はじめてのヘニング・マンケル。
つぎは「顔のない男」を読みたいと思う。
アルナルデュル・インドリダソンの作品を読んだ時も、アイスランドのあれこれを検索してしまったのだけれど、今回はスウェーデンについてネットで読み散らした。北欧の小説の空気感ってなにか独特な気がする。
アメリカの推理小説みたいな饐えた匂いがないというか。埃っぽくないというか。寒くてモノが腐らないし人口密度低いから、、とかって話ではなく。いや、あんがい、そのままそれが空気感にでてるのかもしれない。描写も品が良いし。
アメリカの警察小説が、そりゃあもうシステマティックに捜査を進めていくのに比べたら、エステルスンド警察は牧歌的というかなんというか。
危機が迫ってるのに刑事に電話繋がらないとか、警察署の電話が留守電だったりとか(警察無線とかないのか)、刑事が事件関係者の名前をレストランの領収書の裏にメモしてそれを失くす(犯人に拾われる!)とか。休職中の刑事を捜査に加えてしまうとか(アメリカだったらもうこれだけで公判維持できないよね)とかとか。杜撰といえば杜撰(笑)
ミスリードとかもなくて、「正しく」怪しい人しか登場しなくて、そしてそれをほぼ正しく主人公が無駄なく追ってゆき。ストーリーに緊迫感が生れるのは、捜査する側がうっかりだったりドジだったりするからで。
あらら、こう書くとなんだか身も蓋もないけど、こういったことはこの作品の瑕疵にはならない。むしろとてもリアリティのある人間がそこにいると感じられる。
松本清張なんかに近いと思う。
登場人物に個人としての人間味があって、さらに世代をまたいだ社会背景があって。大きなくくりで見る時の人の不気味さおぞましさと、ひとりひとりの人生のかけがえのなさが伝わってくるような。
これは推理小説ではなくて、社会小説、人間小説なんだね。
だから推理小説の要素、Who、Why、Howは早い段階で明かされているし。
それよりもっと大事なテーマがある。
2000年に発表された作品だけど、人の精神から完全に消し去ることのできないファシズムという疫病の不気味さは、2018年のいまの状況を読んでいるようだった。
第二次大戦中のスウェーデンがどういう状況、どういう立場だったのかまったく知らなかったのだけれど、ドイツと結びつきの深かったこの国では1930年代にナチズムが深く広まっていたらしい。
表に立ってパレードをする人々の後ろに、ヒトラーを崇拝する顔のない灰色の群衆がいた
灰色の群衆―――この言葉に背筋が寒くなる思いがする。
コメント
ロスアンジェルスが舞台だとハイウェイの音が聞こえるようにいつも音がしている気がして、ニューヨークだとクラクションとパトカー/救急車みたいな大きな音がガシャガシャしている気がする、勝手に。
でもニューヨークが部隊のS.J.Rosanの『ピアノ・ソナタ』なのに、ビルのパートは何故か静かな感じがするから、一概には言えないんだけど。
でもマンケルの世界は静謐な感じがします、と一回り(笑)。あはははは。
タンゴステップなんだけど、燃え上がる様なタンゴ感がまるでないのがまたマンケルらしいと思いました。
いつもありがとうございます♪
ほんと北欧の小説は、しんっ……としてますね。
雑踏とか、ひといきれとか、そういう密度の濃さのない風土なのかもしれないですね。
小説読みながら映像をイメージしても、BGMとかSEとか無駄な音が浮かんでこないです。聞こえるのは雪を踏みしめる音とか風の音とかくらいのイメージ?
タンゴステップも、CDをかけて踊っていたという記述はありましたけど、彼は心に流れる過去のタンゴを聞きながら踊ってたのかも、そんな風に思えるくらいしんとしてますね。死のステップでもありましたし。
大都市が舞台でも、主人公が内省的なキャラクターだと静謐な気配になるのかもしれないですね。犯罪者と戦うのではなく、事件の真実を追う過程での主人公の心理描写に重点置いたストーリーだったりとか?
ヴァランダー・シリーズも読んでみます。きっと好きだと思います(笑)