マット・スカダーとの出会いの一冊。
シリーズ第4作なのだけれど最初に出た邦訳だと思う。
早川文庫版。何度も読んで、ページが外れてしまっている。
先週、ふらっと覗いた初めての古本屋でハヤカワのポケミス版があった。とても状態の良いもので、ページを開いた気配もないので新古書なのかな。それで300円。迷わず買って帰った。
ひさしぶりに読む最初のマット・スカダー。やっぱり良いよね、飲んでいた頃のマット。
9番街のアームストロングの店。雨の午後、バーボンを垂らしたコーヒーを飲みながらN.Y.ポストを読む。依頼人が訪ねてくる。事件が始まる。
リスペナード通りのジャン・キーン。灰色の大きな瞳の彫刻家。そっか、ジャン・キーンとの出会いは「暗闇にひと突き」だったっけ。
話の大筋は覚えているのに忘れていた事を思い出しながら楽しむ。
あれ、そういえばジャンとの別れに関してジム・フェイバーが言ったあのセリフはどの本にあったっけ?・・と、シリーズのあれこれに手が伸びて、続けざまに4冊、何度目かの再々読。
無人島に持っていくとしたら・・?
という質問にも迷わない。マット・スカダーを連れてくよ。
シリーズの中で一冊だけ文庫化されていないのがあって、アマゾンを覗いていたら今回買ったポケミスの85年版「暗闇にひと突き」に5600円という値段がついていてびっくりした。ええーもしかして同人誌「櫂」に続きこれもお宝??
帯もついてるし、焼けはまったくない。30年、どっか暗闇で眠ってたんだね、この一冊。
その値段で買い手は現れるのかしら?ほんとに取引されるのかしらね。面白いなぁ。
シリーズ第4作なのだけれど最初に出た邦訳だと思う。
早川文庫版。何度も読んで、ページが外れてしまっている。
先週、ふらっと覗いた初めての古本屋でハヤカワのポケミス版があった。とても状態の良いもので、ページを開いた気配もないので新古書なのかな。それで300円。迷わず買って帰った。
ひさしぶりに読む最初のマット・スカダー。やっぱり良いよね、飲んでいた頃のマット。
9番街のアームストロングの店。雨の午後、バーボンを垂らしたコーヒーを飲みながらN.Y.ポストを読む。依頼人が訪ねてくる。事件が始まる。
リスペナード通りのジャン・キーン。灰色の大きな瞳の彫刻家。そっか、ジャン・キーンとの出会いは「暗闇にひと突き」だったっけ。
話の大筋は覚えているのに忘れていた事を思い出しながら楽しむ。
あれ、そういえばジャンとの別れに関してジム・フェイバーが言ったあのセリフはどの本にあったっけ?・・と、シリーズのあれこれに手が伸びて、続けざまに4冊、何度目かの再々読。
無人島に持っていくとしたら・・?
という質問にも迷わない。マット・スカダーを連れてくよ。
シリーズの中で一冊だけ文庫化されていないのがあって、アマゾンを覗いていたら今回買ったポケミスの85年版「暗闇にひと突き」に5600円という値段がついていてびっくりした。ええーもしかして同人誌「櫂」に続きこれもお宝??
帯もついてるし、焼けはまったくない。30年、どっか暗闇で眠ってたんだね、この一冊。
その値段で買い手は現れるのかしら?ほんとに取引されるのかしらね。面白いなぁ。
刑事事件の弁護士だった著者の書く短編は、11の事件簿という感じ。
弁護士時代に手がけた事件に着想を得ているのだろうけれど、もちろんこれはフィクションで、でも「事実は小説より奇なり」と思える人間の謎めいた複雑さを感じさせる11の物語。簡潔な表現だけれど、事件の余韻は残る。
最近、アメリカのミステリをまるで読んでいない。
主人公や被害者をいかに苦しめるか、それを微に入り細を穿って描写し尽くすのが小説の面白さとでも言うようなサイコキラーな内容に辟易してしまっていて手が出ない。
初めて読んだときはノンストップ・ジェットコースターなストーリーとその不気味さに夢中になったけれど。
たぶん、トマス・ハリスの「レッド・ドラゴン」だったと思うな。そして「羊たちの沈黙」。この2作がワタクシ的にはサイコキラーの白眉。
そのあと、怪物が出るわ出るわ。アメリカはサイコキラー、シリアルキラーがうじゃうじゃいる国らしい。それに付き合ってたら心が腐りそう。いまのところはノーサンキュー。
アイスランドやドイツの事件小説がいまは心地良く読める。
シーラッハの第2短編「罪悪」も読んでみよう。
「コリーニ事件」は長編のようなので、気にはなるけれど、どうだろう?
弁護士時代に手がけた事件に着想を得ているのだろうけれど、もちろんこれはフィクションで、でも「事実は小説より奇なり」と思える人間の謎めいた複雑さを感じさせる11の物語。簡潔な表現だけれど、事件の余韻は残る。
最近、アメリカのミステリをまるで読んでいない。
主人公や被害者をいかに苦しめるか、それを微に入り細を穿って描写し尽くすのが小説の面白さとでも言うようなサイコキラーな内容に辟易してしまっていて手が出ない。
初めて読んだときはノンストップ・ジェットコースターなストーリーとその不気味さに夢中になったけれど。
たぶん、トマス・ハリスの「レッド・ドラゴン」だったと思うな。そして「羊たちの沈黙」。この2作がワタクシ的にはサイコキラーの白眉。
そのあと、怪物が出るわ出るわ。アメリカはサイコキラー、シリアルキラーがうじゃうじゃいる国らしい。それに付き合ってたら心が腐りそう。いまのところはノーサンキュー。
アイスランドやドイツの事件小説がいまは心地良く読める。
シーラッハの第2短編「罪悪」も読んでみよう。
「コリーニ事件」は長編のようなので、気にはなるけれど、どうだろう?
