愛はないけど。
憎みたくはない。
嫌いたくはない。
怒りたくもない。
怯えるのもいやだ。
そんな感情を抱えてしまうと疲弊する。
ほんとうに消耗する。
無意味なダメージを受けて、バカみたいッて思う。
愛はないけど。
やさしいきもちでいられたら、と思う。
ごはんを作っているとき。
きもちはやさしい、と思う。
茄子と鶏の炊いたの好きだったな、とか
にんじんしりしり、もすこしやわらく炒めようか、とか
トマトは皮を剥いておこう、とか
やっぱりきもちはやわらかくなってる。
怒りながら怯えながらごはんって作れないんだよ。
こういうくらいのきもちのやわらかさでいい。
このくらいの穏やかさでいられたら、楽なのに。
炊きたてのごはんみたいなやわらかさでいられたら。
なんとかなる気がする。
炊き立てのごはん
炊き立てのごはん
ほかほか
ほかほか。
コメント
愛じゃないけど、って言葉に、「愛」という単語にかける思い/重いがあるのかしら、と想像。そして、そう感じた私こそが「愛」という単語を特別視したかったのかもしれないと、翻って自問したり。
鏡の向こう側、をハッと自覚させられたりした感じ。
ありがとう?ございます(笑)
コメント読みながら、日記読み直して。
憎嫌怒怯 の毒を中和したくて 愛の文字を置いたのかもなぁ、でも百均で買ってきたような愛を置いてみたって中和なんかされっこないなぁ、なんてつらつら。
自分で書いてる愛の意味がますますわからなくなるという、、、(笑)