植物のエネルギー
 


…… この大地で唯一、植物だけが太陽の光を直に吸収し、生命に欠かせない酸素と炭水化物を生み出す形で太陽の恵みを生きものたちにもたらす。そういう植物の種をいま、まさにこの手で播いていることについて、この身体の細胞たちがささやかな興奮を覚えているということがあってもおかしくないではないか、と。
 そら、播種機から床土に落とされる紡錘形の薄黄色の種籾の一つ一つが、太陽光エネルギーの貯蔵庫であり、人間を含めたそのへんの一切の生命につながっている。やがて芽を吹き、根や茎や葉を出して稲になり、伊佐夫の糧になり、その全身の細胞の中で熱エネルギーが生み出され、伊佐夫は生命を維持する。

 …… 中略 ……

栃の木陰でペットボトルの水を飲む男は、しばし自身が水を吸い上げる植物の根になったような感覚になり、光合成で行われる電子移動において、水こそが電子の供給源になっていることに感嘆を覚えて、ほうと深呼吸する。

                        「土の記」高村薫







ベランダでひょろひょろと育っていたサルスベリの、二本のうちの一本が、先日の酷暑で葉を枯らしてしまっていた。1メートルほどに伸びた幹に比して鉢のサイズが小さすぎるのはわかっていたので、この暑さの中、いつもよりたっぷりと水を上げなくてはいけなかったのに。
枝についたまま、触ると砕けるほどに乾燥しきっていて、木そのものが枯死してしまっただろうと思った。
中途半端に育って、鉢替えするか庭におろすかしないとな、、とベランダでは二軍扱いされてたサルスベリなので、「あら、枯れちゃった、ごめんごめん」くらいでそのまま打ち捨てられる可能性大だったのだけど、ダメ元で、バケツに水を張って鉢ごと浸けておいたら、3日で新たに葉が芽生えてきた。春先の新芽と同じ赤味を帯びた葉。
直径1センチほどの、枯れた小枝にしかみえないサルスベリのどこに、こんな瑞々しい葉を隠していたんだろうと不思議でならない。
ほおと深呼吸したいような感嘆を覚える。

私のベランダの植物は、植えたら植えっぱなしなので、ほんとうに太陽の光と水だけで生きている。
今年種から育ったブドウもオミジャも、レモンも、芽吹きからわずか数か月で窓外を緑のモザイクで覆うくらいに変身して、さらに成長し続けているってすごいことに思える。

部屋から眺められるように鉢を置いているけれど、気が付くと部屋からは葉裏しか見えなくなっている。太陽の光を集めようとすべての葉が黄道を向いている。夏の緑は、太陽の光をむさぼり食っているのだね。
そう思ったら植物の生体メカニズムって、途方もないモンスターシステムに感じられて怖いくらいだ。適うわけない。…というか、それを分けてもらえるから、動物は生きていけるのか。

低温にやられたレモンも、高温に焼かれたサルスベリも、どちらも復活した。
植物のエネルギーは、私の一喜一憂を軽々と超えてゆく。









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