サバーイ サバーイ
 
 
いち、に、さん、し…で吸って
いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち…吐いて
 
 
これができない。
ろく、で呼気が尽きて、しち、はちで息が止まっている。
苦しくなって慌て空気を求めて吸ってしまい、いち、に、で肺がいっぱいになる。
 

     サバァーイ サバーイ...



もともと腹式呼吸はできてないんだけど、意識してもぜんぜんできなくて。
それで自分の呼吸を数えてみたら、30秒で13~4回。
別に病的なわけじゃないけど、呼吸が浅い。なんだかいつも息苦しく感じてたのはだからなんだな。



先日、あるお寺でやっている瞑想に参加してきた。
そのときに、自然な楽な呼吸ができてない、意識しても深い呼吸がうまくできないって気が付いた。

瞑想の間。
あれぇ? 私、呼吸、下手? 呼吸ってどうやるんだっけなぁ?
…ってぼ~んやり考えてた。
 
 
     サバァーイ サバーイ...
 
 

タイのお坊さまの、やわらかな声を聴きながら。
額、鼻、口、首、肩、腕、手首、手のひら
胸、お腹、背中、お尻、大腿、足首、つまさき
身体中の緊張を解いてゆくよう意識する。
 
意識する。う~ん、ぜんぜん頭空っぽにならないわねぇ。
力抜くと背中丸まっちゃうなぁ、お腹で呼吸しにくいかも?まぁいいかぁ…。
 
 
     サバァーイ サバーイ...
 
 
雑念だらけだったかもしれないけれど、自分の呼吸や身体だけにゆるく意識を向けてただ座っているという感じは悪くなかった。

   
 
サバーイ サバーイ というのはタイ語で、ゆったり ゆっくり やさしく ゆるめて、というような意味だそう。
瞑想指導の途中とちゅうにはさまれるこの言葉の音が、とても気持ちよくて。
鼓膜からはいって身体の中をなでていってくれるような。そんなイメージで聴けたから、良い時間だった。

瞑想が始まって「終わりましょう」という声を聞くまで25分だったそう。
25分も時間が経ったようには思えなくて、もう少し続けていたいと思った。
たぶん。瞑想は、私にあっている、と思う。
呼吸に気持ちを集中するのは、瞑想の方法としてありだそうなので。

吸い込むときには、まわりの新鮮な空気や善きものが入ってくると
吐き出すときは、悩み苦しみ嫌な感じがこの身体から出ていくと
そうイメージするのは気持ち良いことだし。

この呼吸の感じで思い出す。
雑木林を歩いているときの呼吸。
最近、大きな公園に続けて出かけたのだけど、そのときまったく意識せずに大きな呼吸になってたと思う。こっそりノーマスクだし。ヒバやスギの樹皮やほわほわの白い花を咲かせたリンボク、雨上がりの腐葉土の匂い、それが溶け合った空気。これ以上ない“善きもの”だもの、自然に身体いっぱいに吸い込んでいる。森を歩くのって、瞑想に似てるかもね。






実は、今年、ヴィパッサナー瞑想の10日間のコースに申し込んでいた。
瞑想にはずっと興味あったのだけど、どう始めていいかわからなくて。
そこらへんのカルチャーセンターは嫌だし、かといってカルト臭のするところもイヤだし。で、始められないまま何年も経ってた。
去年、映画監督の想田和弘さんが、ヴィパッサナー瞑想の体験をコラムにしていて、ここはすごく良さそうだなぁと思ってた。想田さんの紹介なら安心できるような気もしたし。
去年から年明け、階下のひととのごたごたが続いてて、ものすごく煮詰まってしまった時に、なにか自分の心をコントロールする術をみつけないと、このままではほんと呼吸止まるって思って、ヴィパッサナー瞑想を申し込んだ。

5月の下旬に行くはずだった。
なのにコロナの緊急事態宣言が出て、コースが中止になった。


半年過ぎて。
コースも再開されつつある。
けれど、やっぱりこういうのはタイミングで。
いま、10日間のコースを申し込む気持は湧いてこない。


コロナの年を過ごして、可視化できない不安と外せないマスクと離されてしまった人との距離と、あいかわらず息苦しい日々だけど。なんとか呼吸を取り戻したい。
タイ比丘の サバーイ サバーイ と雑木林と、あと美しい音楽があれば。なんとか深い呼吸をとりもどせるような気がする。







コメント

ありす
2020年10月18日23:40

ヴィパッサナー瞑想!ゴエンカ師ですね。もう20年ちょい前に友達がよく京都の山奥迄行っていました。私は結局自律訓練法が性に合ったので未だに行けてないんですが、何人もの人が居ても静かな環境を保って瞑想するのもいいかなと、時々思い出してました。美藤姐さんの所でこの名前を目にするとは!

