「写真の偶然の詩集のビリーの影」
「写真の偶然の詩集のビリーの影」
「写真の偶然の詩集のビリーの影」
坂本龍一「async」に展示されていた北園克衛の本を借りた。


 レモンの絹の木の影の海のガラス
 の寝室
 の眼
 のプリズムや
 孤独
 のピラミッド
 
 紫
 の疲れ
 
 そして
 また
 砂
 
 


と、これもまた坂本龍一らしい、気がする。
文字の並びと余白をデザインして詩作をしたひと、らしい。
いまだとタイポグラフィも見慣れている気がするけど、50~60年代にはモダンだったのだろうね。なんとなくどこかで見たようなアート、、という印象。
ああ、ハヤカワ・ミステリ文庫のエラリー・クイーンの表紙デザインを手掛けてたんだ。見た見た、見覚えあるこのシリーズ。と懐かしい。



坂本龍一のコレクションの写真に写っているのは「スローターハウス5」のDVD。この写真はメモがわりにパシャっと撮って、内容も確認してなかった。だからこのDVDに気付いたのはひと月半くらいしてから。
「async」に行ったその日に、旅人の歌の流れから「スローターハウス5」の話題がでて、興味を惹かれて本を読んでいた。
だから、この写り込んでるビリー・ピルグリムの顔見て、へえ、、と思った。
同じ日に、まったく関係のない異なった流れから「スローターハウス5」が私のところにやって来ていた。

偶然について。
やっぱり「偶然というのはありふれたもの」って思う。

もし、「スローターハウス5」を読んだ私が、なにか雷に打たれたような啓示でも得て、人生変えるようなことになっていたとしたら、この日の偶然を「奇跡」と呼んでもいいかもだけれど、そんなことはまったく、微塵もなく(笑)
この写真に気付いたから、へえ、と思うけれど、それ以上でもそれ以下でもなくただそれだけのこと。
もしかしたら、この同じ日に、外苑西通りですれ違ったお兄さんがビリー・ピルグリムのプリントTシャツを着てたかもしれないし、カフェの隣でお姉さんが読んでいたのが「スローターハウス5」だったかもしれない。気が付かなかっただけで。

つまり、気付いたことのみを「偶然」と呼ぶのね。偶然と書いて「へえ」と読ませてもいいくらいかも。
そもそも、偶然の意味は「他のものとの因果関係がはっきりせず、予期できないような仕方で物事が起こること」だって。
「レモンの絹の木の影の海のガラス」くらいに脈絡のないこと。

ほんとうに、ほんとうに、ありふれた事。
なのに、それを面白がる気持ちってどこからきてどこへいくのかな?
そっちのほうが興味ある。










 

コメント

はち
2017年9月6日12:35

僕たちの偶然へのこだわりは不思議ですね
偶然に意味を求めてみたくなったり、
かたや、すれ違いで偶然が起きなかった偶然に「へえ」と思ったり

先日、ある飲み会で、右隣の人が私の父と同郷で、左隣の人が母と同郷だったのには素直に驚いた。

美藤
2017年9月7日0:05

なんでしょうね。
意味なんか1ミリミクロンもないってわかってるはずなんだけど。
ありふれた偶然に、なぜだか、ふふふと嬉しくなる。
意味を後付けしたいような気持がさきにあって、それを見つけてくるのかも。ということは自分にとっては必然?? わけわからなくなってきました(笑)

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