「ビリー・ピルグリムは時間のなかに解き放たれた」

そうじゃない。
解き放たれたのではなく「閉じ込められた」のだ。

ビリーは、けいれん的時間旅行者で、次の行く先を選ぶことも、干渉することもできない。自分の人生を離れてまったく未知の時代、場所へ跳ぶこともない。ただただ、自分の人生のある場面をランダムにくりかえし体験するだけ。
戦争を、飛行機事故を、妻の死を、自分の死を、異星での暮らしを、繰り返す。自分の人生に永遠に閉じ込められている。

これは、地獄というのではないの?


・・・・・

人生にもう一度味わいたいと思うような瞬間はいくらもある。
あのときの空の広さや揺れる樹々、肌を撫でてゆく風の匂い、隣にいたひとの声、言葉、想い。
もう一度……。

そう、もう一度と思えるからしあわせ。
その日その場所そのひととの二度はない時。それを真珠のように胸に抱いているからしあわせ。

もう一度と願うような瞬間も、二度目は喜べても、三度目には結末のわかりきったお芝居になる。
So it goes.
そうつぶやくしかなくなる。

・・・・・

「大量殺戮を語る理性的な言葉など何ひとつない」
だから、ビリーは閉じ込められた。閉じ込められて、語らず体験し続けることを強いられた。
カート・ヴォネガット自身が1945年のドレスデンの体験に閉じ込められていた、ということなのかもしれない。




コメント

はち
2017年6月29日23:25

次の読書は、カート・ヴォネガットに決定!

美藤
2017年6月29日23:27

私は閻連科「年月日」読み始めました(笑)

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