美藤
2020年10月19日0:38

ありすさん! そうです、さすがご存じでしたか!
実際に京都ダンマバーヌへ行かれたお友達までおられるとは!

9年ほど前に千葉にも瞑想センターができたそうで、そこへ申し込みました。
聖なる沈黙の10日間を、ほんとうに楽しみにしていたのですが、たぶん、まだ“その時”ではなかったんでしょうね、きっと。階下との関係に疲れて逃避したいような動機でもあったので、それはヴィパッサナーの規律に反することだったのかも。
いつか自然に“行くべき時”が訪れるといいなぁ、と思ってます。

ありす
2020年10月20日16:37

千葉にもできてたんですね!それは近くてありがたい。

良い経験になると思いますよ。その時が来たら是非!と、未体験の私が勧めてどうするなんですが、体験者達は「坐る」と言う表現をするんですよね。そうか坐るのかとついつい思ってしまい、「死体のポーズ」で行える自律訓練に活路(大袈裟)を見出した私です。ホント内面の見つめ方は人それぞれですからね。

美藤
2020年10月20日20:38

あ、そっか!「坐る」ですね!
タイ比丘が「ただ、すわる、だけでいいです」とおっしゃってたのは「坐る」ですね。私はまだ座ってるだけなんだろうなぁ。

死体のポーズ、、検索しました。それ、いいなぁ♪
背筋をのばして瞑想維持するのなかなか難しいのですよね。腹筋・背筋衰えてるし(汗) 力を抜くと背中丸まっちゃうし、もうこのまま身体横たえてしまいたいかも~という誘惑にかられましたし(笑)死体のポーズで腹式呼吸の練習もしてみようかな。
いろいろ参考になります、ありがとうございます。

ありす
2020年10月20日22:17

ユルっとやりまひょ。私の究極の技は「瞑想という名の昼寝」(笑)。心身の力が抜けて、大抵のことはどうでも良くなっちゃいますよ〜。

あと、瞑想がうまくいくといい具合に睡眠と覚醒の間に入れます。その時いろんなイメージが湧いてきたり古い記憶が出てきたり。夢か現か幻かのそれらを憶えているだけでもノートに書いておく事をお勧めします。細胞の記憶の大掃除です!良いですよ。

美藤
2020年10月20日23:57

細胞の記憶……。 うっとり~~~。。
ゆる~くゆる~く、サバーイサバーイでゆきま~す♡

はにゃ。
2020年10月27日17:17

私も「瞑想とヨガ」というレッスンにカルチャーセンターだけど、数年通っていて。

瞑想するために体を整えるヨガというゆったりとストレッチみたいなヨガで。
1時間半のレッスンの最後の30分は瞑想というクラスがとても気に入っていたんだけど。

病後、当然再開できずにいた間にこんなんになっちゃって。
やっぱりコロナが落ち着かないことには、行かれないしねぇー。

もともと怠け者なので、1人で家でだと、どうしてもやらないし。
月に2〜3回というゆるっとした回数も気に入ってたんだけどな。

多分タイミングがまたやってくると私も思ってるので、美藤さんにもそのタイミングがやってくると思う!

ちなみに私も最初腹式呼吸ができなかったよ〜、そういえば。忘れてたけど。

光を思い浮かべながら、自分が光で満たされ光に囲まれているようなイメージをしながら瞑想をするのが好きです。

美藤
2020年10月28日21:05

うんうん、はにゃ。さんも瞑想してるみたいなこと書いてたな~って思ってました。
瞑想のためのヨガって良いね。座って、はい、瞑想~ってわけにはいかないもんね、達人じゃないんだから。瞑想の時間に向かうまでの助走が必要かも。だから自宅を出てその「場」へ行くっていうのも大事だったりするかな、って思った。ときどきやってみてるけど、家だと雑念が湧きすぎる(笑)
まだまだ瞑想なのか、ただぼんやりしてるのか判然としないけど、小一時間、「リラックスと集中」の時間過ごすのも良いね。私も気持よいイメージ探してみよう。

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