「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」
 
 
表紙の写真は齋藤陽道。

著者の五十嵐大が、“ふつう”じゃないことに戸惑っておそるおそる世界を覗いていた子どもの自分が写っていると感じたという写真。
著者の両親はろう者で、耳の聴こえない両親に育てられた子どもを「コーダ」(CODA/Children of Deaf Adults)というのだそうだ。




手話サークルで知り合ったSちゃんという聴覚障害者の女性に、「五十嵐くんはコーダなんだよね」と言われて、コーダという言葉を初めて知りました。耳の聴こえない親から生まれた子どもを指す言葉で、アメリカでは研究が進んでいる、日本だけでも二万二千人のコーダがいる、と知って本当にびっくりしたんです。それまで自分の苦しみは、世界の誰とも共有できないものだと思っていました。でも同じような境遇にある人が、日本だけでもたくさんいる。そう思ったらすごく勇気づけられたんです。まるで人生にぱっと明かりが灯ったような瞬間でしたね。

https://shosetsu-maru.com/interviews/their-window/5





七尾旅人、坂口恭平をゆるくフォローしていて齋藤陽道の名前を知り写真を見て、名前をちゃんと知る前からなんども彼の写真を見ていたことを知る。いまは齋藤陽道がSNSにあげる絵日記が楽しみ。ろうの写真家である齋藤陽道と五十嵐大の往復書簡を何通かネットで読んでこの本にたどり着く。

   ・・・

映画「ザ・トライブ」を観た頃から手話という表現が気になっている。
手話が伝えてくる世界がものすごく騒々しく豊かであること。手話が単なる発語の補完ではないこと。日本語と日本手話はまったく別の「言語」であること。などなど。

   ・・・

なんというのだろう。
家族のバックボーンも、自分のアイデンティティ(と思っているもの)も、なにひとつ誰かと同じものなんてないし、世界は広いし、知らないことは膨大だし、下手したら知らないってことさえ知らずに過ごしてしまうし。
でもまあ、だから本は読もう。気になる人はそっとフォローしよう。
と思う。















コメント

hana
2021年7月26日21:30

美藤さま^^

アップされた写真を拝見したら、本の背景になっているお花に目が行きました。

美藤
2021年7月28日10:21

私も、この本を返しに図書館に向かう途中でほわっと咲く花に目が行って背景に借りました。
トキワネム(常盤合歓)という常緑低木だそうです。小さな公園の植栽でしたがこの花は目立ちますね。

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