淋しい、どころの話じゃない。
2020年9月2日 日常結局、15年かもっと。食べに行かなかった。
3年ほど前に、ニューヨークにいる友人が帰国した時に、神田の古本屋めぐりがしたいって言ってて「じゃあスヰートポーヅで餃子食べて、さぼうるで珈琲飲もう。学生の頃の気分で」って話してたんだけど、あいにく会える日が日曜日で。日曜日の神保町はお店どこも開いてないので目的地を変更したのだった。
スヰートポーヅ。
コロナで自主休業して、そのまま廃業してしまった。
老舗フランス料理のS。
ここは父と何度か行った店。10代の頃、大学生の頃までかな。肉屋をやってた父が肉が美味しいとお墨付きくれたお店だった。
いま、フレンチって、あんまり食べに行かないね。Sも、糊のきいた白いテーブルクロスに白いナプキン、コースしか出さない、まあ、ちょっとオールドファッションなスタイルの店で、山手線の内側で仕事するようになってからは行く機会はなかった。それでもケーキが美味しかったのでたまに、ほんとにたまーに父への土産に買って帰ったりした。
2月3月4月の歓送迎会シーズンに予約のキャンセルが相次いで、その穴を埋められず、そのまま廃業してしまった。
お気に入りの蕎麦屋UとK。レストランBも。
どの店も、私が大人になった頃にはもうその場所に根付いて営業していた店だ。
どこも個人営業の店。店主もそれなりの年齢のはずだから、この先何年続くかわからないコロナ禍を踏みこたえてゆく気力が先に無くなったのかもしれない。
淋しいとかショックとか大した上客でない私でも思うけど、淋しいくらいなんだ。その店が無くなって、仕事を失った人達がなんにんもいるんだよね。
店主も仕事を無くして、もしかしたら大きな負債を抱えているかもしれない。
私が気が付いただけで廃業したお店数えたら、十指で足りない。
ニュースで倒産件数が何件とかでるけれど、そこにでるのは四季報に載ってるような企業で、もちろんそこにも仕事を失った人はいるんだけど、大きな統計には出ない数字、ひっそりと看板を下ろす個人店がいったいどのくらいになるのか。
ライヴハウスだって、いまだに再開のめどなんか立ってない。
お気に入りのライヴハウスがなくなったら淋しい、残念、、、それだけじゃない。ほんとにじわじわと、働く場所が無くなっていってるんじゃないの?
自分の仕事だって、いつまでも今の状態で続くか。保証なんかないし、行政府は当てにならない。
好きなお店が無くなって淋しい、、同時にじんわりと不安が湧いてくる。
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今日、FBの思い出を振り返ろう機能からお知らせが届いた。
2015年9月3日、神保町に出かけてスヰートポーヅの写真を撮ってUPしてた。
すずらん通り歩いて、変わらない街並みを楽しんでた。あるある、まだやってる。それが嬉しかったりしたんだよね。
嗚呼。
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