その日 出会った 女の子
2020年6月28日 日常 コメント (4)改札を出て、べデストリアンデッキを歩いていた。
デッキの角に立っていた女の子の前を通り過ぎた時、その子の視線が私を追うのが視界に入った。なにか言ったような気がした。
そのまま通り過ぎてしまうこともできたんだけど、足を止めてその子と顔を合わせた。道を尋ねられたような気もして。髪の長い小柄な女の子で、身なりはごく普通のブラウスとジーンズ、清潔な感じ。
「はい?」と声をかけた。
その子が小さな声で、私は学生です、お願いがあります、と言った。
その時点で、足を止めなければよかったなって思いが頭をかすめた。
コンマ何秒かの間に、どうやってこの場を離れようって、思考が廻ったと思う。
カードを差し出されて、それを読もうと視線を落とした時点で、ほぼほぼ諦めたけど。
ハガキ大の小花の縁取りのあるカードに
「私は留学生です。Covid19 の流行でアルバイトができなくなり困っています」
その後にも、2行ほど何か書いてあったけど、ちゃんと読まなかったかも。
紙の手提げ袋を持って、これを買っていただけませんか?と丁寧な日本語で、小さな声で言った。
ちょっとだけ返事をためらった。彼女も黙っていた。
「…どこから?」「ネパール」
「これはなんですか?」「チョコレート」
「…いくら?」「〇〇円」
「…うん、いいよ」
バッグからお財布を出して、お金を渡し紙袋をもらって、そこを離れた。
足を止めて振り向いてから、ほんの2分か3分だったろう。
その間に彼女が二回「やさしい」と言った。
その都度、私は首を振った。
実際、やさしさじゃなかったと思う。
やさしいと言われても、それを受け取れない気分で。
なんだったのかな、やさしさじゃなくて、しかたなさ。そんな感じ。
いいおとななんだから、なにかもっと気の利いた事言えれば良かったのかもしれないけど、頭の片隅に、騙されてるのかもしれないっていう思いもぬぐいがたくあって、早くそこを離れたかった。
学校はどこかとか、どういう事情なのかとか、聞いてもどうしようもないし。
幸いそのお金がなくても明日のご飯が食べられないとかじゃないし。疑ってかかれば、そういう額を言ってくるのが手なんだとも言えるのかもしれないけど。
こういう行為を日本語でなんていう?なんかしっくりくる言葉がない。
外国では、もっとカジュアルにポケットの小銭を缶に入れたりするって聞いたことあるけど、そういう行為が日本人には馴染みがない。
たまたま、その日、そこで出会っちゃったからシェアした、それがお金だったくらいの感覚でできればいいのだけど、チョコレートの袋を持ってそこを離れた後もしばらくもやもやした気分で、そんな感情を持て余してる自分が嫌だった。
学生です、と言ってる彼女の言葉をそのまま信じようとしてなかった自分にウンザリしてた。
ちょっとだけもやもやしたけど、事情はどうあれ、私が手放せた額は、その日の彼女により必要だったんだと思うことにした。
それでいいよ。
紙袋を開けると、チョコレート様のお菓子が丁寧に包まれていた。小麦粉の団子のようなものにチョコが薄くコーティングされた手作り。
ひとつだけ食べた。
ごめんね。知らない人の手作りの食べ物、苦手なのです。
コメント
これ、なんでだろうね。日本人のメンタリティー的に生活保護を受けることのハードルが高いというのと何か関連があるのかなぁ・・・・と思ったりもする。もし私が生活に困ったら、迷うことなく生活保護を受けることを考えるけどね。
で、だ。
私だったら、そのシチュエーションでどうしただろうかなぁと考えた。
多分千円とか2千円とか渡して、その手作りのお菓子は要らないからって言うか、渡されちゃって持って帰ってきたとしても食べなかったかもなーと思う。
商売人ではない知らない人の手作りはやっぱり苦手だし怖いし、正直気持ちが悪いと思う気持ちがある。えらい!食べたんだって思ったもの。