「安部公房とわたし」
2014年1月18日 読書 コメント (3)
山口果林という女優さんは、結構好きだ。
TVドラマでちらっと見るくらいで、経歴とかはまったく知らなかったけれど、日本の女優にしては都会的な感じだなぁと思っていた。あ、なるほど生粋の東京っ子。
この本自体は個人のブログ程度の文章と内容なので斜め読み。
安部公房も山口果林も好きだし、読後もそれは変わらない。
安部公房の編集者が、「ノーベル賞を受賞するまではスキャンダルは困る」と夫人との離婚を認めなかったらしいけれど、そんなことをノーベル委員会が気にするとは思えないんだけど。気にするのかな?だったらノーベル賞の評価下がるよ、私の中で。
清廉潔白は公務員と政治家に求めたらいいものだ。
まして男と女の問題、結婚とか離婚とかそんなもの作品の評価とは無縁だ。なんとも日本的な編集者だなぁ。担当作家がノーベル賞候補なら、切実だろうけど。
TVドラマでちらっと見るくらいで、経歴とかはまったく知らなかったけれど、日本の女優にしては都会的な感じだなぁと思っていた。あ、なるほど生粋の東京っ子。
この本自体は個人のブログ程度の文章と内容なので斜め読み。
安部公房も山口果林も好きだし、読後もそれは変わらない。
安部公房の編集者が、「ノーベル賞を受賞するまではスキャンダルは困る」と夫人との離婚を認めなかったらしいけれど、そんなことをノーベル委員会が気にするとは思えないんだけど。気にするのかな?だったらノーベル賞の評価下がるよ、私の中で。
清廉潔白は公務員と政治家に求めたらいいものだ。
まして男と女の問題、結婚とか離婚とかそんなもの作品の評価とは無縁だ。なんとも日本的な編集者だなぁ。担当作家がノーベル賞候補なら、切実だろうけど。
水晶山脈――この言葉の連なりはときめく。胸の中で反芻するだけで浄化されそうな気がする。
鉱物標本を眺めるのが好きだ。
ミュージアムクラスではなくても、街によくあるパワーストーンのお店でもついつい魅入ってしまう。ヒーリング効果とかよくわからないけれど、純粋に美しいなぁと思う。美しいなぁという感情が湧くだけでも、なにがしかのパワーはあるのかもしれないね。
特にアメシストの透明感のあるものに惹かれるのだけれど、国立科学博物館の地球館だったかな、そこで見た石英は持って帰りたかった。 「欲しい・・・」と真剣に思ったもの(笑)
デアゴスティーニの鉱物コレクションを購読しちゃおうかな、なんて一瞬考えたこともあった。一瞬だけね(笑)
大雑把なのでコレクターの資質はないしなと思いおこし、踏み止まったけれど。
堆積 彗星 結晶 砂漠 鉱山 劈開 結合 ・・・
こういう単語成分で構成された化合物、がこの本。たむらしげるの「水晶山脈」。
鉱物標本を眺めるのが好きだ。
ミュージアムクラスではなくても、街によくあるパワーストーンのお店でもついつい魅入ってしまう。ヒーリング効果とかよくわからないけれど、純粋に美しいなぁと思う。美しいなぁという感情が湧くだけでも、なにがしかのパワーはあるのかもしれないね。
特にアメシストの透明感のあるものに惹かれるのだけれど、国立科学博物館の地球館だったかな、そこで見た石英は持って帰りたかった。 「欲しい・・・」と真剣に思ったもの(笑)
デアゴスティーニの鉱物コレクションを購読しちゃおうかな、なんて一瞬考えたこともあった。一瞬だけね(笑)
大雑把なのでコレクターの資質はないしなと思いおこし、踏み止まったけれど。
堆積 彗星 結晶 砂漠 鉱山 劈開 結合 ・・・
こういう単語成分で構成された化合物、がこの本。たむらしげるの「水晶山脈」。
「湿地」よりは☆ひとつ分、評価はあがるかな。
「湿地」がいまいち、なら、まあまあ、くらい?(笑)
このシリーズはミステリとして読まないで、人間のドラマとして読むのがいいのかも。
事件の真相を追う進行形の捜査ミステリとして読むと、やっぱり道筋がストレート過ぎる。主人公の刑事が、ピンポイントで事件の核心に近づく。いくら三鷹市規模だといっても、可能性は無限にあるだろうに。
作家本人も「殺人事件が起きる背景に焦点を当てたい」「殺すに至るまでの過程を理解したい」と言っているように、ひとの営みにあるドラマ=葛藤を読んでゆくのでいいのかも。普通小説として。
2作を読んでいて、松本清張を連想した。松本清張の作品も、「事件」とそれに関わる「人間」が主で、推理小説としたらあまりに偶然が多いし、都合良すぎではと思うところ多々だけど、人間のドラマが核にあるから読んでしまう。
インドリダソンの書く物語には「哀しみ」のようなものがある。閉ざされた小さな小さな国の静かな哀しみ。アイスランドという土地とそこに住む人の精神性に、いまちょっと惹かれている。
余談だけれども。
「湿地」も「緑衣の女」も原作のスウェーデン語版からの邦訳なのだそう。アイスランド語に堪能な日本人って、そっか、そうそういそうもないけど、翻訳の翻訳って「隔靴掻痒」って言葉が浮かんでしまった。いや痒みを感じる皮膚を持ってないから気にしなくていいんだけどもね。
「湿地」がいまいち、なら、まあまあ、くらい?(笑)
このシリーズはミステリとして読まないで、人間のドラマとして読むのがいいのかも。
事件の真相を追う進行形の捜査ミステリとして読むと、やっぱり道筋がストレート過ぎる。主人公の刑事が、ピンポイントで事件の核心に近づく。いくら三鷹市規模だといっても、可能性は無限にあるだろうに。
作家本人も「殺人事件が起きる背景に焦点を当てたい」「殺すに至るまでの過程を理解したい」と言っているように、ひとの営みにあるドラマ=葛藤を読んでゆくのでいいのかも。普通小説として。
2作を読んでいて、松本清張を連想した。松本清張の作品も、「事件」とそれに関わる「人間」が主で、推理小説としたらあまりに偶然が多いし、都合良すぎではと思うところ多々だけど、人間のドラマが核にあるから読んでしまう。
インドリダソンの書く物語には「哀しみ」のようなものがある。閉ざされた小さな小さな国の静かな哀しみ。アイスランドという土地とそこに住む人の精神性に、いまちょっと惹かれている。
余談だけれども。
「湿地」も「緑衣の女」も原作のスウェーデン語版からの邦訳なのだそう。アイスランド語に堪能な日本人って、そっか、そうそういそうもないけど、翻訳の翻訳って「隔靴掻痒」って言葉が浮かんでしまった。いや痒みを感じる皮膚を持ってないから気にしなくていいんだけどもね。
いつものような他愛のない話で笑ったあと、沈黙が訪れて、その人が思い出したように本の話をしだした。
「草枕」って知ってるだろ?と。
驚いた。え?なんで?
