時間をほどく

2020年5月12日 日常
時間をほどく
 
 
 
家にいる生活になってから、時間の感覚がずっと変だった。
昨日とか、一昨日とか、先週末とか、そういう区切りがあいまいになって、ゆる~く混じりあってしまって、「いつなにをした」が明確じゃなくなって。社会から距離を置いていきなり呆けだしたかとすこし焦った。

でも、これだけ社会性を手放してみると、今の生活に「時間」って意識する意味がないんだなと思った。
ひとが、外に出て、他の誰かと関りを持って一緒に行動するのに、お互いの時計を合わせておくことが必要なだけだったのだと気づいた。時計は大きな社会を回すためにあるのだね。

いま、私は自分の生理的な時間に従って生きている気がする。
生身のいきものとして過ごす分には、それが自然で生理が滞りなく流れている感覚がある。

Stay at homeが続くと、夜更かし朝寝坊が加速して酷いことになるかなと思ったけど、そんなことなかった。
だいたい22時くらいには眠くなって、日付が変わるころには本の文字が追えなくなって灯りを消す。夜明けの早い5月の薄明に意識が浮上して、寝返りを打ってもう一度夢にもぐりこむ。7時前後に身体も意識もクリアに目覚める。

いま私が従っているのは体内時計。
ここに書くのに、22時とか7時とか時計の時間を使ったけれど、「記録」というのも社会性のあることだから時間を、時計や暦を使わざる得ないんだね。

社会性を手放すというのは、時間の縛りをほどくというのは、なんて自由なんだろう(笑)
いま、私は植物の時間で生きてるような気がしている。光と気温に反応して目覚めて芽を出し枝を伸ばし葉を広げる。
光合成と水だけでは生きていけないから、エサを探しに行かなくてはならない動物の不自由さが加わるんだけれども。



生まれてからずっと、時間に合わせるように教えられて生きてきた。
社会性を身に着けてゆくことが大切なルールで。

社会と時計、というシステムをリカバリしてしまったのがいまの私の状態なんだろう。
買い物や至急必要な用事で外出すると、世界をクリアに観られなくて頭がほわほわと膨張したような感覚に包まれる。まだ機能している世界時計の速度に合わせられなくなってる感じ。
人生の基本システムを初期化してみたけど、インストールし直したものも古いふるいOSなので(まだ最新versionは開発されてないから)、家を出て街という「社会」を歩くタスクに進捗インジケータがぐるぐるぐるぐる回ってしまってうまく処理できない。タイムアウトしてしまいそう、、、そんな感じ。



いつか時計に支配される社会に戻ってゆく日がくるんだろうな。
そうできなければ、世界が終わっちゃうわけだから(ヒトの世界限定だけど)

私、復帰できるかしら。復帰したいと思えるかしら。
ゴミ出しカレンダーだけが唯一の時の縛りの私が?









コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索