12月29日に思い出したこと
2017年12月29日 日常そうだ、今日は母方の祖母の命日だ。
久留米の伯母から電話がかかってきたのが、そのころ付き合ってたボーイフレンドの誕生日のお祝いに出かけようとしてた時だった。だからはっきり覚えてる(笑)
それからひと月ほどして母(実母)が亡くなったのだけど、命日、覚えてない。
私は高校三年だった。
久留米の祖母は大好きだった。祖母の訃報は素直に悲しくて、もう一度会いたかったと思ったのだけれど、母については「そうか」と思ったきりだった。それ以上に感情を揺らしたくなかったのかもしれない。
母とは12歳で決別した。
10歳で両親が離婚した時、私はほっとした。
事情はよく分からないけれど、父と母の穏やかでない雰囲気が嫌で嫌でたまらなかったから。ぎくしゃくと不穏な生活、はやく終わってほしかった。小学生の頃からただ静かに暮らしたいと思う人間だったんだな(笑)
父とふたりになって穏やかに暮らしてたのに、それをかき乱すのはやっぱり母だった。半年に一度くらい電話が来た。沈んだ声で「元気なの?」と尋ねた。呼び出されて会った。「お父さんには内緒ね」と言うのがすごくすごくすごーく嫌だった。会うの気が重かった。
何度目かに会ったとき、「ほしいもの買ってあげる」と言われ、なにも欲しくなかったけど、いらないと言うのはお母さんに悪い気がしてその時手にしていた縫いぐるみを買ってもらった。黄色いカバの、大きな縫いぐるみ。
これをお父さんに内緒にできるわけないじゃない。
父に、「これどうしたの」と聞かれて話した。父は「そうか」と言ったきりだったけど、気まずかった。母親を恋しがってるとか思われたくなかった。でもそういうことを説明できなかった。
うんざりした。母に。
その次に電話がかかってきた時。
「会いたくない」と言った。「もう電話もかけてこないで」と。
それが母と話した最後だった。
小学生の娘にそんなこと言われちゃうひとというのも可哀そうだなぁ、といまなら思うけど。そういうこと言わせる母親ってどうなの、とも思う。
母親にいい思い出が少ないせいか、「母親」という属性全般が苦手。
年末って、家族の時間だ。みんなが内向きになる。
それがなぜだか少し寂しい。だから、こんなこと思い出すんだね。
久留米の伯母から電話がかかってきたのが、そのころ付き合ってたボーイフレンドの誕生日のお祝いに出かけようとしてた時だった。だからはっきり覚えてる(笑)
それからひと月ほどして母(実母)が亡くなったのだけど、命日、覚えてない。
私は高校三年だった。
久留米の祖母は大好きだった。祖母の訃報は素直に悲しくて、もう一度会いたかったと思ったのだけれど、母については「そうか」と思ったきりだった。それ以上に感情を揺らしたくなかったのかもしれない。
母とは12歳で決別した。
10歳で両親が離婚した時、私はほっとした。
事情はよく分からないけれど、父と母の穏やかでない雰囲気が嫌で嫌でたまらなかったから。ぎくしゃくと不穏な生活、はやく終わってほしかった。小学生の頃からただ静かに暮らしたいと思う人間だったんだな(笑)
父とふたりになって穏やかに暮らしてたのに、それをかき乱すのはやっぱり母だった。半年に一度くらい電話が来た。沈んだ声で「元気なの?」と尋ねた。呼び出されて会った。「お父さんには内緒ね」と言うのがすごくすごくすごーく嫌だった。会うの気が重かった。
何度目かに会ったとき、「ほしいもの買ってあげる」と言われ、なにも欲しくなかったけど、いらないと言うのはお母さんに悪い気がしてその時手にしていた縫いぐるみを買ってもらった。黄色いカバの、大きな縫いぐるみ。
これをお父さんに内緒にできるわけないじゃない。
父に、「これどうしたの」と聞かれて話した。父は「そうか」と言ったきりだったけど、気まずかった。母親を恋しがってるとか思われたくなかった。でもそういうことを説明できなかった。
うんざりした。母に。
その次に電話がかかってきた時。
「会いたくない」と言った。「もう電話もかけてこないで」と。
それが母と話した最後だった。
小学生の娘にそんなこと言われちゃうひとというのも可哀そうだなぁ、といまなら思うけど。そういうこと言わせる母親ってどうなの、とも思う。
母親にいい思い出が少ないせいか、「母親」という属性全般が苦手。
年末って、家族の時間だ。みんなが内向きになる。
それがなぜだか少し寂しい。だから、こんなこと思い出すんだね。
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