その人がなぜ突然「草枕」を話題にするのか。どちらかといえば理系で、あまり日本文学に興味があるようでもなかったから。いや、漱石の「草枕」なら誰が読んだっておかしくないけれど、なぜいま、なぜ今日この時に?
最近そこに書かれた一節をどこかで目にして、ずっと心に懸かっていたということだった。
私は驚いてわくわくした。
その人がその一節について語るのを聞きながら小躍りするような心持ちだった。
いまバッグの中からその「草枕」を取り出して見せたら、きっとびっくりするよね?その顔が想像できる。
話の腰を折りたくはないけれど、驚く顔が見たい。
そう、ほんとうにバッグの中に「草枕」を持っていた。
同じことを思ったことがある。
昼間の花火ではなく、「同じ星座を描く」という風に。空にはギリシャ神話の星座図のように星と星を結ぶ線は引かれてはいないけれど、常に満天の星があって、「強く求める気持ちがあれば」そこにしばしば同じ星座を描いてそれを発見するのではないか、と。
心理学でいうconstellationに近いのかもしれない。
恋をしていると、これはdestinyと言いたくなるかもしれないけれど、実はありふれた偶然。それでもそれが強く求められたものならば、束の間わくわくしてもいいよね。
「草枕」って知ってるだろ?と。
驚いた。え?なんで?
その人がなぜ突然「草枕」を話題にするのか。どちらかといえば理系で、あまり日本文学に興味があるようでもなかったから。いや、漱石の「草枕」なら誰が読んだっておかしくないけれど、なぜいま、なぜ今日この時に?
最近そこに書かれた一節をどこかで目にして、ずっと心に懸かっていたということだった。
私は驚いてわくわくした。
その人がその一節について語るのを聞きながら小躍りするような心持ちだった。
いまバッグの中からその「草枕」を取り出して見せたら、きっとびっくりするよね?その顔が想像できる。
話の腰を折りたくはないけれど、驚く顔が見たい。
そう、ほんとうにバッグの中に「草枕」を持っていた。
偶然の一致というのは、ひょっとして実はとてもありふれた現象なんじゃないだろうかって。つまりそういう類のものごとは僕らのまわりで、しょっちゅう日常的に起こっているんです。でもその大半は僕らの目にとまることなく、そのまま見過ごされてしまいます。まるで真っ昼間に打ち上げられた花火のように、かすかに音はするんだけれど、空を見上げても何も見えません。しかしもし僕らの方に強く求める気持ちがあれば、たぶんそれは僕らの視界の中に、ひとつのメッセージとして浮かび上がってくるんです。その図形や意味合いが鮮やかに読み取れるようになる。そして僕らはそういうものを目にして『ああ、こんなことも起こるんだ。不思議だなぁ』と驚いたりします。本当はぜんぜん不思議なことでもないにもかかわらず。
「偶然の旅人」村上春樹
同じことを思ったことがある。
昼間の花火ではなく、「同じ星座を描く」という風に。空にはギリシャ神話の星座図のように星と星を結ぶ線は引かれてはいないけれど、常に満天の星があって、「強く求める気持ちがあれば」そこにしばしば同じ星座を描いてそれを発見するのではないか、と。
心理学でいうconstellationに近いのかもしれない。
恋をしていると、これはdestinyと言いたくなるかもしれないけれど、実はありふれた偶然。それでもそれが強く求められたものならば、束の間わくわくしてもいいよね。
私は寒々とした風景に惹かれるところがある。
みぞれを降らす灰色の雲が厚く垂れこめた原野とか氷雨に濡れる針葉樹林とか。
アイスランドのミステリでタイトル「湿地」って、それだけでなんだか神経痛が疼きそうなイメージに誘われて読んだ。
主人公の刑事の置かれている状況も、事件も、事件の真相も寒々しくて陰鬱。なのだけれどなんだかさらーっと読めてしまう。文章が簡潔で含みとか思わせぶりもなく、初めて読む作家だけれど、引っかかるものがない。良くも悪くも。
事件発生から真相解明まで、スムースに運びすぎでは?と思う。わりと好きなトーンの
小説世界なので、もうちょっともうちょっと粘って欲しかったという感じ。
読んでいて不思議だったのが、世界がものすごく狭そうだったこと。
首都レイキャビクが舞台なんだけど、東京とかN.Y.とかと明らかに規模が違いそうで。
調べてみたらアイスランドって、北海道を一回り大きくしたくらいの国土で、人口は32万人弱。レイキャビク周辺でその6割、18万人、が住んでいるというのだけど、18万人って三鷹市くらいだ。
確かにこじんまりしてる、かな?刑事の捜査の進み具合が、江戸の捕物帳並みなのはそのせい?
と思ったけど、江戸のほうが現代のレイキャビクよりずっと人口多かったんだよねー。
うーん、本の感想のはずが、まとまらない(笑)
アイスランド、ちょっと興味がわいたってことで。
続けて同じシリーズの「緑衣の女」読みます。
手放しで絶賛というわけではないけど、アーナルデュル・インドリダソン気に入ったみたい。かな?
みぞれを降らす灰色の雲が厚く垂れこめた原野とか氷雨に濡れる針葉樹林とか。
アイスランドのミステリでタイトル「湿地」って、それだけでなんだか神経痛が疼きそうなイメージに誘われて読んだ。
主人公の刑事の置かれている状況も、事件も、事件の真相も寒々しくて陰鬱。なのだけれどなんだかさらーっと読めてしまう。文章が簡潔で含みとか思わせぶりもなく、初めて読む作家だけれど、引っかかるものがない。良くも悪くも。
事件発生から真相解明まで、スムースに運びすぎでは?と思う。わりと好きなトーンの
小説世界なので、もうちょっともうちょっと粘って欲しかったという感じ。
読んでいて不思議だったのが、世界がものすごく狭そうだったこと。
首都レイキャビクが舞台なんだけど、東京とかN.Y.とかと明らかに規模が違いそうで。
調べてみたらアイスランドって、北海道を一回り大きくしたくらいの国土で、人口は32万人弱。レイキャビク周辺でその6割、18万人、が住んでいるというのだけど、18万人って三鷹市くらいだ。
確かにこじんまりしてる、かな?刑事の捜査の進み具合が、江戸の捕物帳並みなのはそのせい?
