帰省土産のお菓子を食べながらの休憩時間。
香ばしい瓦煎餅を持ってきてくれたカツコさんに「山形でしたっけ?Aちゃんと一緒ですね」と誰かが話しかけた。カツコさんが答える。
「Aちゃんも山形だけど、私は天童だから藩がちがうのよ」
藩がちがう――――冗談なのだと思って「藩、ですか~」と、みんなくすくす笑った。
地方出身のひとと話していると、自分の生まれ育った土地への思いは、都道府県のくくりでは言えないんだなって思う。
私でさえ「東京のひと」といわれると「都下です、三多摩原人です」って言いたくなるのだし、東京郊外よりずっと郷土史に馴染んで育ったひとなら都道府県名で「同郷」というのはなんか違うと感じるだろうな。
カツコさんの「藩がちがうのよ」は彼女にとって普通の感覚のようだった。Aちゃんは酒田のひとで、そう聞いて地図を思い浮かべてみれば海沿いと山沿いの地方では同じ県内でもずいぶん違うだろうことは想像つく。まして、そこに歴史的な経緯、おもに戦いの、がいろいろ加われば「違う」のは当たり前なのかも。
もちろんそれが職場での人間関係に影響するほどの話ではないし、普段は都道府県よりもっと大雑把に「東北のひと」「西の方のひと」って話になっちゃうのだけど。
私は日本史が苦手で、旅行も「史跡をめぐる」的な旅行はしないんだけど。
3年ほど前に福岡に行って、博多の街を歩いた時。いたる所で「秀吉由来の」とか「天照大神ゆかりの」とか「清盛が建てた」とか、、日本史のビッグネームがぞろぞろ出てきて、で、その現物が残っていることに驚いた。海沿いにあった「元寇防塁跡」というのを見て、“ひとになし”蒙古襲来1274年? 神風?とか思い出して、それまでただの知識だった歴史が、地続きになって私の足元にあるって思ったらちょっと気持ち悪かった。
2月に行った高松でも。
イサム家への途中で「那須与一 祈り岩」というのを見つけて。
平家物語でも有名な、弓自慢の那須与一が平家の女房のかざす扇を射抜く場面。
射る前に「南無八幡大菩薩…」と祈りをささげた岩が、、これ! 屋島の戦いのあった場所がここなのね、、、と。
この場所に立つ鎧帷子の武士の姿を想像すると、きらびやかな源平合戦図で見るより怖い。
私が日本史に疎すぎなんだけど、まったく予備知識なしでそういう史跡見ちゃうものだから、ほんとぎょっとする。ちらりと歩いただけでこれだもの、歴史っていうのは戦の繰り返しなんだね。殺し合いの歴史。
それ考えたら、とりあえず大きな戦さのなかった江戸時代265年間ってすごい。
江戸東京人が平和ボケしてしまうの仕方ないかも。
お金はすべて金や翡翠にして身に着けておくという感覚の国の人から見たら「宵越しの銭は持たねえ」とは、なんて能天気(笑) でも、どれだけありがたいことだったか。徳川幕府エライぞ。
博多港の港湾事務所にかかるおおきな垂れ幕の文言が
「持ち込ませない 麻薬・銃器 水際作戦」だった。
横浜や川崎でもこんなスローガンになるんだろうか。
博多に帰ってすっかり地元言葉に戻ってしまった友達が言った。
「ここは国境ん街やから、しょんない。こわかもん」
国境を意識して過ごすひと。
私がのほほんと鈍いだけで、歴史って過去から連綿と続くいま、ここ、なんだね。
なんかね、やっぱり日本史、苦手。
香ばしい瓦煎餅を持ってきてくれたカツコさんに「山形でしたっけ?Aちゃんと一緒ですね」と誰かが話しかけた。カツコさんが答える。
「Aちゃんも山形だけど、私は天童だから藩がちがうのよ」
藩がちがう――――冗談なのだと思って「藩、ですか~」と、みんなくすくす笑った。
地方出身のひとと話していると、自分の生まれ育った土地への思いは、都道府県のくくりでは言えないんだなって思う。
私でさえ「東京のひと」といわれると「都下です、三多摩原人です」って言いたくなるのだし、東京郊外よりずっと郷土史に馴染んで育ったひとなら都道府県名で「同郷」というのはなんか違うと感じるだろうな。
カツコさんの「藩がちがうのよ」は彼女にとって普通の感覚のようだった。Aちゃんは酒田のひとで、そう聞いて地図を思い浮かべてみれば海沿いと山沿いの地方では同じ県内でもずいぶん違うだろうことは想像つく。まして、そこに歴史的な経緯、おもに戦いの、がいろいろ加われば「違う」のは当たり前なのかも。
もちろんそれが職場での人間関係に影響するほどの話ではないし、普段は都道府県よりもっと大雑把に「東北のひと」「西の方のひと」って話になっちゃうのだけど。
私は日本史が苦手で、旅行も「史跡をめぐる」的な旅行はしないんだけど。
3年ほど前に福岡に行って、博多の街を歩いた時。いたる所で「秀吉由来の」とか「天照大神ゆかりの」とか「清盛が建てた」とか、、日本史のビッグネームがぞろぞろ出てきて、で、その現物が残っていることに驚いた。海沿いにあった「元寇防塁跡」というのを見て、“ひとになし”蒙古襲来1274年? 神風?とか思い出して、それまでただの知識だった歴史が、地続きになって私の足元にあるって思ったらちょっと気持ち悪かった。
2月に行った高松でも。
イサム家への途中で「那須与一 祈り岩」というのを見つけて。
平家物語でも有名な、弓自慢の那須与一が平家の女房のかざす扇を射抜く場面。
射る前に「南無八幡大菩薩…」と祈りをささげた岩が、、これ! 屋島の戦いのあった場所がここなのね、、、と。
この場所に立つ鎧帷子の武士の姿を想像すると、きらびやかな源平合戦図で見るより怖い。
私が日本史に疎すぎなんだけど、まったく予備知識なしでそういう史跡見ちゃうものだから、ほんとぎょっとする。ちらりと歩いただけでこれだもの、歴史っていうのは戦の繰り返しなんだね。殺し合いの歴史。
それ考えたら、とりあえず大きな戦さのなかった江戸時代265年間ってすごい。
江戸東京人が平和ボケしてしまうの仕方ないかも。
お金はすべて金や翡翠にして身に着けておくという感覚の国の人から見たら「宵越しの銭は持たねえ」とは、なんて能天気(笑) でも、どれだけありがたいことだったか。徳川幕府エライぞ。
博多港の港湾事務所にかかるおおきな垂れ幕の文言が
「持ち込ませない 麻薬・銃器 水際作戦」だった。
横浜や川崎でもこんなスローガンになるんだろうか。
博多に帰ってすっかり地元言葉に戻ってしまった友達が言った。
「ここは国境ん街やから、しょんない。こわかもん」
国境を意識して過ごすひと。
私がのほほんと鈍いだけで、歴史って過去から連綿と続くいま、ここ、なんだね。
なんかね、やっぱり日本史、苦手。
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