「キューポラのある街」
 
 
「キューポラのある街」は観たことない。
吉永小百合の映画だと、タイトルを知っているだけ。
原作の小説を読んでみようかなんて思ったのは、このあいだ行った立石の昭和感がまだ気持ちの中に残ってたからかな。

吉永小百合や倍賞千恵子が工場の煙突から立ち上る煙を眺めて東京の青い空〜って歌ってるような街、、って教えられてた。行ってみたら、立ち食いの寿司屋に30代の倍賞千恵子さんみたいな奥さんがほんとにいた。三角巾をさらっと結わえて、きびきびと立ち働く女将さん?が、寅さんの妹のさくらみたいで、わぁ、この町に、このお店に似合い過ぎ(笑)
立石を東に行けば柴又で、荒川をすこし上ればキューポラの町、川口。倍賞千恵子、吉永小百合…そんな風につながったのかも。



すこやかな成長物語なのかなと思って読み始めた「キューポラのある街」だけど。
 


「どんなちっぽけなものでも、そこは鋳物工場でしょ。労働者がいて、工場と名のつくかぎり、労働者の権利は守られなきゃならないんだわ」
ノブ子は、熱心に乗り出してくる。
「ね、ジュン、組合がないのなら、どうして、みんなで組合を作ろうとしないの」
なんという世間知らずのお嬢さんだろう――とジュンはびっくりする。



 
ノブ子とジュン(映画では吉永小百合)、15歳。中学3年生の会話がこれ。
平成31年だったら、大学生でもこんな会話しないだろうな、“労働者”であるひとたちでもしないね。
もちろん作者が社会情勢を投影して、語らせているフィクションなんだけれど。
小学生の弟は伝書鳩を育てて、どうやって売れば儲かるか算段したり、それでトラブルになって非行に走りそうになったり。姉のジュンが愚連隊に直談判に乗り込んだり、、、愚連隊、、死語だわぁ(笑)
キューポラの街のジュンの家は貧しくて、どうやって高校へ進学しようかと思い悩んでるんだけど、この主人公を、身体中に希望と朗らかがぱんぱんに詰まってそうな10代の吉永小百合さんが演じてると思って読んでると、なんだかすごく安堵感が生れる(笑)

60年前の児童文学。
「草薙の剣」の昭和クロニクルのひとつのエピソード読んだような気がした。
私の知らない昭和のおさらい。





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