イサムのクスノキ
高松のイサムの庭園美術館で眼にしたもので、ずっと気になって気になって仕方ないものがあった。

イサムの作業場の横に美しい樹があった。
四、五本の株立ちで植わっていて、高さは、せいぜい私の背丈の倍くらい。
こんもりと丸いドーム状に枝葉を広げて早春の陽に若い緑色が透けて、ほんとうに美しかった。
葉に触れてかいだ匂いからクスノキかな、、と思ったのだけれど、こんな風に生えるクスノキは見たことがなかった。クスノキは大木になる樹だから、株立ちで植えるなんて考えられないし。

美術館を訪れた日は、春の始まりの穏やかであかるく暖かい日で、時間が許すならこの樹の下に腰をおろして、ずっとこの気持ちのいい庭園を眺めていたかった。高松から戻っても、あの樹の美しさが忘れられなくて。

そして、調べてみて、驚いた。
あの樹は確かにクスノキだった。

あの美しいクスノキも、イサムの作品だった。
最も美しく見えるバランスを考えて地中に幹を2mほど埋めてあるのだって!

樹の、幹を、地中に、埋める!
そんなことありなんだ?!

あのアトリエをイサムが作ったのは1970年頃だったと思うから、あのクスノキがあそこに埋められて(植えられてじゃなく!)40年以上経つ。クスノキの樹高は最低でも15メートルを超えるし、成長も早い樹のはずだから、あの美しい樹形は常に剪定して維持するしかないよね。

生きた樹までも彫刻してしまうなんて!


あ、、だけど考えたら、日本には盆栽がある。
盆栽を、庭園の、巨樹クスノキで実践してるってことか。
日本的ミニマルな美とイサムの美意識のスケールでできあがった庭園があの場所なのね。

思い出すと、あそこは、なにもかもがきれいだった。
個々の彫刻作品そのものよりもその配置とか、白い壁に映える常緑のクスノキや、敷き詰められた白い土、閉じているようで空に向かって開放的な低い石垣、遠い借景の山、大扉を開け放った展示小屋から見る光と陰のコントラスト。
視界にはいるすべてのものが美しかった。

きれいなエネルギーがたゆたっているような、そんな “ 場 ” だった。
あああ。もう一度、あそこへ行きたい。
あのクスノキを眺めて、あの丘を登りたい。



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写真は美術館の受付棟の前のクスノキ。
ここは撮影可だったので、キレイだなぁと撮影したけど、これも、幹が大岩に抑え込まれるような形になっていたはず。
これもイサムの計画?







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