と思ったけど、江戸のほうが現代のレイキャビクよりずっと人口多かったんだよねー。
うーん、本の感想のはずが、まとまらない(笑)
アイスランド、ちょっと興味がわいたってことで。
続けて同じシリーズの「緑衣の女」読みます。
手放しで絶賛というわけではないけど、アーナルデュル・インドリダソン気に入ったみたい。かな?
2段組、850ページ。重い。寝ながら読むのは無理。うっかり顔の上にでも落としたら怪我しそうだ。
それでも、一日に100ページのペースで読めば一週間だしね。
楽勝。なんて思っていたのだけれど。
忘年会だの送別会だの休日出勤だのでばたばたしてたら返却期限が来てしまった。予約のついてる本だから返さなきゃいけない。
まだ第一部の「批評家たちの部」の中程で止まっているのだ。
男3人女1人の批評家たちの呑気で観念的な恋模様がどこへ転がってゆくのか、お付き合い気分で読んでいるのだけど、俯瞰的な描写なので、感情移入して読み進める人物がみつからないし、4人の人物像も関係も、私にはちっとも魅力的ではないのだ。
正直に言うと、彼らの恋の行方よりも謎の作家アルチンボルディを追いたくて気は急くのである。だけど、まてまて、こういう本は核心から最も遠くにありそうな膨大な細部を端折ってはいけないと言い聞かせる。
物語は私からまだ遠いところにあるままなんだけど、でも文章を追うのは少しも苦痛じゃない。ボラーニョの筆力?
仕方ない。明日、返却してもう一度予約しよう。
それでも、一日に100ページのペースで読めば一週間だしね。
楽勝。なんて思っていたのだけれど。
忘年会だの送別会だの休日出勤だのでばたばたしてたら返却期限が来てしまった。予約のついてる本だから返さなきゃいけない。
まだ第一部の「批評家たちの部」の中程で止まっているのだ。
男3人女1人の批評家たちの呑気で観念的な恋模様がどこへ転がってゆくのか、お付き合い気分で読んでいるのだけど、俯瞰的な描写なので、感情移入して読み進める人物がみつからないし、4人の人物像も関係も、私にはちっとも魅力的ではないのだ。
正直に言うと、彼らの恋の行方よりも謎の作家アルチンボルディを追いたくて気は急くのである。だけど、まてまて、こういう本は核心から最も遠くにありそうな膨大な細部を端折ってはいけないと言い聞かせる。
物語は私からまだ遠いところにあるままなんだけど、でも文章を追うのは少しも苦痛じゃない。ボラーニョの筆力?
仕方ない。明日、返却してもう一度予約しよう。
私家版というものにちょっと憧れる。
日本だと「少部数・自費出版」という、自己満足っぽいちょっと残念な出版物のイメージが浮かぶのだけれど、ウイリアム・モリスが手がけていたような意匠を凝らし、印刷技術の粋を集めた少部数の贅沢本。19世紀のお金持ちの道楽本といってしまえばこれまた自己満足本かもしれないけれど、それが「美しい書物」なら見てみたいと思う。
本は読むものだから、過剰な装飾は邪魔なだけだとは思うけれども、一方で「美しい書物」を極めてみたいというモノとしての本への偏愛もわかる。
美しい書体を追求して活字を作り上げ、完璧な組版の美にこだわって印刷されたものがあるのなら、どきどきしながらページを繰ってみたい。
ジョン・ダニングのミステリに「幻の特装本」という作品があって、稀覯本をめぐって殺人事件が起こるという話なのだけれど、そこで語られるエドガー・アラン・ポー「大鴉」の特装本がとても魅力的なのだ。
それはどんな本なのか。誰も見たことがない幻ゆえに誰もが手にとってみたいと欲望を掻き立てられる。ずいぶん前に読んだのだけれど、事件の顛末より、架空の「大鴉」の素晴らしさを妄想する気分しか覚えていない(笑)
なにかの間違いで、私のもとに玉虫厨子が転がり込んできたら迷わず即刻法隆寺にお返しするけれども、「ケルムスコット版チョーサー」だったり「グーテンベルク聖書」だったりしたら1ヶ月くらいはこっそり手元に置いておくかもしれない。幻の「大鴉」だったら殺されちゃうかもしれないけど(笑)
「美しい書物の話」を読んだ。
小説本も好きだけれど、こういう本の本も好きだ。
中世の彩飾写本からモリスのプライベート・プレスまで駆け足で解説してくれているのだけれど、イギリスの有名な古書業者だった著者は書物偏愛者だったんだろうね、読みやすくて面白かった。
革命でも起きて「グーテンベルク聖書」が一般市場に現れたら世界でもっとも価値のある印刷本であることが証明されるだろう、なんて書いてあって、ありえないと知りつつ、市場価格を確かめてみたい古本屋の親爺的妄想が好きだ。
個人的には、活字を発明してくれたひと達に感謝したい。
日本だと「少部数・自費出版」という、自己満足っぽいちょっと残念な出版物のイメージが浮かぶのだけれど、ウイリアム・モリスが手がけていたような意匠を凝らし、印刷技術の粋を集めた少部数の贅沢本。19世紀のお金持ちの道楽本といってしまえばこれまた自己満足本かもしれないけれど、それが「美しい書物」なら見てみたいと思う。
本は読むものだから、過剰な装飾は邪魔なだけだとは思うけれども、一方で「美しい書物」を極めてみたいというモノとしての本への偏愛もわかる。
美しい書体を追求して活字を作り上げ、完璧な組版の美にこだわって印刷されたものがあるのなら、どきどきしながらページを繰ってみたい。
ジョン・ダニングのミステリに「幻の特装本」という作品があって、稀覯本をめぐって殺人事件が起こるという話なのだけれど、そこで語られるエドガー・アラン・ポー「大鴉」の特装本がとても魅力的なのだ。
