徳兵衛さん
 
 
Googleのストリートビューで過去画像が見られるのを知って、家の近所をタイムトリップ。ぶらぶらと散歩していて。
鼻の奥がツンとするくらい懐かしい―なのにすっかり忘れていた―そして今はもうない場所を見つけてしまった。


私鉄の各駅しか停まらない駅の改札を出て、裏道へ曲がってすぐのところにあったお蕎麦屋さん。普通の民家の玄関の脇に、テーブルとベンチ、陽射し除けのパラソルがでている。席はそれだけ。お品書きは「もりそば」と「天ぷら付きもりそば」のみ。飲み物なし。



ここの天ぷらは何度か食べていた。
15,6年前だからまだ実家に戻る前。父がよく買いに行っていた。
安くて旨い、と言って。ほんとに買ってきた天ぷらなのに、からりとしていてとても美味しかった。
それが徳兵衛という蕎麦屋の天ぷらで、その店はMという蕎麦屋の主人が引退して趣味で始めた店ということだった。父は蕎麦は食べにはいかないようだった。「あすこはすごい待たすんだよ」と言って。


待つのも道理だった。
だって、こんにちはと声かけてお蕎麦お願いしますと言ってから、ご主人が石臼でソバを挽くのだから。



そのころ月に一度は実家に顔を出していて、その日、駅から実家に向かうタイミングでお蕎麦食べたかったんだと思う。ふと思い出して、裏道を曲がった。
暖簾は下がっているし、「手打ちそば」の看板も出てるし、ここだよね?と思いつつ入り口が、あるのか、ないのか?その時はまさか玄関脇のベンチが客席とは思わず、覗き込んでたら奥さんが出てきて「召し上がりますか?」と声かけられて「お願いします」と。

天ぷらつきでもりそばを頼んだ。
天ぷら、何種類あったろう。10種以上あったと思う。揚げたての野菜天に、挽きたて打ちたての蕎麦。
「長くお待たせしました」と言ってお蕎麦を持ってきてくれたご主人と、「天ぷら食べきれなかったらお持ち帰りできますからおっしゃってくださいね」ってお茶を足してくれる奥さんと。

普通の民家の玄関先で、すごいおもてなしを受けてる感覚のギャップ。なに、これ、日本昔話の世界みたい~でもお蕎麦美味しい~とふつふつと笑いがこみあげてしまったんだよねぇ。

山盛りの野菜天つきもりそば(お蕎麦もたっぷり)が、1000円でおつりもらった気がする。
趣味でやってる手打ち蕎麦屋なんて、気難しくて蘊蓄に煩そうな気がしちゃうけど、徳兵衛さんのご主人と奥さんは、ここはお伽話の蕎麦屋ですか~~?って思うようなおふたりだった。お蕎麦おいしゅうございました。天ぷらおいしゅうございました。ほんとにほんとにご馳走様でした。ってそんな感じだった。


実家に戻ってからは、仕事の帰りに時間が合えば寄って天ぷらやぬか漬けを買って帰った。夕方、日没前まで、お店から少し離れた角に小さなテーブルを出して天ぷらと漬物並べて、奥さんが隣の椅子に腰かけて売ってらした。近所の人は美味しいの良く知ってるから売り切れてしまうのも早くて、帰りがけにまだ奥さんがいるとラッキー♪って思った。
天ぷらがいくらだったかなワンコインでおつりきた。もちろん山盛り。
ぬか漬けがひとふくろ100円かそこら。大根、キュウリ、なす、、スーパーとかでは100円では絶対買えない量と味。

その頃は、お蕎麦はあまりやってなかったみたいだ。
親父が腰痛めて蕎麦打ちがつらいらしいよ、とは父情報。

駅前の再開発が粛々と進んで、徳兵衛さんちの道の向かいは更地になっていて、隣接する住人の立ち退き待ちのようになっていた。それが何年ごろだろう。
2009年か2010年かな?


ストリートビューでみつけた徳兵衛さんは2009年7月。白いパラソルが開いているから、まだお蕎麦出してたのかな。
いまこの近くを歩いても、あまりに変わってしまってこの道がどれだか見当もつかない。キレイに整地された駅前のロータリーに呑み込まれちゃったのかな。

東日本大震災があって、父が亡くなって、家族や仕事やまつりごとに憤ったり草臥れたり、あれやらこれやら心を持ってかれているうちに年月が過ぎてしまった、ことにさえ気づかずにいた。
徳兵衛さんのお蕎麦は結局あれっきり。一度しか食べられなかった。
なんだか、あのパラソルの下のベンチごとお噺の世界に帰っちゃたんじゃないかって気もしちゃう。だったらいいのになぁ、、、なんてね。






コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索