「東京骨灰紀行」
 

アスファルトの下に累々と埋もれる、江戸・東京の骨灰。明暦の大火このかた、震災と大空襲の犠牲者までをまとめてご供養の両国から、小伝馬町の牢屋敷跡、小塚原の仕置場跡、地下鉄サリン事件の築地、お骨の大量入居地、谷中墓地に多磨霊園…。無数の骨灰たちの彼方に、この国の首都の来し方、忘れ去ってきたものが見えてくる。東京の記憶を掘り起こす鎮魂行。「BOOK」データベース




神田岩本町界隈を歩いていて、「千葉道場跡」という史跡案内に足を止めて見たことがあった。
千葉道場?千葉周作?幕末の有名人のひとりだっけ?へぇ、こんなとこにいたんだ。で、そのまま通り過ぎて幾歳月。
こんなとこって、さてどんなとこだと思ってたんだろうか。テレビの時代劇でなんとなくイメージする江戸の町が今日歩いた東京と同じところだなんて考えたこともなかった。

この本を片手に町名を頼りに歩いたとしても、四角いビルとアスファルトの街並みにそれらしい気配を感じることはできそうにもない。むしろ文字を追いながら想像する風景のほうが、江戸・東京という土地の地下に埋まっているものを感じられる気がする。
歴史というのは、ほんとうにただただひとの生き死にの積み重ね、文字どおり死屍累々と積み重なった骨灰の時間なんだと思う。まして都市というのはひとが集まる分だけ骨灰も累々積み重なる。

私ひとりがいまここに存在するために、いったい何人の人間が必要だったかと思う。親ふたり、祖父母4人、曾祖父母8人、、、ちょっと遡って倍々するだけであっという間に1000人超える。先祖代々の墓、、なんてものにはいっている人は遡って何代でもないだろう。名のある家でもないからね。それ以前の皆々様は?東京はもちろん江戸にもいなかったろうから、きっとこの列島のどこかでひっそり朽ちて土に帰ってるんだろう。国土というのはひとの骨灰でできあがっているんだ。


なんて書いてると、陰鬱鬱々とした本みたいだけど、筆者の語り口は永六輔とか小沢昭一みたいに軽妙洒脱で、でもぴりりと刺すところもあって読みやすい。
だけどこれからは日比谷線で小伝馬町なんかに停まったら思わずナンマンダブって念仏のひとつも唱えちゃうかもしれない。



コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索