それはどんな本なのか。誰も見たことがない幻ゆえに誰もが手にとってみたいと欲望を掻き立てられる。ずいぶん前に読んだのだけれど、事件の顛末より、架空の「大鴉」の素晴らしさを妄想する気分しか覚えていない(笑)
なにかの間違いで、私のもとに玉虫厨子が転がり込んできたら迷わず即刻法隆寺にお返しするけれども、「ケルムスコット版チョーサー」だったり「グーテンベルク聖書」だったりしたら1ヶ月くらいはこっそり手元に置いておくかもしれない。幻の「大鴉」だったら殺されちゃうかもしれないけど(笑)
「美しい書物の話」を読んだ。
小説本も好きだけれど、こういう本の本も好きだ。
中世の彩飾写本からモリスのプライベート・プレスまで駆け足で解説してくれているのだけれど、イギリスの有名な古書業者だった著者は書物偏愛者だったんだろうね、読みやすくて面白かった。
革命でも起きて「グーテンベルク聖書」が一般市場に現れたら世界でもっとも価値のある印刷本であることが証明されるだろう、なんて書いてあって、ありえないと知りつつ、市場価格を確かめてみたい古本屋の親爺的妄想が好きだ。
個人的には、活字を発明してくれたひと達に感謝したい。
宮部みゆきさんって、きっとほんとうに人柄の良いひとなんだろうなぁと思うの。
どの作品読んでも、そう思う。登場人物にそれが反映してるなぁって思う。
そこがイラつくんだ。
宮部みゆきはジュブナイル作家なのかなぁ。少年とか少女には瑞々しいもの感じるのだけれど、大人の人物造形がなんだかしっくりこない。どの作品に出てくる大人も、ちゃんとしたセックスを知っている気がしない。汗の臭いがない。いろんな感情を凝縮して滴る体臭が感じられない。落語の長屋の大人たちみたい。
ひとが四人も惨殺されてるというのに、血の匂いがしない。
落語の「らくだ」じゃないけれど、長屋でみっかった死体をめぐるドタバタ・・みたいな。喜劇じゃないのにひとが四人死んでいるという怖さがない。
人柄の良さが滲み出る文章なのでついつい読んでしまうんだけど、読み終わっていっつもイラっとくるんだよねー。
嫌いって言えない、善人さ加減にイラつくんだね、きっと。
どの作品読んでも、そう思う。登場人物にそれが反映してるなぁって思う。
そこがイラつくんだ。
宮部みゆきはジュブナイル作家なのかなぁ。少年とか少女には瑞々しいもの感じるのだけれど、大人の人物造形がなんだかしっくりこない。どの作品に出てくる大人も、ちゃんとしたセックスを知っている気がしない。汗の臭いがない。いろんな感情を凝縮して滴る体臭が感じられない。落語の長屋の大人たちみたい。
ひとが四人も惨殺されてるというのに、血の匂いがしない。
落語の「らくだ」じゃないけれど、長屋でみっかった死体をめぐるドタバタ・・みたいな。喜劇じゃないのにひとが四人死んでいるという怖さがない。
人柄の良さが滲み出る文章なのでついつい読んでしまうんだけど、読み終わっていっつもイラっとくるんだよねー。
嫌いって言えない、善人さ加減にイラつくんだね、きっと。
気が付くと、老いることや死ということをつらつらと思っている。
父が亡くなって、正確には父が最後の入院をしてから特に。
老いて病を得て死にゆく人を傍で見て、考えないほうがおかしいか。
それと。父と一緒にいた頃は、私は娘でいられた。
人生の折り返し点を過ぎてはいても、父がいたから娘だった。娘に死は遠い。
父がいなくなったら、次はお前の番だとばかり、いきなり年相応に終の時を思わざる得なくなった。
だけど老いや死について思いながら生きてゆくことは苦ではないなぁ。まだはっきりとではないけれど、もう幾つかコーナーを曲がればゴールが見えてくるんだろうという安心感のようなものを感じる。
死については、死を体験して戻ってきた人はいないから誰もほんとのところを語ってはくれないのだけれど、老いについては吉本隆明が語ってくれてることがなるほどと思うことが多かった。衰弱してゆく父を看ながら感じたことともリンクしたし。
「ご老人の心身は、発掘すべき最新の考古学だという気はしています」
ほんとそうだよね。
老いを情緒的、自嘲的に諦観込めて書いたものは読んだことあるけれど
全人格的、全人間的な老いを発掘して欲しい。
老いるということがどういうことなのか、ちゃんと知りたい。知って体験したい。
なんかこう、楽しみにしたいじゃない?
父が亡くなって、正確には父が最後の入院をしてから特に。
老いて病を得て死にゆく人を傍で見て、考えないほうがおかしいか。
それと。父と一緒にいた頃は、私は娘でいられた。
人生の折り返し点を過ぎてはいても、父がいたから娘だった。娘に死は遠い。
父がいなくなったら、次はお前の番だとばかり、いきなり年相応に終の時を思わざる得なくなった。
だけど老いや死について思いながら生きてゆくことは苦ではないなぁ。まだはっきりとではないけれど、もう幾つかコーナーを曲がればゴールが見えてくるんだろうという安心感のようなものを感じる。
死については、死を体験して戻ってきた人はいないから誰もほんとのところを語ってはくれないのだけれど、老いについては吉本隆明が語ってくれてることがなるほどと思うことが多かった。衰弱してゆく父を看ながら感じたことともリンクしたし。
「ご老人の心身は、発掘すべき最新の考古学だという気はしています」
ほんとそうだよね。
老いを情緒的、自嘲的に諦観込めて書いたものは読んだことあるけれど
全人格的、全人間的な老いを発掘して欲しい。
老いるということがどういうことなのか、ちゃんと知りたい。知って体験したい。
なんかこう、楽しみにしたいじゃない?
