ベランダで揺れてるモジズリ(ネジバナの別名。こっちの名前のほうが好き)を見ながら、種の時間を思う。
モジズリが花穂を出している鉢は、どれも多年草が植わっていてベランダで数年経つものばかり。新しいものでも4年は経っている。
ベランダの鉢には、買ってきた園芸土を使っている。それに鹿沼土や赤玉土、腐葉土なんかを適当に混ぜている。たぶん園芸種の弱々しい若苗にはこちらが良いのだろうけれど、新しい土を使った鉢にはモジズリは出てきていない。
モジズリの種がどこから来たのかはわからない。
飛んできたのかもしれないけれど、袋詰めされた園芸土に混ざっていたってきっとわからない。
でも、モジズリの種は、土の中でうとうと眠りながら時を待っていたんだろうな。何年も。
レモンやカロライナジャスミンが根を張って土の環境を変えるのを。虫が住みついて土を掘り返したりフンをしたり、雨や雪がミネラルや微細ななにかを運んできたり。そうやってモジズリの相棒、担子菌が繁栄するまで待ってたんだろう。
気が長いなぁ、なんて思うけれど、やっぱり植物の時間はひとのそれとはまったく違う。とくに種は、命のタイムカプセルみたいね。ちゃんと環境が整って時が満ちれば外殻を割って芽をだす。その生命システムの見事さ。
ミントの鉢に咲くちいさなピンクのランに、静かに感嘆する。
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