「飼う人」

2021年5月2日 読書
「飼う人」
 
 
しあわせになることって、そんなにも難しいことなのかぁ。


「命」で読んだ柳美里のこの言葉は何度か引用してるけれどやっぱりまた書いてしまう。
「幸福というのは、自分を説き伏せ納得させて実感するものではない。なにも考えなくても、感じるものなのだ。(中略)不幸というものは状態で、一度居座ったら動かすのは困難だが、幸福は状態ではなく、瞬間の中にしか存在しない。一瞬一瞬煌めいて消え去るもののような気がする」

ほんとうにそうだろうなぁ、と思う。
瞬間をとどめておくことはできないから、しあわせではないかもしれない連続する時間をどう“あやして”生きていくか、なのかな。



だけど、この小説には幸せな瞬間は、カケラもない。あやすなんて、生半可なことじゃどうしようもない。
なんだか主人公の吸う空気だけが不幸に汚染されてしまってるみたいな。息苦しい。
柳美里だからね、油断はしないで読んだけど。こんなに不幸な状態を書き連ねる不幸への執着はすごいな。

4つの短編の主人公はみな生き物を飼うひとなんだけど、蛾や蝶の幼虫に両生類。飼育することを楽しむでもなく、成り行きで飼い始める。毛むくじゃらの温かい命じゃなくて、水槽のガラス越しというその距離に手を出すとこがなにか自分の不幸の確認作業みたい。


主人公たちに特別な結末は訪れないし、救いに繋がるようなことさえも微塵もない。不幸な空気を充填した水槽の中のいきもの、主人公をガラス越しに眺めてるのが読者。

「飼うひと」が2017年の作品で小説としては一番新しいもの。
柳美里自身は、原発事故という動かしがたい未来永劫続きそうな大きな不幸の中に身を置くことで、ふくよかさを纏いはじめたような気もするけど、彼女の描くものはやっぱり“全不幸”。

嫌いではない。惹かれるものがあるから読むんだけど、きっと、水槽の中の物語で、そこから這い出しては来ないと思ってるから読んでいられるのかな。
油断はするまい。

柳美里には、不幸文学を極めていただきたい。
ときどき覗きに行きます。怖いもの見たさで。




   ・・・

あ、そうか。
幸せは瞬間だから、しあわせに「なる」って不可能なのか。







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