高村薫がなぜ疲れるかわかった様な気がした。
高村薫は、作品に読後のカタルシスを用意してくれないのだ。
二段組み、上下巻600ページ。どこを開いても文字で埋め尽くされ
見開きにひとつふたつ改行があればいいほうだ。
文字単価でみたらコストパフォーマンスの良い作家だと思う。
でも疲れるのはその分量ではない。
むしろその分量をぐいぐいと読ませるのだから苦にならない。
ただ、驚天動地のラストとか、解き明かされる謎とかそういったものはひとつも用意されていない。
ミステリを書いているつもりはないと本人が言うように、普通文学を読むように読んでいけばいいのだ。あざとい仕掛けや謎はないのだから。
最後の一行を読み終えても、得心がいくような感覚は一切ない。物語は収束せず拡散し、関わった人間の精神に溶け出して完結しないままだ。
わかりやすいエンドマークは作り話の中にしかないものだから、ずるずると続く日々を生きる身には、むしろリアルだ。
合田雄一郎の疲労感が、そのまま読後の疲労感になる。そういう意味でも、高村薫のリアリティは凄いなと思う。
上巻、惨劇の予感に恐れをなして中断したけれども、考えてみたら惨劇をリアルタイムで描くような品のないことはしない作家だった。
事件の様相は、警察の捜査のなかで再現され語られていく。犯人もあっさり捕まり、自供内容に食い違いもない。上巻の後半からは、40代になり管理職になった合田雄一郎が部下のあげてくる調査資料を読みこんでゆくのに、読者も延々と付き合うことになる。理解することも納得することも不可能な犯行の動機を、それでも警察の言葉で描き出してゆかなくてはならない不毛な作業に付き合い、考える。そうやって下巻を読み終えた。安易なカタルシスはなかった。
けれども、読む甲斐のある作品だった。
高村薫は、作品に読後のカタルシスを用意してくれないのだ。
二段組み、上下巻600ページ。どこを開いても文字で埋め尽くされ
見開きにひとつふたつ改行があればいいほうだ。
文字単価でみたらコストパフォーマンスの良い作家だと思う。
でも疲れるのはその分量ではない。
むしろその分量をぐいぐいと読ませるのだから苦にならない。
ただ、驚天動地のラストとか、解き明かされる謎とかそういったものはひとつも用意されていない。
ミステリを書いているつもりはないと本人が言うように、普通文学を読むように読んでいけばいいのだ。あざとい仕掛けや謎はないのだから。
最後の一行を読み終えても、得心がいくような感覚は一切ない。物語は収束せず拡散し、関わった人間の精神に溶け出して完結しないままだ。
わかりやすいエンドマークは作り話の中にしかないものだから、ずるずると続く日々を生きる身には、むしろリアルだ。
合田雄一郎の疲労感が、そのまま読後の疲労感になる。そういう意味でも、高村薫のリアリティは凄いなと思う。
上巻、惨劇の予感に恐れをなして中断したけれども、考えてみたら惨劇をリアルタイムで描くような品のないことはしない作家だった。
事件の様相は、警察の捜査のなかで再現され語られていく。犯人もあっさり捕まり、自供内容に食い違いもない。上巻の後半からは、40代になり管理職になった合田雄一郎が部下のあげてくる調査資料を読みこんでゆくのに、読者も延々と付き合うことになる。理解することも納得することも不可能な犯行の動機を、それでも警察の言葉で描き出してゆかなくてはならない不毛な作業に付き合い、考える。そうやって下巻を読み終えた。安易なカタルシスはなかった。
けれども、読む甲斐のある作品だった。
読むのに体力がいる作家、との評。まったく同感。
ちょうど最新刊の「冷血」を読み始めたところ。
高村作品にしては読みやすいほうだと思うが、暴力のエネルギーが渦巻いて少しずつ圧を高めて、爆発を予感させてすすむ過程の乾いたリアリティーが、なかなかハードだ。
いまちょっと体調を崩していて、図書館で予約していたこれが届いたので読み始め、引き込まれて読んで先が気にはなるのだけれど、「いまちょっと無理」そんな感じ。
上巻の4分の1読んでページを閉じても、微熱の夜の浅い眠りの悪夢になるし、もう高村薫、どこまで豪腕?
ほんと体調整えて万全の態勢で続き読ませていただきますので、ご容赦くだされ。
ちょうど最新刊の「冷血」を読み始めたところ。
高村作品にしては読みやすいほうだと思うが、暴力のエネルギーが渦巻いて少しずつ圧を高めて、爆発を予感させてすすむ過程の乾いたリアリティーが、なかなかハードだ。
いまちょっと体調を崩していて、図書館で予約していたこれが届いたので読み始め、引き込まれて読んで先が気にはなるのだけれど、「いまちょっと無理」そんな感じ。
上巻の4分の1読んでページを閉じても、微熱の夜の浅い眠りの悪夢になるし、もう高村薫、どこまで豪腕?
ほんと体調整えて万全の態勢で続き読ませていただきますので、ご容赦くだされ。
「頼むよ、しずかちゃん」で思い浮かんだのがこのひと。
このひとの美しさはなんだろう。
ミャンマーがどういう国か知りもせず、また興味もなかったのに、ニュースで流れたこのひとの写真一枚でアジアの片隅で起きている出来事が鮮明に印象付けられた。どこまでが姓でどこからが名なのかよくわからないアウンサンスーチーという名前も一度で覚えたと思う。ノーベル平和賞を受賞するもっと前のこと。
捕らわれた美しいひと。これ以上ドラマチックなこともそうないでしょう。
軍政が布かれた孤立した国で、つまり軍が好き放題やれそうな国で、「自宅軟禁」なんて妙に半端な処遇を受けているこのひとは何者なんだろうと不思議だった。
で、この本を読んでみた。
スーチーさんの父、アウンサン将軍はビルマ軍を組織し日本と戦いイギリスと戦ったビルマ建国の英雄で、ミャンマー国軍の父と言える人物なのだとか。さすがにそのひとり娘を手にかけるわけにはいかない、ということでの自宅軟禁。
スーチーさんは決して政治的な人ではないと思った。民主主義を実現するために戦ってはいるのだけれど、いわゆる活動家とか闘士というのとも印象が違う。
この美しいひとの行動規範は、「父の娘でいる」ということ。父の娘である自分と父が作った軍は兄弟なのだから、と。話し合いましょう、というスタンス。
自由の身になって、政治家にならざる得ないのだろうけれど、どうなるのだろう。
思うに、国造り神話の父神と娘神だったんじゃないかしらね。現在進行形の神話。
神話に登場する女神は美しいに決まってる。美しさというのは、力だ。
