Lost Memory Theatre
2018年11月26日 Live!この秋、一番楽しみにしていたライヴ。
去年2月に晴れ豆で演った「Lilies of the valley」の、ゴージャスでカッコイイ音を聴いて、もっと大きなところで三宅純を聴きたいなぁと思ってた。
アルバム「Lost Memory Theatre」は、オーストリアのラジオ局が30分ほどの番組にして放送したのをMusic Cloudで聴いた。アナウンサーのドイツ語が音の色にしっくりと馴染んでいてその番組自体が聴いてて心地よかったのでiPodに落としてときどき聴いてる。ブラジルでのステージの様子もyoutubeで観てて、あーこれライヴで観たいなぁ聴きたいなぁと思っていたのだった。
三宅純ってヨーロッパがホームグラウンドなひとというイメージだったので、普通に日本にいる気がしなくて、晴れ豆の時も、こんなちいさなライヴハウスにでたりするんだーと不思議な感じがした。もちろん充分楽しんだけれど。
昨夜のBlue Note 。ソフィスティケートされた三宅純の音に似合ってた。贅沢な空間に豊潤な音。
柔らかなドラムの響きも、ドラマチックに鳴る弦の厚みのある音も、ブルガリアの三人の天空に満ちるような声も。
コスミック・ヴォイセズのヴァニャ・モネヴァが目の前に立つたびに香るヨーロッパのひとらしいパフュームも、隣のテーブルの白人男性の体臭も、皿から匂うバルサミコも。
昨夜そこにあったなにもかもひっくるめて「Lost Memory Theatre」の演出の一部みたいだった。
訪れたことのない、記憶にあるはずのない―――あらかじめ失われた記憶の―――土地の空気、匂い、音が、異空間からつぎつぎと立ち現れまた去ってゆくのを観て聴いているような90分だった。
三宅純は何度もステージ上のアーティストを紹介していた。階上にいる音響スタッフや後ろに控えるモニターエンジニアまで紹介してた。「彼らがいないとこのステージはつくれません」と言って。空間に音を満たしてみせるパフォーマンスに関わるすべてを指揮して作品にする。
ギター一本の弾き語りや街角の鼻歌が心に響くこともあるけれど、こういうプロフェッショナルなアートを聴くというのはやっぱり格別だと思う。
この秋のハーベスト。黄金色の豊穣。
2018.11.25 Blue Note Tokyo 2nd
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