’80年代に一世風靡した感のあるミッキー・ロークの復活作、とか割と評判が良くて観た。なるほどこれを経て、アイアンマン2のヴィラン役で登場となるのか、と納得のヴィジュアル。

 


……いやぁ、ぜんっぜん楽しめなかった(汗)
 
物語の帰結がストレート過ぎて。
映画にハッピーエンドは特に求めてないんだけど、「深夜ドキュメント 55歳それでもリングで跳ぶしかない」的なリアルはねぇ。うーん。。
老いたレスラーのパフォーマンスとか痛々しくって見てて楽しくない。
ミッキー・ロークの実人生重ねてるとからしいけど、いやいやそういうリアルは要らないかなぁ。

プロレス興行の舞台裏とか、温かでリスペクトしあってるレスラーたちの姿とかが救いだったけど。あと、盛りの過ぎたストリッパー役のマリサ・トメイの身体がキレイだなぁとか。トップレスでポールダンスしてるんだけど、あらおっぱいキレイとか。44歳でそのスタイルはステキじゃない、とか。マリサ・トメイ、割と好きだし。
エンディングでブルース・スプリングスティーンの声をなんか久しぶりに聴いた気がしたなぁ。Bossに歌われてもなんとも思わんかったけども。







コメント

はにゃ。
2020年1月10日17:07

あら、私結構好きだったけどなー。

アイアンマンの方はこの役まんま過ぎて、あー「レスラー」に乗っかったわけねぇと思ったのが懐かしい。

こういうハリウッドのある意味正統派のエンターテイメント映画って、昔は好きじゃなかったけど。最近は時間の過ごし方として許せるようになった、という自分の変化が大きいのかもしれない。こういうのはこういうのとして、夕食のお供とかデートで、とかでいけるようになりました。

自省的な映画は一人で観たいかも、だけどね。

はにゃ。
2020年1月10日17:17

てか、もともと昔、ミッキーロークファンだったからってのは大きいかもw

美藤
2020年1月10日20:06

はにゃ。さん

アイアンマン2の時のミッキー・ロークは、誰だかぜんぜんわかんなかったのよ~(笑)

でも、ミッキー・ロークは好きで’80年代の作品はかなり観てる。「レスラー」の彼も好きだよ。ボクシングやってるんだっけね、格闘技体形に変わって、整形もしたらしいけどチャーミングな表情は変わらなくて。
でも話がねぇ、、、伝説のレスラーの20年後、老いとか家族への悔恨、諦めきれない気持ち、病、、、きっとああなって、こうなるしかないんだろうなぁ、、って想像した通り過ぎて、ワタシ的にはエンターティメント要素はみつけられず(汗)人生を味わうにしては侘しすぎるし。

好きでやってるとはいえ、初老のオッサン(ミッキーじゃなくて役柄のランディのほうね)が身体酷使してるのがなんとも見るに忍びないというか、いたたまれないというか、、、。「大概にしなヨっ!」って張り飛ばすか、「勝手にしなヨっ」って去りたい、って感じかなぁ(笑)
あ、完全に娘視点、女友達視点で共感してるとも言えるね(笑)

はにゃ。
2020年1月14日14:41

しつこくてすみません・・w。なんとなく自分で書いたことも腑に落ちなくて、頭のすみで考えてたんだけど。私がこれを見たのが多分もう10年くらい前なんですよねー。そうすると、今見ると感想が違うのかなーと。

実はこの映画と”Anvil”ってバンドのドキュメンタリーの『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』という映画とセットのように見ていて。手っ取り早く言うといい歳した夢を諦めきれないオッサンという共通項なんだけど。

Anvil に至ってはこの映画がスマッシュヒットして組まれた来日公園(渋谷のクアトロだった、確か)まで行ってしまったんだよねぇー。

ほんと、途中でいたたまれない思いになるくらいに、悲惨な売れないミュージシャンが、日本のLoud Park で結構な数のオーディエンスに迎えられたシーンなんてホロっと。

なので、その映画との相乗効果は抜きには見ていなかった結果の感想になっているかも、と思った次第。でも、そういういたたまれないくらいに不器用な奴のベタな結果は、やっぱり意外に嫌いじゃないかもしれないけどw

美藤
2020年1月14日18:16

はにゃ。さん

コメントって、私も後から加筆修正追記したくなる~(笑)
なので何度でもコメントしちゃってください。はにゃ。さんのコメントは、「へぇ~ ほほう~」というの多いので歓迎です♪