非の打ちどころのない出自で、特権的な恵まれた育ち方をしているわけだけれど、それだけじゃ力にはならない。髪に挿した花に劣らず美しく生まれついてこそパワーになる。美しければ世界を味方にできる。
私は美人が好きです。
このひとの美しさはなんだろう。
ミャンマーがどういう国か知りもせず、また興味もなかったのに、ニュースで流れたこのひとの写真一枚でアジアの片隅で起きている出来事が鮮明に印象付けられた。どこまでが姓でどこからが名なのかよくわからないアウンサンスーチーという名前も一度で覚えたと思う。ノーベル平和賞を受賞するもっと前のこと。
捕らわれた美しいひと。これ以上ドラマチックなこともそうないでしょう。
軍政が布かれた孤立した国で、つまり軍が好き放題やれそうな国で、「自宅軟禁」なんて妙に半端な処遇を受けているこのひとは何者なんだろうと不思議だった。
で、この本を読んでみた。
スーチーさんの父、アウンサン将軍はビルマ軍を組織し日本と戦いイギリスと戦ったビルマ建国の英雄で、ミャンマー国軍の父と言える人物なのだとか。さすがにそのひとり娘を手にかけるわけにはいかない、ということでの自宅軟禁。
スーチーさんは決して政治的な人ではないと思った。民主主義を実現するために戦ってはいるのだけれど、いわゆる活動家とか闘士というのとも印象が違う。
この美しいひとの行動規範は、「父の娘でいる」ということ。父の娘である自分と父が作った軍は兄弟なのだから、と。話し合いましょう、というスタンス。
自由の身になって、政治家にならざる得ないのだろうけれど、どうなるのだろう。
思うに、国造り神話の父神と娘神だったんじゃないかしらね。現在進行形の神話。
神話に登場する女神は美しいに決まってる。美しさというのは、力だ。
非の打ちどころのない出自で、特権的な恵まれた育ち方をしているわけだけれど、それだけじゃ力にはならない。髪に挿した花に劣らず美しく生まれついてこそパワーになる。美しければ世界を味方にできる。
私は美人が好きです。
ひと月ほど前にこの本を読んでいた。
「沈黙の時代に書くということ―ポスト9・11を生きる作家の選択」
サラ・パレツキー。
V.I.のシリーズからはしばらく遠ざかっていた。
読んでて草臥れるから。嫌いじゃないんだけど。
図書館の棚にこの本をみつけて、音信不通になった旧友にばったり会ったような感覚で借りてきた。
ヴィクは(サラ・パレツキーは)なんであんなに四六時中怒ってんだろうと思ってたけど、ユダヤ系移民の子孫で、女でアメリカで生きていくのは相当にタフなことなんだと思った。
真実を知りたいと行動する探偵稼業(作家稼業)ではなおのこと。
サラ・パレツキーは9.11直後に施行された「愛国者法」を、危惧を越えた恐怖と感じているようだった。「テロの疑い」と言えばすべてに優先して、判事の署名なしに拘束連行できること、個人のプライバシーも思想信条の自由も、基本的人権も守られることはないことに。
刑務所、警察署内で拷問に近い取り調べが日常茶飯事であるらしいこと、図書館が保有する個人情報も手続きなしに開示を求められ、拒否すれば図書館員さえ拘束される状況であること、などなど。
どっかの独裁国家の話かと思いながら読んだ。
先日起きたボストンの爆破事件。
19歳の容疑者には一切の黙秘権が認められないだろうと報道されていた。アメリカのミステリ読者にはお馴染みの「ミランダ通告」は行われないとか。
アメリカの正義って、なんというか、すごく幼稚な気がする。
アメリカの民族性が幼いというか。
一昨年の震災の時、援助に駆けつけた米軍の「トモダチ作戦」とかさ。そういうネーミングの感覚にも表れてないか?いや、ありがたいんだけど。なんだろう、武装したボーイスカウト?みたいな無邪気さというかね。装ってるだけかもしれないけど。
小学校の頃にあった「週番」っての思い出す。「××しましょう!」と決めたら、なにがなんでも目標達成、クラス全員をチェックして回る「週番」。12歳のヒステリック。
そういうものを連想してしまう。
やっぱりアメリカって好きになれない。
「沈黙の時代に書くということ―ポスト9・11を生きる作家の選択」
サラ・パレツキー。
V.I.のシリーズからはしばらく遠ざかっていた。
読んでて草臥れるから。嫌いじゃないんだけど。
図書館の棚にこの本をみつけて、音信不通になった旧友にばったり会ったような感覚で借りてきた。
ヴィクは(サラ・パレツキーは)なんであんなに四六時中怒ってんだろうと思ってたけど、ユダヤ系移民の子孫で、女でアメリカで生きていくのは相当にタフなことなんだと思った。
真実を知りたいと行動する探偵稼業(作家稼業)ではなおのこと。
サラ・パレツキーは9.11直後に施行された「愛国者法」を、危惧を越えた恐怖と感じているようだった。「テロの疑い」と言えばすべてに優先して、判事の署名なしに拘束連行できること、個人のプライバシーも思想信条の自由も、基本的人権も守られることはないことに。
刑務所、警察署内で拷問に近い取り調べが日常茶飯事であるらしいこと、図書館が保有する個人情報も手続きなしに開示を求められ、拒否すれば図書館員さえ拘束される状況であること、などなど。
どっかの独裁国家の話かと思いながら読んだ。
先日起きたボストンの爆破事件。
19歳の容疑者には一切の黙秘権が認められないだろうと報道されていた。アメリカのミステリ読者にはお馴染みの「ミランダ通告」は行われないとか。
アメリカの正義って、なんというか、すごく幼稚な気がする。
アメリカの民族性が幼いというか。
一昨年の震災の時、援助に駆けつけた米軍の「トモダチ作戦」とかさ。そういうネーミングの感覚にも表れてないか?いや、ありがたいんだけど。なんだろう、武装したボーイスカウト?みたいな無邪気さというかね。装ってるだけかもしれないけど。
小学校の頃にあった「週番」っての思い出す。「××しましょう!」と決めたら、なにがなんでも目標達成、クラス全員をチェックして回る「週番」。12歳のヒステリック。
そういうものを連想してしまう。
やっぱりアメリカって好きになれない。
ニューヨーカーの時代
2013年2月10日 読書 コメント (2)
常盤新平を続けて読んでいたことがあった。
大学生の頃。
古本屋でみつけた「ニューヨーカー・ノンフィクション」が最初だったと思う。アメリカがまだ格好良く見えていた頃だ。はじめに流れ込んできたのは西海岸の陽気でカジュアルな風俗だったと思うけれど、私は常盤新平が教えてくれた東海岸、ニューヨークのスタイルにとても憧れた。アーウイン・ショーやピート・ハミルも常盤新平の翻訳で知った。「ニューヨーカー・ノンフィクション」今読んだらどうだろう。
