えすでぃーじーず とか さすてなぶる というのがわからなくて。
ことに“持続可能性”という言葉がほんとよくわからないの。
見かけるたびに、もやんとする。


何度も調べて説明を読んではいるんだけど。
SDGsの「17の目標」と「169の具体目標」を読めば、スーパーのチラシにサステナブルの文字がくっついてくるのも理解はする。農業や工業の果実の最終消費地が私の胃袋だったりするわけだから。


   ・・・


最近とても気に入ってるどら焼きがある。
小豆餡ではなくて、マスカルポーネクリームがサンドしてあって。
地方のちいさなメーカーのもので、近所の生協のお店にしか取り扱いがない。
で、それ食べたくてお店に行くたびに、会員になるよう勧められるんだけど、それが面倒くさくて。
主旨は重々わかります、って感じで。
若干割高だけど安心な食材だけを扱ってるんだよね。会費も積み立てになるので退会すれば戻ってくるんだよね。うんうん。でも半年にいっぺんくらいどら焼き買いに来るだけなのよ。
一所懸命説明されるのを聞きながら、私の中にはサステナブルな思いがないなぁと思ってごめんなさいって気持になる。
毎日を丁寧に暮らすための 安全・安心な食材の提案にプレッシャーを感じるってどんだけ刹那的に生きてるんだろうね。でもなんか、後退りしてしまうんだよねぇ。
モンサント怖い、F1汚染水の海洋放出反対とか言いながら、足元の生活なってないですかね。行動が伴ってないね。
でもどっかで、どうでもいいと思ってるのかな。私に世代的“サステナビリティ“がないからかしらね。


   ・・・


駅前でUNHCRのフライヤーを配っている。
手渡されれば受け取る。呼び止められれば足を止める。
良い大学に行ってそうな若い人たちの話を聞く。さわりだけ。
「UNHCRって聞いたことありますか?」
知ってるし、寄付したこともあるし、いまさら街頭で話聞くこともないんだけど、足を止めて話聞いてるひといるほうが良いんじゃないかと思って。サクラですね。
寄付の話から、毎月の継続的な支援のお願いをされる。
お断りする。
寄付。その都度、できる範囲でしてるけど、”継続的な”口座からの引き落としは気がのらない。金額は自分で決められるので一年間寄付したとしても単発でする額と大して変わらないんだけど。ひとつの理念、理想、ひと、組織に決めることができない。

旅人のフードレスキューとか、ライヴエイドとか、岩上さんお疲れさまですとか、私にはできないからMSF、UNHCRにお願いとか、太郎頑張れとかね。
なにか心が動いた時、衝動でしか Donation してない。
 

   ・・・



サステナブル(Sustainable)って?
本来は「維持できる」「耐えうる」「持ちこたえられる」を意味する形容詞?最近は、地球環境の持続可能性、人間社会の文明・経済システムの持続可能性の意味や概念として使われる?


地球環境どころか。
自分自身を維持する、耐える、持ちこたえるので精一杯。

とことん長距離走は苦手。瞬発力だけで生きてます。
私の行動の持続可能性は限りなく低い。なので街にあふれるサステナブルという言葉にもやる。







コメント

はにゃ。
2021年10月25日11:48

めっちゃわかるわー。
流行りに乗っとけって感じの「えすでぃーじーず 」とか「サステナブル」とか見ると、胡散臭くてねぇ・・・。

自分に子供がいないから、余計に「ごめんよ〜。もうこちとら老い先短いからさー」とか思っちゃって。なぁんか乗り切れないんだよなぁ。

レジ袋有料でも別に良いけど、紙ストローは飲み物の味変わりそうで嫌だし。生協のボディソープの入れ物がプラから紙に変わったんだけど、なんか溶けそうで嫌だなぁと思うしね。なすべきことはなされるべきだとは思うけど。継続してできない享楽主義なのかしらんw

継続は力なり、がサステナブルなんだよなぁと分かっていてもねぇ・・・

美藤
2021年10月27日21:04

>もうこちとら老い先短いからさー、、笑う~。

こつこつと小さくても継続して、が大事なのは理解するんだけど、「どこに」「なにに」が決められなくてねぇ。自分でできるサポートは小さいくせに、見える成果を急いでしまうのがいけないのかな。世代の先に繋いでゆく気力?想像力がないのかも。

意識高い系オサレ・カフェが紙ストロー出すけど、唇にひっつく口当たりがイヤ~。

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