才能があっても

2020年12月30日 日常
 
 
 
作品に罪はない。

そうなのか?



そう言って、ミュージシャンやアーティストとその作品を分けてしまえるのは、その人が犯した罪があきらかな過失であるか、心底悔いているのがわかるときか。そんなの、ほんとにはわからないよ、とも思うけど。
すくなくとも直接的な被害者がいない事柄ならば、と思う。


だけどいじめやハラスメント、ヘイト、差別に関わることだったら。
それが何十年も前のことであっても。

作品に罪を問う気はないけれど、知ってしまったら、もう無邪気にカッコ良いなぁ、なんて思うことはできないかな。名前を目にするたびに、曲を聴くたびに、どうしたって思い出すし、作品に罪はないかもしれないけど、残念だけどもう二度と輝かないよね。



だけど、創作者ひとりひとりの、来し方、人格、信条、所業すべて精査してから作品を聴く読む味わうことなんて不可能だよね。だから余計に裏切られたような気がするのかな。
人格者であることが素晴らしい芸術を生み出すとも限らないし、清廉潔白な聖人君子で世界が出来上がってなんかいないのはわかってるけど。


それでもやっぱり無理。
ただただ気分が悪い。




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