いろんなことを教えてもらったというのでは、植草甚一。
アメリカの上質のサスペンス映画のことミステリのこと。JJおじさんのヒッチコックの話から、ヒッチコック劇場の原作をたくさん手がけたヘンリー・スレッサーやロアルド・ダールの小説にたどり着いたと思う。
この頃は、雑誌がとても魅力的だった時代で、常盤新平や植草甚一が教えてくれた外国の雑誌の他に日本でもたくさん創刊されていた。雑誌を買って読むというのはこの頃も今もあまりしないので、an.anやポパイのデザイナーだったと後で知った堀内誠一。
結婚してからパリへ何度か行く機会があって「OVNI」のパリガイドが面白くて持って行った。そこから堀内誠一の「パリからの旅」を手に入れた。彼の描くイラストの色遣いがとても好きだった。
子供の頃に大好きだった絵本「ぐるんぱのようちえん」の絵を描いたのが堀内誠一と知ってすごく驚いたっけ。絵本をほとんど読まない子供だったので、記憶にある絵本は「ぐるんぱ」一冊なのだ。だから人生で2度の出会いにほんとうにびっくり。まあ、好みは変わらないってことかもだけれど。
常盤新平の訃報を聞いて、なんだかいろんなことを連想的に思い出した。
いまはもういない、偉大なおじさん達にずいぶんと多くのことを教えてもらっていたのだなあ。
大学生の頃。
古本屋でみつけた「ニューヨーカー・ノンフィクション」が最初だったと思う。アメリカがまだ格好良く見えていた頃だ。はじめに流れ込んできたのは西海岸の陽気でカジュアルな風俗だったと思うけれど、私は常盤新平が教えてくれた東海岸、ニューヨークのスタイルにとても憧れた。アーウイン・ショーやピート・ハミルも常盤新平の翻訳で知った。「ニューヨーカー・ノンフィクション」今読んだらどうだろう。
いろんなことを教えてもらったというのでは、植草甚一。
アメリカの上質のサスペンス映画のことミステリのこと。JJおじさんのヒッチコックの話から、ヒッチコック劇場の原作をたくさん手がけたヘンリー・スレッサーやロアルド・ダールの小説にたどり着いたと思う。
この頃は、雑誌がとても魅力的だった時代で、常盤新平や植草甚一が教えてくれた外国の雑誌の他に日本でもたくさん創刊されていた。雑誌を買って読むというのはこの頃も今もあまりしないので、an.anやポパイのデザイナーだったと後で知った堀内誠一。
結婚してからパリへ何度か行く機会があって「OVNI」のパリガイドが面白くて持って行った。そこから堀内誠一の「パリからの旅」を手に入れた。彼の描くイラストの色遣いがとても好きだった。
子供の頃に大好きだった絵本「ぐるんぱのようちえん」の絵を描いたのが堀内誠一と知ってすごく驚いたっけ。絵本をほとんど読まない子供だったので、記憶にある絵本は「ぐるんぱ」一冊なのだ。だから人生で2度の出会いにほんとうにびっくり。まあ、好みは変わらないってことかもだけれど。
常盤新平の訃報を聞いて、なんだかいろんなことを連想的に思い出した。
いまはもういない、偉大なおじさん達にずいぶんと多くのことを教えてもらっていたのだなあ。
「懐手して宇宙見物」
2013年1月21日 読書
―――今僕の目の前の紅葉の枝に蓑虫が一匹いる。僕は蟻や蜂や毛虫や大概の虫についてその心持ちといったようなものを想像することができると思うが、この蓑虫の心持ちだけはどうしてもわからない。
青空文庫で寺田寅彦のここら辺を読んで、もう大好きになっちゃった。ノーベル賞の近くにいた物理学者が蓑虫の心持ちに思いをはせる、真面目に。いいなぁ。
で「大人の本棚」シリーズからこれを。
視覚と聴覚、匂い、など最近気になっていた感覚の話なんかも書いている。感覚を不思議と思う少年のような率直さとそれを説明しようと試みる科学者の態度とをもって。
「空想日録」の「身長と寿命」なんて「ゾウの時間、ネズミの時間」だ。
タイトルはこの歌から。
「好きなもの イチゴ珈琲花美人 懐手して宇宙見物」
イチゴから大銀河まで。
思いを馳せるその力は限りないね。
青空文庫で寺田寅彦のここら辺を読んで、もう大好きになっちゃった。ノーベル賞の近くにいた物理学者が蓑虫の心持ちに思いをはせる、真面目に。いいなぁ。
で「大人の本棚」シリーズからこれを。
視覚と聴覚、匂い、など最近気になっていた感覚の話なんかも書いている。感覚を不思議と思う少年のような率直さとそれを説明しようと試みる科学者の態度とをもって。
「空想日録」の「身長と寿命」なんて「ゾウの時間、ネズミの時間」だ。
タイトルはこの歌から。
「好きなもの イチゴ珈琲花美人 懐手して宇宙見物」
イチゴから大銀河まで。
思いを馳せるその力は限りないね。
闘病の友はやっぱりマンガだ。
萩尾望都の美しい絵を堪能する。
これはいつ頃の作品だろう、この頃までの繊細な線の絵が好きだ。
宇宙叙事詩的な作品をたくさん描いていた頃。
SF的な作品が少なくなって、絵が重くなったような。
一緒に「山へ行く」と「なのはな」も買った。
萩尾望都の美しい絵を堪能する。
これはいつ頃の作品だろう、この頃までの繊細な線の絵が好きだ。
宇宙叙事詩的な作品をたくさん描いていた頃。
SF的な作品が少なくなって、絵が重くなったような。
一緒に「山へ行く」と「なのはな」も買った。
栃折久美子さんの文章が好きだ。
女性の書く文章で好きだと思うのは、須賀敦子、佐野洋子、秋山さと子、柳沢桂子などなど。
彼女たちの書くものには共通した慎み、のようなものがある。と思う。
ルリユールであったり、心理学であったり、科学であったり、文章以外に打ち込む道を歩んできて、そこから得た果実をそっと饗してくれるような。
もちろん文学的な教養や才能もあると思うけれども、最初から物書き目指した「女流」にありがちなむき出しの業のようなものは、そっと隠されている気がする。
この、みすず書房の「大人の本棚」シリーズも好きだ。
女性の書く文章で好きだと思うのは、須賀敦子、佐野洋子、秋山さと子、柳沢桂子などなど。
彼女たちの書くものには共通した慎み、のようなものがある。と思う。
ルリユールであったり、心理学であったり、科学であったり、文章以外に打ち込む道を歩んできて、そこから得た果実をそっと饗してくれるような。
もちろん文学的な教養や才能もあると思うけれども、最初から物書き目指した「女流」にありがちなむき出しの業のようなものは、そっと隠されている気がする。
この、みすず書房の「大人の本棚」シリーズも好きだ。