Facebook が提供してくるこまごまとしたサービスは、ほとんどが要らぬお節介で、鬱陶しく思うばかりだけれど、この「この日の思い出を見る」だけは近い記憶が怪しくなりかけている身なので、ちょっと許す。
思い出と言ってもFBに記事をUPするようになったのはここ3年なのでそんな古いものはないけれど、それでも、たった3年でも、時の流れ去る速度が加速していく一方なのに驚く。
この記事は、ずっと心に残っていたので、また読み返せて良かった。


2年前にシェアした記事としてあがってきた「三つの寂しさと向き合う」という平田オリザの文章。
http://politas.jp/features/8/article/446


平田オリザの言う三つの「寂しさ」

一つは、日本は、もはや工業立国ではないということ。
もう一つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。
そして最後の一つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。




2年ぶりに読んでも、しみじみと共感する。
長く緩やかな衰退の時間に耐えて、それでも幸せに暮らせるよう準備を始めるべきなんだと思う。


昨秋お向かいに越して来たご夫婦に、5月、赤ちゃんが生まれた。
うちの町内会、12世帯は入れ替わりがなくて、ひょっとして私が最年少?ってくらい、高齢化してる。お向かいの夫婦が平均年齢引き下げてくれたけれど、それでもたぶんふたりとも30代後半かな。そんななかでの新生児。
静かだった町内に、赤ん坊の泣き声がすごく新鮮。
だけど、この子が成人するころには私は生を終える。その前に町内の半分はいなくなってるかな。
12世帯の高齢者25人に対して、ひとりの新生児。
なんだか象徴的じゃない?
高度成長期に人口爆発した東京の郊外の、ありふれた町内会の、2017年の姿がこれ。

30年後、青年期を終える年ごろになるこの赤ちゃんが、そのとき幸せでいられるように、それを考えるための政治だと思うのに。いまから準備しないと間に合わないのじゃない?
半世紀後、この子が、初老を迎えるとき、幸せだろうか?
……というか、日本は機能してるだろうか?

それを確認できない私は、幸運かもしれない。



平田オリザの文章に引用されてる、金子光晴の詩「寂しさの歌」
http://www.haizara.net/~shimirin/on/akiko_03/poem_hyo.php?p=14

この詩が発表されてから72年。
日本人は、なにも考えて来なかったんだな。









コメント

砂姫
2017年8月20日15:47

それを「幸運」と表現する感覚が、私が美藤さんの文章に惹かれる理由の一つかもって感じました。

美藤
2017年8月20日20:50

砂姫さん
読んでいただいてありがとうございます。
ニッポンの未来になにひとつ明るいものを思い描けないんですよね。
私自身は、明るい21世紀を疑わずに育ったっていうのに。
21世紀生まれの子供たちに丸投げして逃げ切ろうとしています。。

hana
2017年8月21日14:15

美藤さん^^

平田オリザ氏の文章、もう少しゆっくり読ませて頂きたいと思います。

で、ぜんぜん話は違うのですが
美藤さんって、
「みふじ」と読めばいいのでしょうか?
それとも
「びとう」???
それとも ????

美藤
2017年8月21日15:43

意外や意外!これで「リンダ」と!
……と、読むわけないですね(^_^;)

「みふじ」で(^-^)

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索