮里の、谷中へ向かう大きな階段を下ってゆく時の13歳の記憶が浮かんでくるから。
https://www.youtube.com/watch?v=-ID-7RyRAHQ
なんでだろう。この曲を知ったのはもっとずっと後だと思うし、繋がりがあるとは思えないんだけど。
この階段の両脇の商店を見ながらおばちゃん家に向かうときの感覚がとても鮮明に蘇る。店先で焼いてるみたらし団子の餅の匂いとか、おでん種を揚げる匂いとか、箒やゴザを売る店の乾いた草の匂いとか、そんなものまで思い出してる。
正確には、後付けの郷愁かもしれないけど。
あの大きな階段。「ゆうやけだんだん」っていう名前なんだね。
私が13歳の頃はそんな名前はついてなかったけど。
おばちゃんは、ただ「階段」って言ってた。
地下鉄の千駄木駅を使うこと覚えて、すこしずつ大人になって、あの階段を歩くことなくなった。きっとすごく変わってしまったろうな。縁日のように並んでいたたくさんの小さなお店、もうないのかな。
おばちゃん家も、もうないしね。
今度あの階段を下ってみようかな。
「Aquarela do Brasil」の日暮里を見に行きたい。
改札を出ると道の向こうに線路が何本も走っていて、自宅のある町とは雰囲気が全然違った。
日暮里のおばちゃんの家には夏休みと冬休みには必ず遊びに行っていた。谷中の商店街で肉屋をやっているおばちゃんの家はがちゃがちゃと騒がしくて落ち着かなくて、でもなんでか面白かった。おじちゃんもおばちゃんも、3つ年上の従姉も雑に世話焼きで、おばちゃんちの1泊2日は思い出すとお祭りのようだったな。
着いた日の夕ご飯は、お店の揚げ物。コロッケかメンチか。ときどきかつ丼。
食べたら従姉と銭湯に行く。
朝ご飯は焼き海苔と必ずシラス。従姉の大好物で、シラスがあれば他はいらないんだって。肉屋の子なのにね。
というような思い出話になってしまったのは、この「Aquarela do Brasil」という曲を聴くと、日暮里の、谷中へ向かう大きな階段を下ってゆく時の13歳の記憶が浮かんでくるから。
https://www.youtube.com/watch?v=-ID-7RyRAHQ
なんでだろう。この曲を知ったのはもっとずっと後だと思うし、繋がりがあるとは思えないんだけど。
この階段の両脇の商店を見ながらおばちゃん家に向かうときの感覚がとても鮮明に蘇る。店先で焼いてるみたらし団子の餅の匂いとか、おでん種を揚げる匂いとか、箒やゴザを売る店の乾いた草の匂いとか、そんなものまで思い出してる。
正確には、後付けの郷愁かもしれないけど。
あの大きな階段。「ゆうやけだんだん」っていう名前なんだね。
私が13歳の頃はそんな名前はついてなかったけど。
おばちゃんは、ただ「階段」って言ってた。
地下鉄の千駄木駅を使うこと覚えて、すこしずつ大人になって、あの階段を歩くことなくなった。きっとすごく変わってしまったろうな。縁日のように並んでいたたくさんの小さなお店、もうないのかな。
おばちゃん家も、もうないしね。
今度あの階段を下ってみようかな。
「Aquarela do Brasil」の日暮里を見に行きたい。
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