「身体のいいなり」
 
 


四度の手術で私が得たこと、それは人間は所詮肉の塊である、という感覚だろうか。<中略>
私のように意志ばかり肥大させて生きてきたような人間には、それはちょうどよい体験だったのかもしれない。独立した存在であるように思っていた精神も、所詮脳という身体機能の一部であって、身体の物理的な影響を逃れることはできない。私はそれをあまりにも無視して生きてきたんじゃなかろうか。
<中略>身体(と生活)を極限まで無視した分、得がたくおもしろいことを見れたし、学べたという自負はある。でも癌を作るまで(?)身体を本気で怒らせることになったのはまずかった。癌を通じて、私の意志は一度身体に降参し、身体のいいなりになるしかなかったのだ。




内澤旬子の本は、「世界屠畜紀行」「飼い喰い 三匹の豚とわたし」「おやじがき―絶滅危惧種中年男性図鑑」と読んでいる。先にあげた2冊は特に面白く読んだ。読んだもののタイトル並べると彼女の本は「肉の塊」がテーマなのかと思ってしまう。この「身体のいいなり」も同じく。

彼女は「幼稚園児のころから、じりつしんけい、とか、きょじゃくたいしつ、という言葉を知っていた」くらい原因不明の身体の不調に悩まされながら、意志の力で身体を引きずって日本中、世界中を旅してまわっていた。
乳癌になって意志が身体に降参し、そうすることで生まれ直したみたいに身体感覚が整ってゆくのだ。この本は闘病記ではない。自分の身体が蛹化して、一度ドロドロに溶解されて羽化して新しい肉体感覚を得るまでを取材、観察し続けてる?そんな感じ。降参しつつも手放さない意志の力で。

ちなみにこの本は4冊目の著書なんだけれど、この病気のあと回復して、千葉に引っ越して三匹の豚を飼って、その後、ストーカーと闘い、東京で老いるのは嫌だと小豆島に引っ越し山羊を飼い、狩猟免許をとりジビエ販売をやり……という暮らしをしている。
Twitterなどで山羊と格闘―文字通り身体張って―してるの見てるとタフだなぁ、武闘派?肉体派?と脱帽する。

私も年齢的なものだと思うけれど、若い頃よりずっと身体の声が聴こえるようになってきたし、その声に従っていれば案外間違いないという実感は持つけれど、こういうおもしろい著作を何冊も作り上げる人のメーターの振り切り具合はすごいなぁと思う。彼女の「意志」は実はまったく降参してないんだなぁ、と思うもん。あっぱれ。

つぎはなにを読もうかな、「漂うままに島に着き」かな?「ストーカーとの七〇〇日戦争」はもちょっと後でもいいかな(笑)






コメント

はにゃ。
2021年5月24日16:14

あー、「ストーカーとの七〇〇日戦争」は、文春の連載の時に雑誌購読アプリで読んだわ!

それしか知らなかったので、引用されているその文章があの著者の文章なのか、ちょっと意外と思ったくらい。

多分ストーカーと戦ってたのが、猟銃免許持って、小豆島でヤギ飼って暮らしてた時だと思うよ。しかし、そういう人生だったのかー。ほーーーーー。ちょっと興味出たなぁ。読んでみようかな。

Thanks!

美藤
2021年5月25日11:25

「ストーカーとの七〇〇日戦争」は興味先行で読みだすと疲れそうで(笑)
最近、ストーカー規制法の改正で要望書だしたりTweetしたりしてるね。

「世界屠畜紀行」「飼い喰い」は面白かったよ。
“屠畜”について、一般書の読み物ってなかったなぁと。日本ではまだタブー感があるしね。
三匹の豚は、食べる為に飼って、それぞれの性格を把握する位までほんとうに一生懸命育てて屠畜場へ送り出すんだけど、彼女の感覚、愛情、スタンス、私は共感できた。
意志のひと・内澤旬子の格闘する人生、私は面白く読んでます。

はち
2021年5月31日11:21

最初の2作を楽しく読んで、それ以来、なぜか私のアンテナに引っ掛からず、
着々と書き続けてたのを知らなかった
まずは「身体のいいなり」からかな
自分のポンコツアンテナだけでは不十分で、みなさんのアンテナ、無断で使わせてもらってます、ありがたい!

美藤
2021年6月2日11:27

はちさん

ほんとに。自分のアンテナのなんとザルなことか(笑)
指向も狭まりすぎてて、う~ん320度くらいが死角かもなぁ~と思います。
リンク先の日記で教えてもらえること多いです。
はちさんの日記もタイトル一覧がそのまま「読みたい本」「観たい映画」のリストになってます(笑) 

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索