「プラテーロとわたし」
2017年7月16日 読書 コメント (2)サンティアゴの朝は、綿でつつまれたように、白と灰色に曇っている。みんなミサに行ってしまった。スズメたちとプラテーロと私だけが、庭に残った。
スズメたち!ときどき小さなしずくを降らせる丸い雲の下で、ブドウづるの間を出たり入ったり、さえずったり、たがいにくちばしを取り合ったりするスズメたち!そこの一羽は枝にとまったかと思うと、その枝をふるわせて飛び立ってしまう。もう一羽は、井戸のふち石の小さな水たまりにうつる空のひとかけらを飲む。向こうの一羽は、花におおわれた物置の屋根に飛び上がる。屋根の花はほとんどかさかさだったが、曇り空で元気づいている。
きまった祭日とてない幸福な小鳥たちよ!自然で真実な教会の鐘は、いつも同じようにのびやかに鳴るが、何かしらよろこばせてくれるものでもないかぎり、スズメたちは知らん顔だ。満ち足りたスズメたちには、逃れられない義務もなく、あくせくはたらくあわれな人間たちをよろこばせたり、おびやかしたりする天国も地獄もない。自分たちの道徳のほかに道徳はない。青空のほかに神もない。スズメたちは私のきょうだい、私のいとしいきょうだいなのだ。
スズメたちは、金も持たずカバンもなしに旅をする。気が向けば移り去る。せせらぎを感じ取り、茂みを予感する。幸福を得るためには、自分の翼をひらくだけでよい。月曜日もなければ土曜日もない。いつでも、どんなところでも水を浴びる。恋をするが名前はない。ひろくみんなを愛するのだ。
そうしてあわれな人間たちが、扉を閉めて、日曜日ごとにミサに行くとき、スズメたちは陽気にさわやかにさわぎたてながら、閉めきった家の庭へ大急ぎでやって来て、儀式なしの愛情をたのしく見せてくれる。そこにはスズメたちがよく知っている名もなき詩人と、やさしく小さなロバが(おまえは私といっしょだね?)スズメたちをきょうだいとしてながめている。
「スズメ」 J.R.ヒメネス
休日には、ベランダに置いた縁台で空に向かうジャスミンの蔓や陽を弾いてきらきらひかる檸檬の葉をながめて過ごす。風に乗って踊るアゲハが迷い込んだり、アシナガバチが偵察に来たり。思いがけずシジュウカラの巣立ちを見たり。
私も、あくせくはたらくあわれな人間のひとりだから、逃れられない義務にうんざりしたりもするのだけれど、小一時間、庭やベランダで時間を過ごせば、穏やかで満ち足りた気持になる。ほんとに。
これで隣にロバがいたら、もう何も言うことはないのだけれど。
コメント
素敵な本を読まれましたね^^
これはたくさんの出版会社から出ていて、イラストを比べてみるのも楽しいです。
” Platero es pequeño, peludo, suave..... ”
プラテーロは小さくて、毛むくじゃらで、柔らかい……
最初の部分を学生時代に諳んじてました。これ以上は思い出せないけど……。
本棚のどこかにあると思います。
以前、詩画集のような装丁でちらと読んだことがあったのですが
そのときはぴんと来なくて。
今回、長新太の挿画のプラテーロが気に入ってじっくり読んでいます。