駅前や道端での募金や署名はしない主義だけど、その子が本当に困って見えたら、まぁお金は渡すよねぇ。
英語の pay it forward って考え方は結構好きで。自分が誰かから恩を受けたから、それをその人にじゃなくて、他の困った人に(恩返し的に)何かを返す、って感じかな。
普段ほとんど見ない地上波で結構前に、それを実践している食べ物屋さんを紹介していて。正確な名称は忘れちゃったけど、「寄附飯」みたいな制度があって、それをお客さんで払っても良いって思う人は自分のお会計と一緒に払うわけ。で、店としてはその「寄附飯」がいくつ溜まってるって表示を出しておけて、本当に困った人はその「寄附飯」をただで食べれるというシステム。多分その「寄附飯」で本当に困った時を救われた人は自分の余裕ができたときに「寄附飯」も払いにその店にご飯食べに行きそうじゃない?なんて良いシステムなんだろうって思ったのに、名前も店も忘れてしまった。
でも、そのシステムが成り立っているように、自然にちょこっと手を貸すことができたら良いよねって思うかな。なぁんてことを思い出しました。
日本語で乞食、物乞い、慈善、施し、、ってなんか上下の関係が垣間見えるというか。日本では施しを受けることを恥じと思う感覚が強い気がする。生活保護や福祉のハードル高いのもそれなんだろうな。
チョコレートは、どんなものなのかその場では確かめもしなくて、要らないなぁとは思ったんだけど、「買う」ほうが良いのかなと思ったので受け取った。
ぼんやり、もんもんとしてたので包み開いてうっかり口に入れちゃったって感じかな(笑)トリュフっぽい見た目だったし。
私も街頭での募金はしない。ユニセフとかMSFでも、寄付するなら口座を使う。お店のキャッシャー横に置いてある募金箱に入れたこともない。基本、信用してないのかな?その小銭の行方を。 でも、口座経由だと少し額が大きくなるし、もっと気軽に小さな額、スタバの珈琲一杯分くらい渡したいなら、対面のほうが良いし、こだわりなくそれができる社会のほうがストレスなさそうではあるね。
あ、そういえば、どこかで「日本の社会にはほんとうの信頼(Trust)がない」っていうコラムを読んだんだけど、なにか関連あるかな。
いろいろ思い出してみて、赤い羽根募金とかのいたたまれなさってなんなんだろう? 「お願いします」連呼の前を通るときの居心地の悪さとか。
寄付飯の記事もどこかで読んだよ。それと最近流れてくるフードストレージのTweetをよく読んでる。コロナで文字通り「食べられない」ひとが増えてきているの、実感する。相変わらず、生活保護の門前払いも多いし。
ほんとに pay it forward の感覚を当たり前にしていけるとみんなずっと生きやすくなるよね。
20年以上になりますが、配偶者と一緒に大きな公園をぶらぶらしていたら、中年の男性が寄ってきて「お金を下さい。食べ物を買いたい」って言うんです。 確かに身なりでそれとはわかったけれど。そうしたら、配偶者が「あなたもただ他人からお金をもらうもの心苦しいだろうから(相手はそんなこと一言も言ってないのに 笑)、何か面白い話でもしてくれる」と言ったら、そのおじさん本当に面白い話をしてくれて三人で大笑いしました。
pay it forward とは関係ないけれど、その時のことを思い出しました。
この度の10万円給付で感じましたが、普段政治に興味のない人もこういうことには即反応するのが、とても分かり易かった(笑) ちょっと残念に思ったけれど。
面白い話してくれる?、と言える配偶者氏も、面白い話をする男性も、大笑いするhanaさんも、余裕があって成熟した大人って感じですねぇ。なんだか、ニール・サイモンの芝居に出てくるNYの人物みたい。粋だわ。
10万円の給付金。お金をどうするかが政治の仕事の9割って気がするので、即反応はある意味正しいのかも。そこから、明日のご飯の心配をしないで暮らせるようにするためにお前らを政治家として雇ってやってんだぜ、くらいに思ったらいいのにね。