『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』なるほど!
「途中でいたたまれない思いになるくらいに、悲惨な売れないミュージシャン」ってぇ……(爆)そのいたたまれなさ、、、想像つくぅ~(笑)
そのバンドはまったく知らないんだけど、往生際悪いオッサンズが線香花火の最後の火の玉みたいに輝いちゃう感じにホロっとくるのもわかる。
私も、そういうのには弱いです。嫌いじゃない、いえ、好き(笑)

でも、ミュージシャンは演奏で死なないからねぇ~。。
ランディはなぁ…(泣)
胸の30センチの手術痕晒して、ロープ最上段から跳ぶのはやめて~~って思う。対戦相手もレフェリーも「もうやめよう!」って言ってるのに、心臓発作起こしかけてて跳ぶな~レフェリーストップしろ~救急車呼べ~って感じだもん(笑)
一度は引退を決めて、スーパーのデリで働き始めるんだけど、レスラーの“ラム”ってバレるのに耐えられない。なにもかもうまくいかない。線香花火の最後の火花さえないの。
夢を諦めきれない、オッサンになっても夢を追うという微かな光さえ微塵もなくて。セカンドライフに挫折して自棄になっての、ある意味“自殺”なので、、、「バカヤロー!」って言いたくなるんだよねぇ(泣)
まあ、あそこで跳ばなくても、末路は想像つくんだけどさ、、、ってそこが辛すぎました。


はにゃ。
2020年1月14日18:32

あ〜〜、スーパーのデリ!あったね、あった、あった。そんなシーン。
あれは切なかったわぁー。結局やれる仕事って限られていて、ああいうミニマム・ウェッジ(最低賃金)の仕事しかなくて。でも人々に気づかれたり、からかわれたり、悪態つかれたりねぇー。うぅぅぅぅ。

思い出したよ。

ってかね、多分私は、そんな嫌な仕事しながら「少し」長生きするくらいなら、リングで死ぬのもありだなって思ったんだな。だからそこは変わってないかも。

リングで死ねば「伝説」とともに死ねるもんね。辛いけど。

ほんと、あそこで跳ばなくても、行く末は知れてる(ことが多い)しねぇ。

この間友人が亡くなった後にも、色々と自問したのだけれど。結局、自殺的行為には私は比較的寛容なのだと思う。というか、死にたくなったら死なせてくれって思いを、誰が否定できるんだろうかと思ってしまう、というかね。

雨宮さんは事故だったけれど、希死念慮が強い日記を残しているし。残念だし、もっともっと読みたかったけれど、事故じゃなかったとしても、仕方なかったのかなぁーと思ってしまう、というかね。そんな感じ。

私は交通事故で死にそうな目にあってるからなのかな。「死」について考えることが若い頃からあって、そんな目にあったことがなかったら違うんだろうか。わからないけれどね。

「レスラー」についての感想にしては重くなってしまったわw へへ。

美藤
2020年1月14日21:04

うんうん。いろいろと同意します。

話を分けて書くね。

■「自死」について。
>死にたくなったら死なせてくれって思いを、誰が否定できるんだろうかと思ってしまう
私もそう思う。
私自身について言えば、深刻な希死念慮に囚われたことってなくて。それはたぶん幸せなことだよね。
でも10年くらい前に軽い欝になった時(たぶんメノポーズ)、死ぬ方法ばかり考えてしまったことあって、「こうすれば死ねるんだ」って思うことで逆に安心して息ができた。だから「死にたくなったら死なせてくれって思い」は否定されたくないし、否定しない。でも、そう思い詰めることと実際に行為に及ぶことは次元レベルの違い?途方もない距離?があるように思う。あって欲しいというべき?

17,8年前に、従弟が自死してて。そんな親しかったわけではないし、冠婚葬祭で顔合わす程度の従弟だったけど、血縁の自死って、じわじわ来るようで。「死にたい思い」と「死ぬ行為」の間を従弟はどうやって超えたんだろうって、すごく考えてしまう。結論はでないけど。


時は過ぎて(笑)少し話ズレるかもだけど。
いまの年齢で、老いとその先にある死について考えるとき、「選び取る死」というのがあってもいいのにと思ってる。老後に足を踏み入れようかって年齢になると「死ぬのが怖い」んじゃなくて「死に至る苦しみ」が怖いんだって思う。友人が「選択死」があったらいいのに、って言ってて。あ、ほんとそれ欲しいって同意し合ってる。尊厳死みたいに崇高じゃなくて、安楽死みたいにビンボ臭くなくて、もっとカジュアル(?)に「選択死」。75歳過ぎたくらいから合法的に穏やかに実行できる「終了スイッチ」持たせて欲しいって(笑)

