これっぽっちも


ちいさなあごの前でおや指とひとさし指の腹を合わせて、リョーコさんが言った。


愛がないので、と。


りきむでも、悪ぶるでもなく。おにぎりを食べながら。

 
   
そうだよね、と思った。
血が繫がっているからって。
一緒に住んでいるからって。
愛があるとは限らない。


愛憎の憎、というほどの憎しみではないけれど、自分の中で折り合わない感情、釈然としない気持ち、なんで?という不満、、、を自覚して自己嫌悪に陥る。せめてこゆびの先くらいでも愛のようなものがあれば、すこしは自分を誤魔化せるのかもしれないけど。リョーコさんがすらりと言ったように、ないものはないのだ。すらりと言うしかないくらいに、ひっかかりなく愛はないんだ。


私よりひとまわり若いリョーコさんだけれど、父親の介護が始まっている。
「私、葛藤するの嫌いなんです。やらなきゃいけないなら、さっさとやってしまいたいんですけど、なんでこんなにもやもやするんでしょう。仕事みたいには片付かないです」
リョーコさんらしいな。
そりゃそうね。もやもやすることばかりよね。
介護を通じて大嫌いだった父親と和解する日が、、なんて、そんなドラマじゃあるまいし、ね。
ほんとにね、どうしたらいいんだろうね。

そこに愛があろうとなかろうと、目の前に老いてゆく“親”がいる。
私も愛はないんです。あるのは、なけなしの“義理”と“人情”それくらいかな。 

最近は、職場でもそんな話ばっかり。
 







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