「赤い魚の夫婦」

昨日、読書館で読み終えたのはこれ。



初めての子の出産を迎えるパリの夫婦と真っ赤な観賞魚ベタ
メキシコシティの閑静な住宅街の伯母の家に預けられた少年とゴキブリ
飼っている牝猫と時を同じくして妊娠する女子学生
不倫関係に陥った二人のバイオリニストと菌類
パリ在住の中国生まれの劇作家と蛇





読みながら感じていた、生理的な嫌悪感――嫌悪と言うほどネガテエィブなものではないのだけど、肩のあたりの産毛がちいさく波立つくらいの――があって、それが文学的なカタルシスに繋がっているんだけど。

この感じってペドロ・アルモドバルの映画を観た時に感じる薄い気持ち悪さと似てるなぁと思った。
それと橋本治の「蝶のゆくえ」を読んだときの読後感とか。


グアダルーペ・ネッテルは1973年メキシコシティ生まれの女性作家。
いまや、小説家の性をわざわざ記すのはフェミニズム的にどうなの?って時代になってきてるようには思うけど、作品が女の生理を抜きには描けない世界だからどうしても作家の属性に目が行ってしまう。
性と生殖の、因果の98%を担わざる得ないいきものについては、日本の<女流>作家の書いたものよりネッテルの短編の方が好ましい、かな?
同じように感じた橋本治とネッテルにどういう共通項があるのかわからないけど。
女の生理との距離感かなぁ? 昇華の度合い? 
よくわからない。


でも、読めて良かったなとおもう作品群。
メキシコ人作家の作品ってはじめてかも。




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