若くして自死を考えるのと一緒にはできないかもしれないけど、「死ぬ時を決める」ことができればいいと思う。決められない人は決めなくてもいいんだし。

…とまあ、「自分の死」についてはその思い・選択を否定されたくないのだけど、従弟のことでつけくわえると、従弟と最も近くにいた奥さんとふたりの子供にとっては到底受け入れがたい行為で。
いまココに書いた私の自死を肯定する言葉は一行たりと絶対に見せられないよなぁと思う。

う~ん、結局ひとひとりの死って、誰のものなんだろうか、、、。



■映画「レスラー」のこと。
私も自死という選択を否定はしない、っていうの踏まえてだけども。
それでも映画「レスラー」のシナリオはいただけない。

リアルな誰かの話なら(って、すごく誤解されそうな前提だけど)
>そんな嫌な仕事しながら「少し」長生きするくらいなら、(リングで)死ぬのもあり
と思って否定はしない。それがベタな実人生なのかもしれないから(そんな社会悲しすぎるけどさ…)

でも、映画っていうフィクションでこれは「芸がない」ってやつなのではと思っちゃったんだよね。
なにか、なにかが足りない。もうひとひねりしてくれ~みたいな感じかな(笑)



長くなったわぁ。
とりとめなさ過ぎて、明日になったら加筆修正したくなっちゃうかも~(笑)
でもたぶん「レスラー」のミッキー・ロークが魅力的だから、あれこれ思いが湧いてくるんだよね。
(さらなるコメント遠慮なく~~笑)

はにゃ。
2020年1月15日17:22

うふふん。コメントの追記歓迎、嬉しいわ♪

映画としての脚本にひねりがないだろっていうのは確かにそうだよねー。あまりにもベタだし、まぁアメリカ人が好きそうというか。じゃぁどうしたら良いのかは、また優れた脚本をかける人にでも訊いてみたいところだし、わたしなんかじゃ考えられんが。それは確かにそう思う。ミッキー・ローク演じるレスラーはどう生きる/死ぬべきだったのか、映画としては他のエンディングがよかったんじゃという選択肢は確かにあると思う。

んで、「自死」あるいは「死の選択肢」について
年をとって、徘徊とかアルツハイマーとか、人に迷惑かけるようになったら、静かにポチっとボタンおして消えたいよねぇとは、切実に思うねぇ。消える選択肢。病で苦しむのもイヤだなぁと改めて思うけど、周りが大変な思いするのはもっとイヤだね。子供がいないしさ(いてもそうだけど)。

ここのところ、幡野広志さんという写真家の書くものを割と読むのだけれど(と言いつつ著作は未読)。尊厳死・安楽死・自殺等、死と生の権利って誰のもの?とよく考えます。

私自身も強い希死念慮に囚われたことはないのだけれど。この間友人が悩んで鬱になっていたのだろうという結果自死していたことがわかった時に、(昔のボーイフレンドだったし、時折メールも来てたし、インスタにいーねつけてくれたりしてたし、悩みのメールもきてたし、酷い離婚をさせられたのも聞かされてたし)、あーなんかできたのかな?という思いが湧いてきたのは事実。亡くなる前より、インスタに幽霊垢が残っているのや、いーねがつかないことで、亡くなったあとの方が存在感があるって不思議だよなぁーなんてね、思ったりして。

はにゃ。
2020年1月15日17:25

で、(まだ続くんかいw)結局消えたい人には消えさせてあげてもよいのかなーと、再び思ったんだよねぇ。

他の解決策もあったかもしれないけど。

「レスラー」もこの間見た「スター誕生 アリー」でも、他の解決策もあったと思うけど。それはそれで尊重してあげようと、ついつい思ってしまう、って感じなのかなー。

はにゃ。
2020年1月15日17:26

なんかぐるぐるしてきたねぇ。また頭を冷やして、今度ねぇ。
(まだ書くんかいww)

美藤
2020年1月15日20:58

……www


亡くなったあとの方が存在感があるって、そう、なんだか不思議だよね。
私もそういう実感を持ったことある。

なんだろうね、たぶん、存命の頃は関係性とか心理的距離がとても遠い人だったのが、亡くなることで私の心の中に生き返るみたいな。訃報って、自分で意識するよりもずっとインパクトのある知らせなのかなって思う。

幡野広志さんの書いてるもの読んだよ。
はにゃ。さんが、日記で幡野さんのことに触れてたの読んで記憶に残ってて、SNSかなにかでたまたま流れてきて読むようになったのだったかな。

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