声の強さと懐かしい新しさ―折坂悠太「心理」
 
 
この折坂悠太を聴いていると、日暮里駅から続く大階段の途中で西の空を染める夕焼けの、その遥か先を見渡しているような、でもふと目を落とすと足元は薄暗闇に踏み込んでる、、、そんな感覚がする。
私にとって日暮里は懐かしい町で、夕焼けも懐かしさを生む空で。折坂悠太の歌はなんというか、懐かしい新しさ?
平成元年生まれ、「へいせい、つかれてた」って歌った子は、平成跳び越えて芳醇だった頃の昭和の空気感を纏ってる感じがする。いや、私ですら知らない時代の昭和なんだけども。日本人の歌です、日本人が歌ってる歌です、と感じる。


ズンチャッチャ、ズンチャッチャ……。
なんだっけこれ、ジンタ?美しき天然?
そんな曲相が浮かんだんだけど、正しい例えなのかわからない。
昭和だけど、古臭いわけじゃなくて、「懐かしい新しさ」としか……。
ふむ~音楽を知らないからな。誰か、正しい例えを教えて。


それにしても折坂君の声の強さよ。
言葉の揺るぎなさよ。
歌の言葉が、初めて聴いても鼓膜から脳の言語野へそこから心へ難なく届く。
こういうところも昭和の歌い手のようだ。
昭和の歌手は、ほんとうに歌が上手かったじゃない。
江利チエミさんとか、西田佐知子さんとか?春日八郎さんとか?(←イマイチよくわかってないけど。日暮里のおばちゃんの受け売り 笑)

正直、2ndアルバム「平成」の時は、とても気になる歌い手だとは思ったんだけど、もうひとつ馴染めなくてライヴひとつ行ってそのまま様子見になってしまってた。それから3年経って、とてもまろやかになった気がする。こなれたとかではなくて。いろんな音楽のハイブリッドな感じがする、、だから懐かしく新しいのか、、、な?

誰の作品にしてもアルバムまるっとはなかなか聴けないんだけど、これは通して繰り返し聴けるかな。







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