Hana

2017年9月10日 音楽
Hana
言葉と音楽のことをあれこれ考えている。

私は書く以外になにかを表すすべを持たないので、ぽつぽつと言葉を探しながら生きている。けれど、言葉って簡単にはカタルシスをくれない。カタツムリのように、言葉の地平をのろのろと進むしかないし、時々言葉の泥沼にはまってうんざりすることもある。
歌えるひとが羨ましいと思う。
なかでも、声を楽器のように駆使して奏でられるひと。


――――言葉がなければ悩まなくてすむ。
言葉がなければケモノと一緒だ、と思いつつ、ひととしての悩みからは解き放されるのかも。 ほんとうにそうか? わからない。



これを聴いている。
Asa-Chang & Junray - Hana
https://www.youtube.com/watch?v=NeWhd3dcplM

花 が はな になって Hana になり H. a. n. a. になってゆく。
音が繋がり意味を宿す使命を解かれて、ばらばらな自由な個々の音になって散ってゆく。でもそのまま消えてはゆかないで、エーテルのように6分45秒を漂って、もう一度言葉に還る。声が、 音を言葉に収斂する。

言葉と声と音。
のっている意味の濃度が違う。
言葉が声に戻り音になる、意味が希釈されてゆく。






言葉が声に戻り、声が音になり、意味を失わせ、そうやって世界を遮断する。
言葉がなければ悩まなくてすむ。
                    重松清「疾走」より



悩むばかりではなく、軽やかなカタルシスを得られる言葉を見つけたい。
時々、歌うひとがそういうものを与えてくれるかな。稀有なことだけども。








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