言葉はお互いをわかりあうためにあるわけじゃない。
言葉はお互いを疎外するためにある。
あるブログに書かれていたこと。
そうかもしれないと思う。
そうじゃなかったら、言外に、とか、行間を読む、とか、裏の意味、とか、そんな表現が当たり前にあるわけない。
なぜ、ひとは、本心を隠して、濁して、誰かに言葉を発するの?伝えたいの?知られたくないの?
感情を伝えるのに、音楽のほうがまっすぐかもしれない。
「The Piano」のエイダみたいに?
それより匂いのほうが、もっともっと深く伝えるかもしれない。
隠しようもなく。赤裸々に。
ひとの嗅覚が犬のレベルに進化していたら、世界は絶対ちがってたね。
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